信夫三山21 ~ 熊野山⑤
2010年 04月 14日
虎取山神神社の鳥居から、山神に向かってみる。こちらは、五十辺村の古峰らしいので、東登拝口、あるいは岩谷観音からここに向かうのが似合っているのかもしれない。
古峰講は、その構成員が会費として積み立てて、栃木の古峰神社に順番に参拝する代表を決め、その旅費にするというような仕組みのようだ。
その代表が、正月に一番祈祷に参列して、構成員全員分のお札を受けて帰り、そのお札を各組ごとに分配したとのことだ。
熊野の山からこの立石山あたりまでは、近隣の村人の信仰心との結びつきが感じられる。
実際にきてみると、祀り方の中に、岩自体への信仰心というようなもっと深いものがあるように感じる。
この山神から立石山へ向かうには、丸子の古峰神社から進む岩よりも登りずらい。そのために、登るのに岩との接触が自然に強くなる。その中で、威圧され慄くような感じを実感する。
古くは、霊的なものと石を立てることとを結びつけるということがあると聞く。
ここでは、立石という地名からも分かるように、自然の力で石は立っている。自然の力を霊的なものとして感じるのに十分な仕組みにもなっているのだ。
巨岩が林立していること、岩自体への信仰心を感じるまつり方、そして、その岩に直接触れて登ること、これらが、岩に対する畏敬の念という信仰心の原点を感じさせてくれる。石ケ森とかかわってここを捉えようとしたのだろうと感じられる半沢氏のメモに、納得する。
その岩場も、生活の近代化のための材料として利用される。
半沢氏のメモによると、北方の下方に道祖神など奇岩があったが、明治30年の松川護岸工事で、そして、この西方にあった猫石と呼ばれていた奇岩が、大正6~7年の松川護岸工事でその石材として破壊されたという。この奇岩は、鉄分を含んだ赤い石だったという。