地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
a0087378_9412641.jpg こちらは、佐藤基治・乙和ご夫妻墓碑とされる。こちらも「医王寺の石造供養塔群」の一部という見え方もあれば、こちらがスポットライトを浴びせるメインの石塔という見え方もある。
 医王寺のホームページでは、その視点から以下のように紹介されている。

「 奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群は、信夫荘司一族の墓域と伝えられ、中央に佐藤基治・乙和、右側に継信・忠信の墓碑といわれる石碑があり県指定重要文化財に指定されております。 
 凝灰岩の奥州型板碑を主に大小60数基が安置されています。石塔が削り取られているのは、熱病の際に削って飲むと治るという伝えがあり、継信・忠信のような勇猛な武士にあやかりたいという信仰であったと思われます」

a0087378_942274.jpg こちらが嗣信忠信墓碑とされる。
 医王寺のホームページでは、「佐藤継信と忠信の墓碑。墓はすべて板碑作られておりで、これらの板碑は福島市の文化財に指定されております。このお墓の石を削って飲むと病が治ると言われており、削られた跡がみられます」と紹介される。

  ◇        ◇         ◇          ◇
 前回、悲母か慈母かにややこだわったのは、先に整理した「下鳥渡供養石塔」とのかかわりだ。
 この石塔の解説に「阿弥陀三尊を浮彫りにした左右の年忌と願文によって、正嘉2年(1258)9月に悲母(亡母)の供養のために平氏の女が建立したことが知られる」とあったのだ。その「悲母(亡母)」を「悲母=亡母」と勝手に解釈していたのだ。

 逆修というのは以下のようなことなので、それと会わないのではないかとの思い込みがあったのだ。

 逆修というと、生前に戒名を授けてもらって、その戒名を位牌・墓に刻んで、文字を朱で埋めておいて、死後これをとり除くという習俗をイメージする。しかし、本来的には「生前に逆(あらかじめ)自己の死後の冥福を祈って仏事を行う」ことをいうのだそうだ。死後の追善供養では死者に達する功徳は1/7と説かれ、「地蔵菩薩本願経」で、逆修は7分の徳すべてを得る事ができると説かれるのを受けて、平安中期以降天皇貴族から民間に至るまで広く行われた習俗とのことだ。

 しかし、確認すると悲母と慈母は同義語なそうだ。
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by shingen1948 | 2017-07-04 09:44 | ★ 季節便り | Comments(0)
a0087378_923349.jpg この大型の長方形の板碑とその手前の板碑がセットで、父母の逆修碑とのことだ。

 ただ、案内板の解説だけでは母の供養塔でもあるとする部分が読み取れないでいた。
 「ふくしまの歴史(2中世)」の「医王寺の板碑」にそのヒントが記されているのに気がついた。
 ここに「このうち正和2年(1313)の2基には、真言宗系の仏をたたえ、その教えを述べた文が記されているほか、それぞれ「慈父蓮仏逆修」「悲母逆修」とあります」とあったのだ。

 「慈父蓮仏逆修」が大型の長方形の板碑の銘文に刻まれていることは案内板に紹介されていた。ということは、右手の石碑に「悲母逆修」を読み取ったということだろうと思う。
 「集古十種」の「陸奥国佐場野医王寺碑(併)同国信夫郡飯坂天王寺碑」で解析された銘文と照らし合わせると、右側の「右造立之□為□□逆修」の逆修の上の二つの未解読部分に悲母が入るという事なのだろうと思う。
 つまり、右側に刻まれるのが「右造立之□為悲母逆修」ということになるようだということだ。
 この確認のために、もう一度拓本とも照らし合わせてみると、之と為の間に文字はなさそうだ。ということで、右側に刻まれるのは「右造立之為悲母逆修」ということになるのかもしれない。

