人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

再び「西原廃寺」②~高寺堂跡

a0087378_4474020.jpg
 石碑が建っていて、そこに案内がある。
 汚れや傷みでよく読めなかった上に、そこを補って読み取るだけの漢文素養が無い。不動寺縁起とする部分には曖昧さが残るが、おおよそこんな記載だったと思う。


人皇50代淳和天皇御宇 天長7年冬10月巳未日
山階寺僧智興建陸奥国信夫郡一区名菩提寺預定額寺例去去今
伊達郡高寺堂是也 其後数百年之内世代不詳
天保14年迎年法印隆明代

 これは不動寺縁起である。観応4年2月南北朝の戦禍にあい、この寺は灰塵に帰したが、今も礎石基はここに埋没しており、山麓一帯の寺跡から出土する布目瓦とここから発見された建築用の金具は、当廃寺の立地を確かめる資料である。
 昭和41年3月 飯坂町史跡保存会建之

 前半の「不動寺縁起」とする部分は、「奥の細道散歩道」関係の案内所で紹介された「『日本記略』という古書に『山階寺(興福寺)の僧智興が陸奥信夫郡に菩提寺を建てた』とある」というあたりの記載と重なる部分だろうか。要は、湯野の不動寺縁起に、湯野には高寺堂菩提寺と芽部寺が存在していたことが記されているということのようだ。
a0087378_4504544.jpg
 ここから礎石が確認され、建築金具などが出土しているので、高寺堂菩提寺跡であるのに違いないということのようだ。
 専門的な確実性については知る由もないが、ここは、北原高寺堂の地名でもあり、高寺伝説も残る地域での遺物の出土で、その可能性が高いと推定したのだろう。
a0087378_4562516.jpg

 先に訪ねた西原廃寺跡は、ここから南へ500mの所にある。
 ここは、昭和47年(1972)に、西原字堂跡の地を発掘調査した結果、堂宇2棟が確認されたもの。これは、『日本後記』に記されている「名菩提寺」に比定されて、西原廃寺跡(県史跡)として基壇部が復元保存されたもの。
by shingen1948 | 2010-03-10 05:05 | ◎ 西原廃寺 | Comments(0)