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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 26

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 元客自軒の旧東棟と旧北棟は、平成5年福島市指定に指定され、民家園に移築保存されている。
 個人的な思い出は、ここが下宿屋に使用していた時代の話だ。
 知人がここに下宿していて、そこに泊めてもらったことだ。当時、この建物が、移築保存というような運びになるという風には、思っていなかった。障子戸って、案外温かいんだなどと思ったことと、そのこととかかわって、明治の文豪が、硝子戸を通した外の景色に感動している心情を読み取るのに、その経験が生きているという事だ。


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 泊まったのは、多分この部屋で、


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 この東奥が共同のトイレだったと思う。

 この建物は、保存のための保存という状態だが、個人的な親近感は感じる。
 案内板の説明部分でいうと、解体当時について記載された部分だ。
 解体当時の所有者の赤石家は、明治中期にこの建物を屋敷と共に購入して、居住するとともに、紅葉館と改名して、割烹旅館を経営して、後には、同名の下宿屋に使用していた遺構であるとある。

 歴史とちょっと関わるのが、この建物を先の所有者井上家から赤石家に代わって、「紅葉館」と改名するが、名付けたのは、河野広中であるというあたりだ。
 福島の特色である自由民権運動の拠点として重要な建物だったという側面に、少しはふれていたということになる。

 この建物は、もう一つの歴史的事件とも関わる。
 この建物と「金沢屋」「浅草屋」が、慶応4年(1866)4月の仙台藩士の奥州征伐軍の参謀世良修襲撃物語とかかわるのだが、現存するのは、この建物だけだ。
by shingen1948 | 2010-02-24 05:38 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)