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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び「西原廃寺」

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 これは、茂庭策動の終点目印にしていた摩利支天様だ。


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 そして、こちらがトロッコ道の始点の地域で、ここを「暮坪」という。


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 ここを、新道からながめるとこんな感じで、ごく平凡な景色だが、この「暮坪」というのは、「久礼津坊」だったのではないかといわれているらしい。


a0087378_5461922.jpg 西原廃寺に建つ案内板は、もう傷んでいて説明内容がよく分からない。しかし、付近図をよく見ると読み取れるところもありそうだと気がついて、読み取ってみた。
 それを、整理してみたのが、これだ。

 その時に、「久○津坊」を読み取っていることが分かる。これを、暮坪とのかかわりで、「久礼津坊」と置き換えると、位置関係が見えてくる。
 他に、太子坊・薬師坊・上久坊・○久坊(下久坊か?)・城山坊を読み取っている。
 「久礼津坊」を暮坪に想定したことで、太子坊は、日光院辺りに想定できる。そして、薬師坊は薬師山を想定できる。少なくとも、案内板の作成者は、この辺りを西原廃寺とかかわって想像を膨らませて散歩してほしかったという思いを持っていたことが分かる。

 「奥の細道散歩道」にかかわって、「不動寺」が由緒のある古い寺であると紹介される。そこでは、こんなふうに紹介されているのを思い出す。
 ここには古碑があり、「日本記略」という古書に「山階寺(興福寺)の僧智興が陸奥信夫郡に菩提寺を建てた」ことが、記載されているという。これが不動寺と関わるらしいとする。更には、この菩提寺が伊達晴宗の頃まで存在していて、腰浜・高寺・徳江などが擬せられるとする。
 そして、臆説の一つであるとしながらも、湯野廃寺もあるいはそれかといい、信達の歌枕が平安時代になって多くなることと関係があるとの推定をする。
 更には、不動寺も関連付けて考える人もいると紹介する。

 西原廃寺は、何度も散歩で訪ねたが、範囲を広げて整理し直してみたい。 
by shingen1948 | 2010-03-09 05:47 | ◎ 西原廃寺 | Comments(0)