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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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前回、「音楽の泉」の皆川達夫氏最後の放送を聞いたことについて整理した。

この整理だけをみると、最終の放送を聞いただけでその内容が分かったように見えるのだが、事実はそうではない。

何となく分かったような気分の所もあれば、そうでもない所もまだらにあった。それを整理してみるとこんな感じだったなということでの整理だ。

「皆川達夫さんを偲んで」として「音楽の泉」で再放送されたこの最後の放送も聴いている。最初の再放送が5月だったと思う。ただ、この時の放送中に東北地方の災害報道が入り、分断されてよく聞き取れなかった。

それで、次の日の月曜日5時からFM放送でその再放送があることを確認した。その回を録音しておいて、それを聴きながら話を整理しているところもある。

実は、クラシックに疎い自分にとっては、それでも何となく分かったような気分の所もあれば、そうでもない所もまだらにあるという状態が残っていたのだ。せめて、皆川達夫氏の最後の放送内容ぐらいは、分かったという気分になりたいものだと思ったのだ。

それで、毎晩、その録音を再生して聴いてから寝ることにしたということだ。その結果だと思う。

7月の再放送を聞いた時には、何となく分かったような気分が多くなったような気がしたのだ。

それで、整理した事をアップしようと思ったということだ。


何が違っていたかということだが、それを考えてみた。

最初、無伴奏バイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006から「ガヴォット」については、聴き馴染んでいる感じはあったが、他の曲にその馴染んだ感じはなかった。

それが、現在では無伴奏バイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004から「シャコンヌ」についても聴き馴染んでいる感じが出てきたという事だ。それが、何となく分かったような気分になれている要因だと思う。

無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003 については今でもまだその感じはない。しかし、それでも何となく分かったような気分になれているのは、自分の感覚では、全体の中のある%を越えて聴き馴染んでいる感じが出てきたところで分かった気分になるのだろうと思う。


# by shingen1948 | 2020-09-22 17:58 | ☆ 懐メロ聴取記録 | Comments(0)

子どもはピアノを習ったりしているが、自分が子供の頃は、クラシック音楽などには全く縁のない生活だった。それなのに、NHKラジオの「音楽の泉」という番組をよく聞いていた記憶がある。

日曜日の朝、解説のお話とともにクラシック音楽が流れてくる。解説の内容が記憶にのこっているということではないが、長い時間その音楽を聴いていられたということでもある。

そのお話を担当されていた皆川達夫氏の最後の放送を聞くことができたので、記録しておく。概念としては違うような気もするが、その声を久しぶりに聴くと懐かしいと思えていたので、「懐メロ聴取」として整理する。

子供の頃から聞き覚えのある声だと思っていたのだが、担当されたのは昭和63(1988)からとのことなので、別の方の記憶もまぜこぜになっているかもしれない。

最後の放送に選ばれた曲はバッハの無伴奏バイオリン曲。そのバイオリン演奏は、ヘンリク.シェリング。

古今のバイオリン曲の最高傑作で、たった一丁のバイオリンなのに、あたかもたくさんの楽器で演奏されているかのようなのはバッハのすごさであり、演奏者のヘンリクのすごさでもあるというふうな解説とともに以下の曲が流れる。

〇 無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003 

〇 無伴奏バイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004から「シャコンヌ」

〇 無伴奏バイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006から「ガヴォット」

曲が終わった後、「個人的な事で恐縮ですが」との前置きをされて引退の御挨拶をされた。

92歳を越えられて体調にも不安を感じられるようになったとのことなので、番組の引退は仕方ないとしても、まだまだお元気で音楽生活をなさるのだろうと思ったし、願いもした。

しかし、引退してひと月後の4月末に帰天の報。

逆に思えば、この仕事を最後まで全うされたという事でもある。クラシックに縁遠い自分にもその想いが伝わっていたという事でもあるのだろうとも思う。


# by shingen1948 | 2020-09-21 17:44 | ☆ 懐メロ聴取記録 | Comments(0)

「福島市歌」北原白秋作詞山田耕筰作曲ということで、すごいコンビが作っているなとは思う。しかし、逆にというか、だからこそというか、この曲を作るのに心が込もっているのかなという疑いを持つところもあった。

というのは、山田耕筰氏北原白秋氏級の方なら、恐らく形式的に整えるだけで作品が出来上がってしまうだろうとも思うのだ。頼まれた曲をちょちょいとつくってしまって届けたとということだってあり得るだろうと思ったのだ。

