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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び「西原廃寺」⑥~不動寺

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 不動寺とかかわって、整理する。
 この寺は真言宗の寺であり、その歴史を刻むようだが、「福島県の地名」では、信夫郡菩提寺の道場を再興した寺でもあるというのが定説だとする。
 その山の高寺堂菩提寺が、西原廃寺だ。この寺は、北原廃寺、高寺廃寺などと称されていたが、現在は県指定史跡公園に指定され、西原廃寺と称されている。
 この高寺堂菩提寺は、山階寺(奈良興福寺)僧智興が創建した寺で、「類聚国史」によると、天長7年(830)定額寺(準国分寺)に昇格している。

 「福島県の地名」では、西原廃寺の遺物を次のように紹介する。
 遺物は、瓦・土師器・須恵器・黒色土器・円面硯・銭貨等。
 瓦は、軒丸瓦3形式4種、軒平瓦2形式3種、6弁8弁蓮華文軒丸瓦、素文顎部円形押圧文軒平瓦は、国見町徳江廃寺でも出土、創建時の瓦は、腰浜廃寺系の影響を受ける。

 不動寺案内板の説明は、時の権力者とのかかわりについて紹介する。不動寺になってからか、その前身菩提寺の時かはよく分からないが、その盛衰は、想像に難くない。
 1171年頃には鎮守府将軍藤原秀衡公(平泉)が大檀那となり、当地方祈願所・菩提寺としてから栄えたとする。
 その嫡男康衡が公の命に背き、源義経を弑逆したため、鎌倉勢の攻めにあい滅亡とも。この時、大鳥城を始め秀衡公ゆかりの当寺も堂塔伽藍ことごとく焼失した(1189年―文治5年)とする。
 その後も、寺の名も5度変わり、幾多の変遷を経て、江戸時代に昔の不動寺にかえり現在に至っているとする。

 なお、「福島県の地名」に、天文22年(1552)の「晴宗公采地下賜禄」に「伊達郡湯村郷の内として『ほたひ寺分』とみえ、これが智興の後身か」との紹介がある。
by shingen1948 | 2010-03-16 06:27 | ◎ 西原廃寺 | Comments(0)