地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

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「福島の野仏:松川の野仏③」で整理した庚申碑だが、刻まれているのを真言かもしれないとしたが、ひょっとすると文字塔なのかもしれない。

 松川の庚申塔情報を拾えば、旧松川小裏には、元禄10年(1697)造立「奉信庚申供養」の文字の下に三猿の庚申塔があるといい、宿地には正徳5年(1715)造立の「奉供養庚申塔 惣衆敬白」の文字塔があるという。字数的にはあいそうな感じがしないでもない。
 もし、こちらだとしても普段の散歩で見かけていないタイプの庚申碑だ。いつかの機会にこちらも確認してみたいものだとも思う。
a0087378_11304789.jpg こちらは、普段の散歩でも見かける「申」一字の庚申塔だ。
 先の「撮り溜めた写真から⑥~弁財天堂の石塔群から「申塔」 (笹谷熊野神社境内)」で確認した情報では、このタイプの庚申塔は会津地方では見かけず、中通りにしかないタイプとのことだった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237090676/

 情報源の「会津キリシタン研究所」というブログでは、この申塔は会津にはないといい、この「申」はケルト十字ではないかとの推測を記していた。
 https://plaza.rakuten.co.jp/aizukirishitan/diary/201311270001/

 野仏を確認するのにいつも参考にさせてもらっている「野仏の見方(外山晴彦)」の「野仏見分け表」の「庚申塔」にかかわる個別の紹介まで確認したが、そこには紹介されていないタイプだった。

 一般的な「庚申塔」ではなさそうだとは思ったが、とりあえず「庚申塔」とのかかわりで眺めていくとしたものだ。それが、松川にもあったということだ。

 松川にかかわる資料の中に、江戸中期以降「庚申」と「猿田彦大神」との習合の痕跡が紹介されているのを見つけたが、このこととかかわるのかもしれないとも思った。
 金谷川古浅川の庚申講では猿田彦の掛け軸を掛けて執り行うのだそうだ。また、松川駅前には昭和3年造立の猿田彦庚申が建っているとのことだ。
 
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by shingen1948 | 2017-08-18 11:32 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
a0087378_927537.jpg 自信はないが、こちらも庚申塔碑なのだと思う。
 「青面金剛」像や「庚申」の文字碑でない場合、素人が庚申塔かどうかの見分けに使うのは雄雌の二羽の鶏、三猿像、それに太陽と月と雲だ。
 そのうち、この碑で確認できるのは太陽と月だけだ。

 「青面金剛」像や「庚申」の文字が刻まれる部分に何が刻まれているのかは、写真をいろいろ加工してみてもよく分からない。

 いろいろ検索して、「庚申塔探索」ページに、庚申信仰で使われる真言が刻まれている可能性があるという情報をみつけた。
 https://blogs.yahoo.co.jp/board_woccha

 「オン・コウシンレイ・マイタリ・ソワカ」というような真言が梵字で刻まれている事があるのだとか。また、「唵縛帝吒摩訶嚕呼 羅々阿微吒帝娑婆訶」というふうに漢字が刻まれている場合もあるとのこと。

 いずれにしても、今回撮った写真からは確認することができない。ただ、多分このタイプの庚申塔碑を見るのは初めてなのだとは思うということだ。
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by shingen1948 | 2017-08-16 09:30 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 この辺りの散策でよく見かける庚申塔碑は、「庚申」の文字碑や「青面金剛」像の刻まれた碑だ。a0087378_1123850.jpg この梵字の刻まれた庚申塔碑も初めてみる碑だと思う。

 散策の中で庚申塔碑だと気づいたのは、下に三猿像が刻まれていたからだ。
 この碑で他に庚申塔碑であることがはっきりしているのが、上部に太陽と月が描かれていることだ。雲に乗っていることもあるようだが、この碑では象徴的に記されている。
 散策で素人が簡単に庚申塔碑の見分けに使うのが雄雌の二羽の鶏だ。庚申の夜は徹夜をするので、夜明けを告げる鶏ということで描かれるようだが、この碑ではその鶏は見かけない。

 梵字だが、いろいろ検索して金剛界大日如来(バーンク、荘厳体)でないかなと思っているが、素人判断でしかない。
 ※ その後、梵字をいろいろ確認していて、青面金剛(ウン)かなと思い直して修正する。

 写真からは「七」が読めるのだが、手持ち資料からは、この碑造立については元禄6年(1693)造立情報と元禄5年(1692)造立情報しかない。また、常円寺の庚申塔(元禄7年造立)と同形式との情報もある「松川の今昔(三浦富治)」
 ◇     ◇       ◇         ◇          ◇

 「川俣町の文化財」の「旧壁沢川石橋(眼鏡橋)」解説で、松川の眼鏡橋にかかわった布野氏について、以下のような詳しい情報を見つけた。
 「設計施工者は布野宇太郎義成,弟源六義和兄弟で,布野氏は上杉氏家臣の家柄でその祖は西根堰工事の功労者と伝えられている。兄弟は「ぷっちの宇太郎,字彫りの源六」とうたわれた当地方きっての名工で、宇太郎の作には信夫橋(眼鏡橋)、飯野新橋、金華山の灯台等がある」

 参照させていただいた「街道Web」が、柴切田川橋と命名した飯野町の「広表のめがね橋」について、次のように締めくくられていた。
 「もしかすると、この柴切田川橋も布野氏の手によるものではなかろうか。そう思えてならないのである」
 これが、「川俣町の文化財」がいう「飯野新橋」だと思う。

 つまり、「川俣町の文化財」では、「街道Web」さんが想像したように柴切田川橋は、布野氏の仕事だと言っているということだ。
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by shingen1948 | 2017-08-15 12:09 | Comments(2)

福島の野仏:松川の野仏

 今までの散策の中で、「馬頭観音」あるいは「馬頭観世音」という文字を刻んだ石塔は見ていたが、馬頭観音像を刻んだ石仏を見たのは初めてだと思う。
a0087378_11423419.jpg 馬頭観音は、本来は観音菩薩の変化身の一つであって、必ずしも馬の守護神でないという。しかし、江戸時代以降は、農作業や運搬手段として馬が庶民の生活と強く結びつくようになり、庶民が馬の無病息災を祈願して馬頭観音を立てるようになったのだとか。

 散策時に確認できていなかったが、情報では、寛政11年(1799)八丁目駅中施主弥平が台座に刻まれているとのことで、運搬手段として馬の無病息災を祈願したものと想像できる。

 この像は三面八臂像のようで、三面が確認できる。八臂か六臂かということで迷ったが、八臂だと思う。
 正面の真手が、「馬頭印」を結んでいるか合掌しているかということだが、素人目では合掌しているようにしかみえない。
 ただ、馬頭観音像は、本来は「馬頭口印」あるいは「馬頭印」を結ぶといわれる形があるのだとか。その儀軌に沿った形というのが、親指・中指・小指を立てて、人差指と薬指を曲げて両手を合わせるという姿なのだそうだ。そちらかもしれない。

 残りの手は、いろんな持物を持つはずだが、その確認もできていない。
 情報としては、馬頭観音は右手に斧か剣、左手に輪宝を持つものが多いのだそうだ。斧は除災招福、剣は悪魔を撃退、輪宝は菩提心の強化を表すのだそうだ。この持物で人間のもつ悪業障を砕き、災難を除いてくださるのだそうだ。
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by shingen1948 | 2017-08-14 11:44 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)