それで、山田耕筰氏北原白秋氏が福島への思いというものがどんなものなのかということを確かめようと思ったのだ。確かめたのは両氏の福島とのかかわり方だ。


まずは、山田耕筰氏の福島とのかかわりを確認してみた。

すると、福島との関りが確認できて、その上で福島の音楽青年古関裕而氏とのかかわり方を眺めてみることができたと思う。

次に、北原白秋氏と福島へのかかわりを確認してみた。

すると、白秋氏は情報収集に加え、講演会を機会に実地に来福し、各所を見て回っていることが確認できた。その上で、福島の音楽青年古関裕而氏との交流を眺めてみることができたということだ。

両者は、この土地に暮らす人々の思いのようなものもしっかり捉えた上で、この「福島市歌」はできていることが確認できたということだ。

自分は、今では会津で暮らした時間より、福島で暮らした時間が長いのだが、それでも故郷としては会津への思いが強い。思いというのはそんなものなのだ。

しかし、今回は、「福島市歌」に今まで確認してきたことに係る思いに浸りながら味わってみたいという気分になっている。

「福島市ホームページ」の「福島市歌」のページには、市歌の歌詞と楽譜が提示されるとともに、昭和62年に團伊久磨氏の編曲によるこの歌が視聴できるようになっている。

これをじっくり聞いてみる。

http://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-shinkou/shise/goannai/shokai/13030501.html


# by shingen1948 | 2020-09-17 10:13 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)

前回、山田耕筰氏の福島へのかかわりメモに、北原白秋氏の福島へのかかわりメモを加えてみた。

「初冬信夫行」の「福島対岸」だけでは阿武隈川を越えてどちらに向かわれたかは分からないが、少なくとも「伏拝」と「文字摺観音」を訪ねている事が分かる。 

その案内人は、県立図書館の資料から小林金次郎氏かなと想像する。

その案内された伏拝だが、「共楽公園への道筋②」で整理した旧道の方ではないのかなと思うが、どうだろうか。

https://kazenoshin.exblog.jp/14307323/

さて、古関氏の自伝をみると、北原白秋氏の福島へのかかわりメモとして記した頃に、古関裕而氏は北原白秋氏宅へお邪魔しているらしいことが分かる。

そのきっかけは、昭和6(1931)7月に藤山一郎が歌い、レコード化されて発売された「平右ェ門」らしい。

この曲は、古関氏が18~19歳頃というから、川俣銀行に勤めていた頃、「白秋民謡集」の中から、「へへのへのへの へいねもさまは」などとつづられた詩を題材に作曲したものという。

白秋が「僕の詩の気分にぴったり。作曲した青年に会いたい」と望んだことから、古関が祖師谷大蔵の白秋宅を訪問することになるようだ。そして、これを機にしばしば訪れるようになったという。

それ以来、年一回集う「白秋会」にも出席し、多くの詩人や音楽家らとの交流を広げたということだ。

この曲は、ヒットしたわけではないが、古関氏にとっては山田耕筰氏にも褒められた大満足の曲だったようだ。

自伝では、山田耕筰氏に褒められたことで思い出したこととして、自分のオーケストラ・スコアに批評を請いに行った時に、新交響楽団の練習に誘われて、従兄弟と日比谷公会堂に出かけた事が記される。

出来事としては、古関氏が昭和5年に上京してから、昭和6(1931)「平右ェ門」が発売されるその間だという。

山田耕筰氏と北原白秋氏との福島へのかかわりメモに、この頃の古関裕而氏の山田耕筰氏と北原白秋氏とのかかわりメモを加えてみる。

〇 昭和5年に福島民報社から北原白秋作詞山田耕筰作曲「福島市歌」制作委嘱を受ける。(コロムビアの専属作曲家として推薦した古関氏が上京する)

〇 古関氏が山田耕筰氏から新交響楽団の練習に誘われて、従兄弟と日比谷公会堂に出かける。

〇 昭和6(1931)「平右ェ門」が発売される。

(昭和6年の「酒は涙がため息か」発売9月の二か月前との情報もあるので昭和67月か?)

白秋氏が「この曲は僕の詩の気分にぴったり。作曲した青年に会いたい」と望み、古関氏が祖師谷大蔵の白秋宅を訪問する。

古関氏は、これを機にしばしば白秋宅を訪れるようになり、毎年「白秋会」に出席するようになる。

〇 昭和81月佐々木信綱作詞山田耕筰作曲「福島県師範学校校歌」」制定

〇 昭和811月に北原白秋氏が福島県教育会館の新設披露の記念式典講演のため来福。その時に詠んだ短歌

「初冬信夫行」<伏拝を越えて><文字摺石><福島対岸>

〇 昭和11年「福島市歌」完成。その曲を民報社から福島市に献納される。


# by shingen1948 | 2020-09-16 10:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)