 ついでに、左側に刻まれる文字も確かめると、業の上の文字もなさそうだ。また、素人の勝手な見え方では、手書きにした部分は「辨」のようにも見えるが、こちらはよく分からない。
 もう一つ素人の勝手な見え方としては、大型の長方形の板碑とその隣の板碑が対をなして父母の逆修というのであれば、不明文字を「慈母」と読んでもよさそうに思うのだが、どうだろうか。

 もう一つ気になるのは、「真言宗系の仏をたたえ、その教えを述べた文」の部分。確かに大型の長方形の板碑は、「弘法大師作の偈頌(げしょう)」を天台宗と真言宗で用いられる回向文で挟んでいるのは確かめた。
 しかし、その右手の石碑に刻まれるのは「識・除・理・如」だけだ。
 これは、上部が欠けているとのことなので、四行の末尾がこの四文字になるということなのだと思う。恐らく「識」と「理」にかかわる仏教の教えにかかわる言葉なのではあろうと思うが、こちらだけで真言宗の言葉とは断定できないような気もするが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2017-07-03 09:05 | ★ 季節便り | Comments(0)
 案内によるとやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑とその右側の石塔はセットで父母の逆修供養塔と解説していると読み取る。
 解説の「なかに、松平楽翁の「集古十種」にのっているものが中央より左にあります。上部が欠けた正和2年の板碑」と大型の長方形の板碑とセットで父母の逆修供養塔だとする石塔が同じものなのだと解釈した。

「国立国会図書館デジタルコレクション」で松平楽翁の「集古十種」を確認すると、「集古十種(碑銘之部 下)の48/75にその拓本が確認でる。
 そして、そこから読み取って整理されたものが「巻之八」の「碑銘類(21)104」の59/104に「陸奥国佐場野医王寺碑(併)同国信夫郡飯坂天王寺碑」としたものだと推察する。
 以下のような整理だ。
a0087378_5454854.jpg  陸奥國佐場野醫王寺碑
高2尺8寸余
横1尺7寸余

 どうでもいいことだが、実際に確認してみると、松平楽翁の「集古十種」ではこの板碑を正和3年と読んでいるように見える。これは、ミスではなくて、セットで父母の逆修供養塔との考察を得られた後、こちらも正和2年の板碑だと同定したものだと推察する。拓本を見ると、確かにどちらにもとれそうな感じはする。干支との照らし合わせ確認が済んでいるのかどうかは分からない。
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by shingen1948 | 2017-07-02 09:44 | ★ 季節便り | Comments(0)
 やや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑について、次のような図解入りで解説されている。
a0087378_5272289.jpg 説明では、梵字の部分については、「一字金輪仏の種子『ボローン』」と表現される。
 知識が無いので確認する。
 「一字金輪」は、密教で、大日如来が最高の境地に入って説いた真言である (梵bhrūṃで、勃嚕唵(ぼろん)と音写)の一字を人格化した仏頂尊。像は結跏趺坐(けっかふざ)して手に印を結ぶ姿に表される(小学館デジタル大辞泉)とのこと。

 その下に刻まれるのは、「弘法大師作の偈頌(げしょう)」とのことだ。
 読み下すと、以下のようだ。

 五大に皆響きあり
 十界に言語を具す
 六塵悉く文字なり
 法身は是れ実相なり

 読み下しても分かった気分にもなれないので、キーワードを確認する。

 五大=宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地・水・火・風・空の五つの要素のこと。
 十界=天台宗の教義において人間の心の全ての境地を十種に分類したもの。六道(下から地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)に声聞、縁覚、菩薩、仏を付加したもの。
 六塵=(仏教)人間に煩悩を起こさせる六つのもの;色・声・香・味・触・法で、眼耳鼻舌身意の感覚器官でとらえることのできる知覚対象。
 法身=真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのものの体をいう。真理(法)の身体、真理(法)を身体としているものの意味。
 実相=すべてのもののありのままのすがたをいうのである。無相こそ萬有のありのままの姿。法性、真如、如実。

