地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
 半沢氏の「歴史地図」をもとに、鼓ケ岡検断佐藤治郎兵衛屋敷辺りと思われる中町丁字路西角を撮ったのは2009年夏の事だ。
a0087378_6184455.jpg 八丁目家主一覧図での この角は、「検断佐藤治郎兵衛・明屋敷松田星吉右衛門」が記されている。それで、この中町丁字路西角を撮っておいたものだ。

 今回の散策で、半沢氏の「歴史地図」をもとに、八丁目家主一覧図と照らし合わせながら、八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門屋敷、天明根村名主検断遠藤佐平屋敷(川端屋)を探った。
 ただ、何れもそのおおよその位置を確認しただけになってしまった。

 その続きで、ここも整理に加えておこうと思っただけだ。

 なお、八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門屋敷を探って次のように整理した。
 まずは、「奥州街道:境川から八丁目村へ⑤」で、おおよその位置を推定している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237153228/
 次に、「奥州街道:境川から八丁目村へ⑥」で、「若松屋」の位置情報よりイメージを深めた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237155537/
 更に、「奥州街道:八丁目天満宮情報から⑧」で、「ハンドメ」の位置から屋敷跡の位置を見直した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237338916/
 ただ、その「ハンドメ」の位置を「奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報②
」で微妙に修正して、八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門のお屋敷前と推定し直している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237399767/

 天明根村名主検断遠藤佐平屋敷(川端屋)については、「奥州街道:八丁目村から天明根村辺り」で推測している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237185114/

 今回の散策「奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報②」で、本陣の櫻内家の位置についてもふれている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237399767/
[PR]
# by shingen1948 | 2017-11-10 09:17 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
a0087378_1702412.jpg これは、2009年夏に本陣跡とされるガソリンスタンド側から本町を撮ったものだ。街路灯の向こうに白っぽい建物と黄緑っぽい建物が並んで立っているが、その白っぽい建物が「本町108番地」辺りのようだ。現在は、隣の黄緑っぽい建物の辺りと共に更地になっている。

 神奈川県川崎市の民家園に移築された建物は、間口約11m奥行約17m平面積48坪の旧鈴木家住宅が建っていたという事のようだ。
 この情報と照らし合わせると、隣の黄色い建物も合わせた部分が「赤浦屋」だったと想像される。

 このアングルと照らし合わせるのには、川崎市教育委員会のページの「旧鈴木家住宅」の写真がイメージしやすいと思う。
 http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000287.html

 鈴木家間取りとも照らし合わせると、建物右手の板で覆われた部分がマヤ(馬屋) の部分のようだ。
 ここは、通り土間になっていて、ここに横隊に14頭までつなぎ泊めることができたそうだ。それ以上になると、奥の空き地の馬屋につなぐことになったとのことだ。
 この土間の奥はニワになっていて、小竈と豆などの馬の餌を煮炊きする大竈と流しがあったようだ。

 手前の戸が開いている3間が、宿のフロントにあたるミセの部分のようだ。
 そのミセの西手の戸の閉まっている部分が8畳の「上段の間」のようだ。その西側に天袋付「床の間」があるようだ。
 この奥に8畳の「次の間」があり、その西側に客用の便所がついている。ここは、裕福な馬主や騎馬旅行の武士が宿泊する部屋になるそうだ。
 ミセの奥は生活空間のようで、ナンド・チャノマ・カッテが続く。カッテには囲炉裏があるようだ。
 馬方が宿泊するのは二階なそうで、ミセの後ろの土間側から階段で二階に上がることになるようだ。

