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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 28

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 この民家園で、旧米沢街道(大森道)とのかかわる建物が、橋銭小屋の再現モデルだ。


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 舘下橋は、米沢街道が、天戸川、須川、白津川、鍛冶屋川が合流し、荒川に注ぐ手前にある川を渡る橋だ。時代によって橋の位置や道筋が微妙にずれているが、この時代の橋は、今の橋の西側の道筋だろうか。


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 この橋は、明治32年(1899)から10年間、工賃700円をまかなうために有料橋だったという。橋銭小屋は、その番小屋だったという。
 この橋については、先に、米沢街道散策の途中で整理している。
 その後、確認した情報を加える。
 水保村相沢の二階堂氏他2名が舘下橋の架設を陳情したが受け入れられなかったので、保証人として土舟の丸山氏、新町の渡邊氏の協力で、二階堂氏個人の資金で私設有料橋架設に踏み切ったものという。料金は県の認可を受けて決めたものとのこと。
 先に整理したように、渡り賃は、1人5厘、牛と馬が1銭で、馬車や人力車は2銭だったという。 人の渡り賃から、別命五厘橋と言われていたともいう。
 この橋は洪水で流され、二階堂氏は多額の赤字を抱えてしまったという。

 この橋の近くで、茶屋をしていたというような話を聞いた記憶があるが、いつの時代だったのかは覚えていない。
橋銭小屋
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 福島盆地の西縁部で、東流する須川にかけられていた五厘橋のために建てられていた橋銭小屋の複製。
 明治初年以来、各地の川にかけられた橋の出費を補うために「橋銭」をとったので、この名がある。現在では有料橋というべきであろうか。
 五厘橋は、須川にかかる「舘の下橋」(福島市上野寺)の下流にかけられていた橋で橋銭が5厘であったあったことからこの名がついた。
 小屋番がいて、通行人から橋銭を受け取っていた。

by shingen1948 | 2010-02-28 05:58 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)