 こんな風に捉えるとのことだ。
 地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象には、皆、真理を語る響きがあり、地獄・飢餓・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてに真理を語る言語がある。
 色・声・香・味・触・法の六塵、すなわち私たちの感覚によって把握される認識の対象は悉く真理を語る文字であり、究極のホトケたる大日如来とは、この世界のあるがままの姿に他ならない。

 これ等を、以下の言葉で挟んでいるが、これは天台宗と真言宗で用いられる回向文ということのようだ。

 願以此功徳 普及於一切
 我等與衆生 皆共成佛道

 読み下すと、以下のようだ。
 
 願わくは、この功徳を以(も)って 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生(しゅじょう)と 皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを

 その下に「慈父蓮仏」が刻まれるとのことで、この板碑は、父の逆修供養塔ということのようだ。
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by shingen1948 | 2017-07-01 09:26 | ★ 季節便り | Comments(0)
 奥之院薬師堂の西側に「医王寺の石造供養塔群」の案内板が建っている。その案内によると、そばの荘司夫婦の墓塔と伝えられる石塔も、右端の佐藤継信・忠信の墓塔と伝えられる石塔も含めて「医王寺の石造供養塔群」ということのようだ。
 前回ここを訪ねた時は、この墓塔と伝えられ石塔を確認しただけで、医王寺の石造供養塔群全体を見ていなかったような気がする。

 若い頃、地層の観察の実地学習で、直ぐにその岩場に近づこうとした時に、遠くから煙草を吸いながら一服して全体を眺める事が大切な事なのだと指導されたことを思い出した。
 この指導を当てはめると、最初からこの寺の見どころの一つである佐藤氏の墓塔に視点が行ってしまうと、「医王寺の石造供養塔群」全体は見えなくなってしまうよという事に通じる。全くその通りの過ちを犯していたということだ。

 今回は、先にこの墓塔の他の石塔群にかかわる案内を素直に読み取ってみる。
a0087378_5511116.jpg 案内によると、この石塔群は昭和18年頃に付近の山のものも含めて整理されたものなそうだ。

 石塔の形状からの分類できる見え方の説明がある。
 その一つは、長方形の厚石や自然石を加工した奥州型板碑とのことだ。
 もう一つが、頭部が山形でその下に2条線を刻み、額部・基部を備えた関東型板碑とのことだ。
 そこに等とついているから、他の型もあるのかもしれない。ともかくここにはそれらの石塔が60余基保存されているということだ。
 しかし、その岩質が、いずれも凝灰岩製であるため、多くは摩滅して種子(梵字)年紀、建立趣旨などが不明だという。ただ、読み取れるものには、弘長・正和・建武・永和などの年号が刻まれているいるものもあることから、鎌倉中期から南北朝のものと考えられるということだ。

 詳しく説明されるのは、この写真のやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑と、その手前の板碑だ。こちらは、石塔の形状からの分類の解説の「奥州型板碑」だろうと思う。

 ちなみに、その手前の板碑は、基部を備えているかどうかは分かりにくいが、頭部が山形であり、よく写真を確認してみるとその下に2条線が刻まれているのが確認できる。ということで、こちらは「関東型板碑」とみたが、どうだろうか。
 この石塔を「関東型板碑」のモデルとして写真の他の石塔を眺めると、奥の小さな石塔は山形も2条線もはっきりしないが、額部の形状が似ているということで、こちらも「関東型板碑」かななどと、今までなかった視点で眺めることができる。
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by shingen1948 | 2017-06-30 09:48 | ★ 季節便り | Comments(0)
 今回は、医王寺奥の院薬師堂を、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除き、民間信仰の視点から整理してきた。
a0087378_1714388.jpg 今回、除病安楽は薬師様の第7願として整理している事は、病気の苦しみを取り除いて心身の安楽を得られるようにお願するという意味では、先に「さいで地蔵」や「阿保原地蔵」で整理した祈願と共通することのように思う。

