地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
 やや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑について、次のような図解入りで解説されている。
a0087378_5272289.jpg 説明では、梵字の部分については、「一字金輪仏の種子『ボローン』」と表現される。
 知識が無いので確認する。
 「一字金輪」は、密教で、大日如来が最高の境地に入って説いた真言である (梵bhrūṃで、勃嚕唵(ぼろん)と音写)の一字を人格化した仏頂尊。像は結跏趺坐(けっかふざ)して手に印を結ぶ姿に表される(小学館デジタル大辞泉)とのこと。

 その下に刻まれるのは、「弘法大師作の偈頌(げしょう)」とのことだ。
 読み下すと、以下のようだ。

 五大に皆響きあり
 十界に言語を具す
 六塵悉く文字なり
 法身は是れ実相なり

 読み下しても分かった気分にもなれないので、キーワードを確認する。

 五大=宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地・水・火・風・空の五つの要素のこと。
 十界=天台宗の教義において人間の心の全ての境地を十種に分類したもの。六道(下から地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)に声聞、縁覚、菩薩、仏を付加したもの。
 六塵=(仏教)人間に煩悩を起こさせる六つのもの;色・声・香・味・触・法で、眼耳鼻舌身意の感覚器官でとらえることのできる知覚対象。
 法身=真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのものの体をいう。真理(法)の身体、真理(法)を身体としているものの意味。
 実相=すべてのもののありのままのすがたをいうのである。無相こそ萬有のありのままの姿。法性、真如、如実。

 こんな風に捉えるとのことだ。
 地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象には、皆、真理を語る響きがあり、地獄・飢餓・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてに真理を語る言語がある。
 色・声・香・味・触・法の六塵、すなわち私たちの感覚によって把握される認識の対象は悉く真理を語る文字であり、究極のホトケたる大日如来とは、この世界のあるがままの姿に他ならない。

 これ等を、以下の言葉で挟んでいるが、これは天台宗と真言宗で用いられる回向文ということのようだ。

 願以此功徳 普及於一切
 我等與衆生 皆共成佛道

 読み下すと、以下のようだ。
 
 願わくは、この功徳を以(も)って 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生(しゅじょう)と 皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを

 その下に「慈父蓮仏」が刻まれるとのことで、この板碑は、父の逆修供養塔ということのようだ。
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# by shingen1948 | 2017-07-01 09:26 | ★ 季節便り | Comments(0)
 奥之院薬師堂の西側に「医王寺の石造供養塔群」の案内板が建っている。その案内によると、そばの荘司夫婦の墓塔と伝えられる石塔も、右端の佐藤継信・忠信の墓塔と伝えられる石塔も含めて「医王寺の石造供養塔群」ということのようだ。
 前回ここを訪ねた時は、この墓塔と伝えられ石塔を確認しただけで、医王寺の石造供養塔群全体を見ていなかったような気がする。

 若い頃、地層の観察の実地学習で、直ぐにその岩場に近づこうとした時に、遠くから煙草を吸いながら一服して全体を眺める事が大切な事なのだと指導されたことを思い出した。
 この指導を当てはめると、最初からこの寺の見どころの一つである佐藤氏の墓塔に視点が行ってしまうと、「医王寺の石造供養塔群」全体は見えなくなってしまうよという事に通じる。全くその通りの過ちを犯していたということだ。

 今回は、先にこの墓塔の他の石塔群にかかわる案内を素直に読み取ってみる。
a0087378_5511116.jpg 案内によると、この石塔群は昭和18年頃に付近の山のものも含めて整理されたものなそうだ。

 石塔の形状からの分類できる見え方の説明がある。
 その一つは、長方形の厚石や自然石を加工した奥州型板碑とのことだ。
 もう一つが、頭部が山形でその下に2条線を刻み、額部・基部を備えた関東型板碑とのことだ。
 そこに等とついているから、他の型もあるのかもしれない。ともかくここにはそれらの石塔が60余基保存されているということだ。
 しかし、その岩質が、いずれも凝灰岩製であるため、多くは摩滅して種子(梵字)年紀、建立趣旨などが不明だという。ただ、読み取れるものには、弘長・正和・建武・永和などの年号が刻まれているいるものもあることから、鎌倉中期から南北朝のものと考えられるということだ。

 詳しく説明されるのは、この写真のやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑と、その手前の板碑だ。こちらは、石塔の形状からの分類の解説の「奥州型板碑」だろうと思う。

 ちなみに、その手前の板碑は、基部を備えているかどうかは分かりにくいが、頭部が山形であり、よく写真を確認してみるとその下に2条線が刻まれているのが確認できる。ということで、こちらは「関東型板碑」とみたが、どうだろうか。
 この石塔を「関東型板碑」のモデルとして写真の他の石塔を眺めると、奥の小さな石塔は山形も2条線もはっきりしないが、額部の形状が似ているということで、こちらも「関東型板碑」かななどと、今までなかった視点で眺めることができる。
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# by shingen1948 | 2017-06-30 09:48 | ★ 季節便り | Comments(0)
 今回は、医王寺奥の院薬師堂を、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除き、民間信仰の視点から整理してきた。
a0087378_1714388.jpg 今回、除病安楽は薬師様の第7願として整理している事は、病気の苦しみを取り除いて心身の安楽を得られるようにお願するという意味では、先に「さいで地蔵」や「阿保原地蔵」で整理した祈願と共通することのように思う。