 八丁目宿の馬宿について川崎市民家園の資料では、次のような解説がなされているようだ。
 
 八丁目宿は、福島と二本松の間の宿場で、この馬宿には、白河と本宮で年2回開かれていた馬市や、江戸藪馬という盛岡藩や麻生十番という仙台藩の競りに出す為、遠く南部(岩手)や仙台から馬を連れた馬方が、馬主と共に奥州街道を上る時に宿泊したとのことだ。
 馬方1人で馬7頭を単位に引き連れて道中に出るのだそうだが、これを「1はんな」というのだそうだ。
 この「赤浦屋」では、14頭まで通り土間にそってつなぎ泊められたということは、二人の馬方で「2はんな」が基準で、それ以上でも奥の空き地の馬屋で対応したということなのだろうと思う。
 ここは、北から馬を連れて白河方面に向かう最後の宿であったと言われているそうだ。
[PR]
# by shingen1948 | 2017-11-08 16:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 昨日整理の馬宿は、用水路とのかかわりから想像したところだが、不自然なのは丁字路に近すぎるという事だ。

 もう一つの情報である馬宿は「本町108番地」という位置情報と照らし合わせてみると、この更地の東側に残って居る建物よりも更に東側の更地辺りらしい。
 案内図と照らし合わせれば、そちらに近いイメージのような気がする。丁字路との位置関係も自然だ。a0087378_2034590.jpg 結果的には、昨日整理の馬宿の位置推定は誤りのような気がするが、確認の過程を残しておきたい。

 なお、この馬宿は川崎市立日本民家園に移築され、神奈川県の重要文化財になっているようだ。
 http://www.nihonminkaen.jp/facility/old_folk_house/01_suzuki_house/

 また、「福島市民家園」は、この馬宿の川崎市立日本民家園への移築が契機となって開園されたとのことだ。民家園の沿革と概要には、次のように記されている。
 「昭和45年、福島市松川町に所在した鈴木家住宅(赤浦屋―馬宿)が川崎市立日本民家園に解体運搬され、翌年復原されたことが契機となり、民家の保存施設の構想が始まりました。
 福島市民家園は、昭和54年から、伝承されてきた生活遺産を大切に保護し活用するための文化財保存施設および教育施設として建設が進められ、昭和57年8月、「福島県あづま総合運動公園」内に園しました」
 http://minka-en.com/shisetu.html
[PR]
# by shingen1948 | 2017-11-07 08:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 八丁目村から眼鏡橋を超えて天明根村、鼓岡村と続く真っ直ぐな街並みを進むと丁字路に突き当たる。奥州道はここを右折する。
 その辺りでの興味は、ここから突き当りの本陣跡とされるガソリンスタンドまでの間の左手にあったとされる馬宿だ。
 その具体的な位置ははっきりしない。

 その道筋の左側の建物の多くが現在取り壊されて更地になっている。多分、道路拡張工事のためなのだろうと想像する。
a0087378_15272122.jpg これは、その丁字路に一軒残された住宅の右側部分だが、気になっているのはその左手の更地だ。

 「家主一覧」の図を確認すると、その道筋の鼓岡村からの道筋と突き当たる西端から常念寺・中田屋金作の屋敷が描かれる。その次に御〇道用水が描かれる。その辺りが、鼓岡村からの道筋の右端辺りになるように描かれている。

 そこから、田村・柳屋・綱屋の三軒が建つブロックがあって、その次に用水が描かれる。
 その用水の次に鈴木忠三郎・赤浦屋忠左衛門宅が描かれるが、気になる馬宿は鈴木家でその屋号が赤浦屋とのことなので、ここがその馬宿なのだろうと思う。

 気になったのは、その馬宿の西側の用水跡が、写真の住宅の右側部分の道筋と重なっているような気がしたのだ。
 というのは、「家主一覧」の図では、その用水が裏側の用水に繋がっているように描かれるのだが、その雰囲気と似ているような気がするのだ。
 ならば、その隣の更地付近に馬宿跡が想像できないかということだが、どうだろうか。
 ただ、思っていたよりТ字路に近すぎるような気もするが、……。
[PR]
# by shingen1948 | 2017-11-06 15:39 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)