 これ等を、若い頃は苦しい時の神頼みという事に目がいっていたのだが、最近は、そこにその願いはかなえられることもあったのではないのかなという思いが付け加わっている。

 年を取るにつれて健康にかかわる情報に敏感になっているのだが、その情報の中の一つに、薬の効力にかかわる次のような情報が頭にあるのだ。

 薬効を試す検査で、ニセの薬(全く効果のないとされている薬=プラセボ)を飲んだ場合でも、「これは効くぞ」と思って飲んだ人は効いてしまうんなそうだ。
 それは、薬に限らずいろいろな治療法や健康法にも当てはまるそうで、これをプラセボ(プラシーボ)効果というそうだ。
 このプラセボ(プラシーボ)効果は、あらゆる治療行為において数十%は入り込み、時には60%近くの結果に大きくかかわる割合で有効性を発揮してしまうこともあるのだとか。
 薬効を試す検査では、このプラセボ(プラシーボ)効果は、検証しようとする治療法にとっては「雑音」であり、取り除くべき対象として解説される。
 
 今回の整理で注目したいのは、「これは効くぞ」と本気で信じ切ってしまったら、少なくとも数十%は効いて、時には60%もの割合で本当に効いてしまうというというという部分だ。これが科学的に証明されているというふうに読み取ってもいいのではないかとも思うのだ。

 ならばということで、不謹慎かもしれないが、このことと除病安楽祈願を結び付けてみているということだ。
 もし、信心が少しでもあれば、数十%は「ごりやく」があるということであり、信心が深ければ時には60%もの「ごりやく」を期待しても、不合理とは言い切れないということではないのかなと思えるのだ。
 これを「霊験あらたか」と表現しているのではないかという勝手な解釈だ。

 自分には、今は疑いなく心から信じ切るという能力が欠如している。しかし、祈願する側の信心深さによって「ごりやく」が期待できるのならば、その力をつけておきたいとも思う。
 お願いされる対象のありがたさというとらえではないという歪みはあるが、それでも除病安楽祈願の願いはかなえられるという結論ではあるということだ。

 今の時代、病気になった時には合理的な治療法を得る事は容易だ。そこに、疑うことなく信心深くおすがりする力を身につければ、その信じる対象から「霊験あらたか」な力を受容できるようになるのではないかなという身勝手な捉えだが、どんなものだろうか。
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by shingen1948 | 2017-06-28 17:19 | ★ 季節便り | Comments(0)
 薬師堂の欄干に石が吊るされるのは、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」が紹介する伊達郡保原町の耳石の呪いのようなものなのだろうと想像する。
 ただ、右側の欄干に吊るされる石に交じって、願い事を書いた絵馬も下がっていた。
a0087378_8401254.jpg また、この写真の左側の欄干に吊るされる石の中に、願い事としてここでの出会いを記されているものも見える。耳石からの転化だと思うが、これらも受け入れられているという事なのだろうと思う。
 そして、この医王寺薬師堂はこの耳石に特化しているということではなさそうだとも思う。

 先に整理した「薬師堂」の案内板に、「声がたたねば鯖野の薬師 七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」る霊験あらたかな薬師如来であるとあった事もそう思う理由の一つだ。

 もう一つあって、それは、入り口にあった「南殿の桜」と「奥の院薬師堂」の案内板で、奥の院の薬師如来について次のように解説していることだ。
 「12の誓願『ちかい』をお持ちになり、その中でも衆病悉除の誓願は私たちの心の無明を解き、身体を病気から守り、ひいては延命に導いて下さるという、如来のお名前の起こりとなっております。」

 ここでいう「12の誓願『ちかい』の「衆病悉除」の誓願」というのは、先に整理した「薬師如来 大願」の第七願、除病安楽と同義で、人々の病を除き窮乏から救い、心身に安楽を与えるといった意味合いなのではないのかなと思う。
 ここの薬師では、主としてこの誓願におすがりすることを意図しているように思うのだ。

 更には、御堂の中をのぞかせていただくと、そのお願いの仕方が、次のようだと解説されていることがある。
 「薬師如来御真言 オンコロコロセンダリ マトウギソワカ」と七回唱えてから、自分のお願いをしてください」とのことだ。