 これ等を、若い頃は苦しい時の神頼みという事に目がいっていたのだが、最近は、そこにその願いはかなえられることもあったのではないのかなという思いが付け加わっている。

 年を取るにつれて健康にかかわる情報に敏感になっているのだが、その情報の中の一つに、薬の効力にかかわる次のような情報が頭にあるのだ。

 薬効を試す検査で、ニセの薬(全く効果のないとされている薬=プラセボ)を飲んだ場合でも、「これは効くぞ」と思って飲んだ人は効いてしまうんなそうだ。
 それは、薬に限らずいろいろな治療法や健康法にも当てはまるそうで、これをプラセボ(プラシーボ)効果というそうだ。
 このプラセボ(プラシーボ)効果は、あらゆる治療行為において数十%は入り込み、時には60%近くの結果に大きくかかわる割合で有効性を発揮してしまうこともあるのだとか。
 薬効を試す検査では、このプラセボ(プラシーボ)効果は、検証しようとする治療法にとっては「雑音」であり、取り除くべき対象として解説される。
 
 今回の整理で注目したいのは、「これは効くぞ」と本気で信じ切ってしまったら、少なくとも数十%は効いて、時には60%もの割合で本当に効いてしまうというというという部分だ。これが科学的に証明されているというふうに読み取ってもいいのではないかとも思うのだ。

 ならばということで、不謹慎かもしれないが、このことと除病安楽祈願を結び付けてみているということだ。
 もし、信心が少しでもあれば、数十%は「ごりやく」があるということであり、信心が深ければ時には60%もの「ごりやく」を期待しても、不合理とは言い切れないということではないのかなと思えるのだ。
 これを「霊験あらたか」と表現しているのではないかという勝手な解釈だ。

 自分には、今は疑いなく心から信じ切るという能力が欠如している。しかし、祈願する側の信心深さによって「ごりやく」が期待できるのならば、その力をつけておきたいとも思う。
 お願いされる対象のありがたさというとらえではないという歪みはあるが、それでも除病安楽祈願の願いはかなえられるという結論ではあるということだ。

 今の時代、病気になった時には合理的な治療法を得る事は容易だ。そこに、疑うことなく信心深くおすがりする力を身につければ、その信じる対象から「霊験あらたか」な力を受容できるようになるのではないかなという身勝手な捉えだが、どんなものだろうか。
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# by shingen1948 | 2017-06-28 17:19 | ★ 季節便り | Comments(0)
 薬師堂の欄干に石が吊るされるのは、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」が紹介する伊達郡保原町の耳石の呪いのようなものなのだろうと想像する。
 ただ、右側の欄干に吊るされる石に交じって、願い事を書いた絵馬も下がっていた。
a0087378_8401254.jpg また、この写真の左側の欄干に吊るされる石の中に、願い事としてここでの出会いを記されているものも見える。耳石からの転化だと思うが、これらも受け入れられているという事なのだろうと思う。
 そして、この医王寺薬師堂はこの耳石に特化しているということではなさそうだとも思う。

 先に整理した「薬師堂」の案内板に、「声がたたねば鯖野の薬師 七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」る霊験あらたかな薬師如来であるとあった事もそう思う理由の一つだ。

 もう一つあって、それは、入り口にあった「南殿の桜」と「奥の院薬師堂」の案内板で、奥の院の薬師如来について次のように解説していることだ。
 「12の誓願『ちかい』をお持ちになり、その中でも衆病悉除の誓願は私たちの心の無明を解き、身体を病気から守り、ひいては延命に導いて下さるという、如来のお名前の起こりとなっております。」

 ここでいう「12の誓願『ちかい』の「衆病悉除」の誓願」というのは、先に整理した「薬師如来 大願」の第七願、除病安楽と同義で、人々の病を除き窮乏から救い、心身に安楽を与えるといった意味合いなのではないのかなと思う。
 ここの薬師では、主としてこの誓願におすがりすることを意図しているように思うのだ。

 更には、御堂の中をのぞかせていただくと、そのお願いの仕方が、次のようだと解説されていることがある。
 「薬師如来御真言 オンコロコロセンダリ マトウギソワカ」と七回唱えてから、自分のお願いをしてください」とのことだ。

 なお、ここの「御詠歌」は、次のようなことだとか。

 やおよろず ねがいを
 たつる いおうじの
 るりもかがやく
 いにしえのあと
 オンコロコロセンダリ マトウギソワカ
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# by shingen1948 | 2017-06-27 09:39 | Comments(0)