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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂東線~茂庭策動軌跡

 「飯坂東線」については、先に伊達を中心に整理していた。
 今回、茂庭について情報を頂いている中から、策動についての情報を頂いた。
 確認したいところが残っているが、とりあえず飯坂東線の続きとして整理しておくことにする。

 この概要の情報が見えるのは、茂庭ダムの建設にかかわって発刊された記念誌だろうか。
 この策動は、明治41年に湯野まで開通した軽便鉄道とつながる事を想定されていたらしい。
 大正2年(1913)電気策動株式会社が創設され、湯野暮坪―板橋―下滝野―中茂庭―梨平の経路だったとある。
a0087378_1001821.jpg
 全線開通が2年後の大正4年で、大正10年頃まで運営されていたらしい。荷物の記録からは、木材が中心だったと思われるらしい。
 なお、この動力源として、明治40年に創設された茂庭発電所の電力を使用しているというつながりがあるようだ。

 この経路の資料はほとんど目にしないが、偶然「湯野暮坪―板橋」が想像される地図を見つけた。飯坂温泉付近図だ。板橋まで、愛宕山の裏側を通っていたらしいことが分かる。そうはいうが、北原までの道沿いという事でもありそうだ。


a0087378_6365473.jpg
 ここまででは、荷物は軽便鉄道とつながらないと思っていた時に、秋山氏の「ゆの村」に、トロッコ道の記事をみつけた。
 このトロッコ道が、暮坪の摩利支天様から、s製版の所まで続いたという。それなら、茂庭の荷物はこの軽便鉄道の軌跡を通って、伊達駅までつながるということになる。


a0087378_652635.jpg
 なお、秋山氏は、策動軌跡はm屋さんまで続いていたとあるが、地図と情報を元にすると、策動軌跡としては、地図の終点プロットまでで、そこからm屋さんのあたりまでの間に、トロッコに積み替える設備があり、m屋さんあたりからトロッコ軌跡を通って、軽便鉄道軌跡につながると考えるのが自然かなと思っている。
Commented by TUKA at 2010-03-04 21:10 x
ありがとうございます。
この古地図は当方でもコピーしてましたが、
トロッコの記載は初見です。
起点は電気索道事務所にあったんですね。
終点はいまでもここにある製材所ではなかろうか、
と考えております。
ここで原木を加工し、当時すぐ西側にあった十綱駅から出荷していた、と想像しております。
しかし駅がさらに西に移転した後はどうしていたのかが分かりません。
貨物専用駅でもあったのでしょうか。
Commented by shingen1948 at 2010-03-06 13:42
 このあたりは、いろいろな興味が重なっていてなかなか整理ができないでいるところです。
手をつけるきっかけになりました。


 製材所と東線との関係については、よく見えていません。
 ここからは、想像でしかありませんが、引き込み線に近いものがあれば、駅というポイントにこだわらずに荷物が、動かせたのではないかなという思いはあります。
 東線を確認していく中で、なんとなく客車の運行の隙間をぬって動く貨物には自由度があったというイメージを持っています。
by shingen1948 | 2010-03-04 06:54 | Comments(2)