地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

昔の道路標識と講のPR

「三十三夜講」の石碑に、「左いいざか」・「右せの上」の道案内。誰もこの道案内を頼りにしていないという点では、無用度100であるが、こういった案内をもとに、曲線の道路を探し、木の太さなどを頼りにしていくと、古い街道に迷い込むことができるという点では、無用物ではなくなってしまう。a0087378_20463398.jpg
 今日は、古い飯坂街道の徒歩道と馬道が松川を横切る地点までたどり着くことができた。
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# by shingen1948 | 2006-09-24 20:47 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)
 「シン」は、名前です。自分の立場を「風の人」としたのは、次のような理由です。

 「風の人」という言葉は、地域学でいう「地の人」「風の人」という概念を借りました。

 私「シン」は、幼いころに住んでいた「原風景のある故郷」を離れて生活しています。最近、原風景を時々思い出すようになりました。若いころは厳しい自然環境や人とのつながりの濃さがうっとうしいと感じていましたが、最近はそのことが懐かしく、また、できたらそういう生活に戻りたいと感じています。

 年のせいです。でも、ずっとこの「原風景のある故郷」に住んでいることができていたとしたら、こんなにも故郷のよさやいとおしさを感じていなかったかもしれないなと思うこともあります。 故郷を離れ、故郷を今住んでいるところから見つめ直したからこそ、手に入れられた視点なのではないでしょうか。

 今、住んでいる所は、故郷ではないといいながら、年数的には「原風景のある故郷」である生まれ故郷より長く住んでいます。したがって、私にとっては「地の人」として生活すべき空間なのかも知れません。足元をみつめ、この地のよさを生かして、しっかり生活すべきなのです。そのことを「大人の総合学習的な生活」としました。
 それは、地元学でいう「地の人」と同じ意味です。でも、私のよさは、「原風景のある故郷」とは離れていることです。「風の人」としての立場が私「シン」のよさです。 幸い、仕事場も「今住んでいる所から離れています。(仕事場が離れているということは、日常の生活の場の視点からは厳しく、かわいそうな自分の立場ですが)。ですから、私「シン」は、仕事場でも「風の人」です。それどころか、「原風景のある故郷」を見つめるときにも「風の人」になっているのです。

 「風の人」として、「地の人」の生活のよさをしっかり見つめることができる優位な立場を利用していきたいとの思いをこのタイトルに込めています。
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# by shingen1948 | 2006-09-24 05:02 | ブロクとわたし | Comments(0)
 「総合学習的生活」ということを、次のようにイメージしている。
 
 今までの生活活動で培った自分の力全体を使って、身の周りを観察しする。それを「総合学習的生活」と表現してみた。

 私たち大人という立場は、仕事の立場とか、みえとか外聞という「建前の世界」を中心に生活してきた。その建前的な生活の対極を「大人の総合学習的生活」とした。
 
 それは、自分の感性のみを信じて、真に感動することのみを求めて生活する行為である。また、関心の対象物も、自然であったり、道端にひっそりとたたずむ遺産であったり、まったく無意味な人為的なものであったり、環境問題だったり、人とのかかわりであったり等々、限定しない。まさに総合的なのだ。それを、本気で調べ、本気で考え、本気で表現する。その本気になれる自分を高めることを大きな目標とする。

 そういった生活をする結果として、仕事的にも、生き方についても、よく言えば完成したと勘違いしている自分や行き詰まっていると感じている自分から脱皮できるのではないかと思っている。実際の生活では、抵抗はしながらも、実質的には、競争・効率・マニュアルの社会に置いてきぼりにならないように気遣いながら、安定を求めて、現実の日常を歩いてきている。

 最近になって、この年になったのだから、誰にもまどわされないで、本当に大切と感じるものを探し出したいとの思いが強まってきているのだ。
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# by shingen1948 | 2006-09-23 19:19 | ブロクとわたし | Comments(0)

早寝・早起き・朝ごはん

 早寝早起き朝ごはん運動が、国のレベルで推進されようとしている。生活の習慣については、本来個人的な問題であったはずだが、公的なレベルの問題に格上げされている。しかも、そのことに関して異議を唱える動きは弱いように思う。
 直接的ではないが、このことに関連するような記事が、福島民報に載った。それは、朝なかなかおきられない症状として現れるという「起立性調節障害」のことである。概要を以下のように受け止めた。

 日本小児心身医学会が9月9日までにつくった起立性調節障害の初の診療指針を作ったという。それによると、怠け癖や夜更かし、学校嫌いと誤解されやすく、指針は【根性だけでは治らない】と適切な診療を求めているいう。

 診断基準を以下のようにしたとのこと。
  ① 学校を休むと症状が軽くなる。
  ② 身体症状が再発・再燃を繰り返す。
  ③ 気にかかっていることを言われると悪化する。
  ④ 1日のうちで身体症状の程度が変化する。
  ⑤ 身体的訴えが二つ以上にわたる。
  ⑥ 日によって身体症状が次から次へと変化する。
 このうち4項目が週1~2回以上みられる場合、起立性調節障害と診断するとしたという。

 原因は、
 自律神経の働きが悪くなる、立ったときに体や脳への血流が低下して起き、精神ストレスも関与するという。

 この記事を読んで、「早寝・早起き・朝ごはん運動」を実際に推進する立場で指導をする人は大変だろうと同情したくなった。
 
 公的機関を通して、「早寝早起き」を指導するように言われ、実際に指導してみると、朝起きられない、全身がだるいと言われたら、医療的に素人の指導者は、どう指導するのが正しいのだろうか。

 怠けぐせや夜更かしはいけないよと指導せねばならない者もいるし、そんなことを気にするなと指導せねばならない者もいる。そして、相手には、これが一貫性のある指導態度であることも示さなければならない。

 どちらにするかを一人一人判断して、ある子には「あなたは無理しないでね」と声を掛け、ある子には「あなたは努力しなさい」、またある子には、「あなたは‥‥‥。」と対応することが求められるのだ。その上に、どうして相手によって指導を変える理由を、全員にわかるように説明もしなければならないということになりそうだ。
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# by shingen1948 | 2006-09-23 04:45 | ☆ 教育話題 | Comments(0)