 なお、ここの「御詠歌」は、次のようなことだとか。

 やおよろず ねがいを
 たつる いおうじの
 るりもかがやく
 いにしえのあと
 オンコロコロセンダリ マトウギソワカ
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by shingen1948 | 2017-06-27 09:39 | Comments(0)
 薬師堂の欄干に石が吊るされている。
a0087378_9302512.jpg これが気になるところだが、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」の「8民族知識」の「3呪(まじな)い」の項に、いろいろな呪いの例が列記される。その本文には記述されないのだが、たくさんの石が吊り下げられている写真があって、その解説に「耳石 薬師様に耳の悪い人があげる(伊達郡保原町)」とある。
 伊達郡保原町は現伊達市保原町で、近くの町村だ。この事とかかわるのだろうと想像する。

 ネットで「『耳石』とは」と検索すると、「ブリタニカ国際大百科事典小項目事典」の次のような解説に出会う。

 平衡石,聴石ともいう。
 無脊椎動物の平衡器官である平衡胞内にある小さい粒。耳石は体の傾きに応じて重力の方向に移動し、感覚細胞の感覚毛を圧迫し、その圧迫の変化によって体の傾きを感じるようになっている。この粒は胞壁の細胞から分泌されたもので1~数個あり、炭酸カルシウム、フッ化カルシウムなどから成る。クルマエビ類では砂粒その他外界の異物を取入れて耳石とする習性があり,脱皮ごとに取替えられる。脊椎動物の平衡器官の前庭内のものは、小さく、聴砂という。

 魚の「耳石」は誰でも見ることができるようなので、更に、ネットで「耳石とは 魚」と検索すると「耳石」についてのいろいろな知見が得られる。

 また、「薬師・耳石」で検索してみると、全国的に行われている呪いであることが分かる。
 先に整理した仁井町薬師瑠璃光如来(笹谷)と上戸内薬師如来(大笹生)も、第七願 除病安楽の中の耳病平癒にまで特化していたが、それらもこのこととかかわるのかもしれないとも思う。しかし、こちらには、この「耳石」の呪いの風習はなさそうではある。

 この医王寺薬師堂もこの呪いを許容はしているようだが、薬師堂の案内板などを確認すると、決してこの耳石に特化しているということではなさそうだ。
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by shingen1948 | 2017-06-26 09:35 | ★ 季節便り | Comments(0)
 今回は、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除いて、この寺の雰囲気を感じてみたいという思いがある。
a0087378_5405044.jpg そういう視点で「薬師堂」の案内板の写真を眺めていたら、医王寺に歴史上かかわりのある方も深く信仰なされた霊験あらたかな薬師如来であるとの解説の後の次の解説が気になった。
 「声がたたねば鯖野の薬師 七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」との部分だ。

 今のところ確認できていないが、そういう里歌があるということなのだろうか。
 それはともかく、この部分、地域の方々の民間信仰としての「鯖野(さばの)」の薬師様への期待感が感じられるような気がするのだが、どうだろうか。
 昔、地域の人々はその地域の薬師様にどんなパワーを期待していたのかを確認してみる。

 「МASAの道中日記」という地元紹介のブログに、この近くの大笹生・笹谷の薬師様が詳しく紹介されている。その記事から、その地域の人々の願いと薬師様のお力にかかわる部分を拾わせていただいてみる。 
 その部分は「笹谷大笹生地区の文化財(大笹生笹谷文化財保存会)」からの引用のようだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/ssyinb27/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CC%F4%BB%D5+&sk=0
 〇 仁井町薬師瑠璃光如来(笹谷)
 古くより耳病平癒の祈願の神として今なお地元民の信仰厚く、毎年四月十五日(以前は旧三月八日)祭事を行っている。

 〇 荒古屋薬師(大笹生)
 この荒古屋の薬師は瑠璃光薬師如来で、堂を字中谷地に建て野寺方から分置されたと伝えられているが年代は不詳である。
 この時代建立の「子育て地蔵」・「瑠璃光」を、「光瑠璃、ころり」と呼び、信者の奉納した丸石が小山のようになっている。縁日は、旧十一月八日である。

 〇 上戸内薬師如来(大笹生)
 この薬師は、土地の人々が耳の難病厄除のために建てたもので、上戸内薬師瑠璃光如来といわれ、近隣信者の外、耳疾に悩む遠来の信者の日参薬師堂になったという。

 〇 久地木薬師堂(大笹生)
 この薬師は瑠璃光如来で、もとは久地木・羽根通部落の尊仏であったが、現在は久地木部落有志によって維持されている。
 仏像は一つずつ十二支をもつ薬師の十二神将と習合し、男根の突起物が着いていて、昔から花嫁の通らぬ所となっていたという。

 〇 安養寺薬師(大笹生)
 平安時代の様式を残した木造の仏像17体がまつられているそうです。昔より安養寺薬師として厚い信仰があり、この仏像を借りて病気を治したとされています。

 自分なりに整理してみる。
 まず、久地木薬師堂(大笹生)と安養寺薬師(大笹生)については、「薬師の十二神将と習合」とか、「木造の仏像」とかとかかわってとかという捉えで、以下の「薬師如来 大願」にかかわる大きな捉えで見ているのかなと思わせる。
 第一願 光明普照・第二願 随意成弁・第三願 施無尽仏・第四願 安立大乗・第五願 具戒清浄・第六願 諸根具足・第七願 除病安楽・第八願 転女得仏・第九願 安立正見・第十願 苦悩解脱・第十願 苦悩解脱・第十一願 飲食安楽・第十二願 美衣満足

 次に、仁井町薬師瑠璃光如来(笹谷)・上戸内薬師如来(大笹生)については、この中の第七願 除病安楽の中の耳病平癒にまで特化した祈願の神としているように思われる。

 そして、「薬師の十二神将と習合」したという久地木薬師堂(大笹生)は、道祖神信仰とも習合しているようだが、荒古屋薬師(大笹生)については、「ころり」薬師様とのことで「ころり」信仰あたりとの習合かな?。
 
 純粋にこれが薬師様信仰とは言い切れないいろいろな要素が入り混じっているようだ。
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by shingen1948 | 2017-06-25 09:39 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「平野の伝承とくらし」では、「大鳥城記」で「奥の院薬師堂」と紹介される薬師堂を「鯖野薬師堂」と称している。
 奥の院薬師堂にお祀りされる薬師如来が「鯖野の薬師様」と呼ばれるのは、この地域が小字鯖野だからだ。
 「医王寺」のホームぺージでは、その地名が鯖野と呼称されるのは、福島市飯坂町に温泉を発見した鯖湖親王を祭るお宮があったからだとする。このことによって、鯖湖温泉の薬効や歴史のイメージが付加されることを意図しているように思われる。

 ここは大きくくくれば「佐場野(さばの)村」だ。その中心地が小字「さばの」という捉えがあってもよさそうに思うが、どうだろうか。
 「さばの」という音に「鯖野」の字を当てたという捉えだ。
a0087378_1493990.jpg 合併で平野村になる前の平野地区の小字分布図に、先に整理した「福島県生活改善展示実験室」をプロットして確認すれば、その北面の道筋(現農業総合センター果樹研究所北側の道筋)が隣村である「井野目村」と医王寺のある「佐場野村」との村界の道筋であることが分かる。 
 この道筋の北側が「佐場野(さばの)村」だ。寺近くの小字「鯖野(さばの)」と読みが一緒なのだ。

 単に「佐場野(さばの)村」の中心地「鯖野(さばの)」という位置づけで、この村の薬師堂という単純な捉えがあってもよさそうにも思う。
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by shingen1948 | 2017-06-24 14:12 | ★ 季節便り | Comments(0)