地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
a0087378_10533816.jpg 2009/6/10に撮影したものだが、多分「ふくしま散歩(小林金次郎)」が紹介する「鎌倉権五郎影政と家臣の墓」だと思う。
 この寺の前の通りが散歩でよく通る古くからある道筋だ。寺の境内が整備されてきているので、消滅していないかなと時々眺めてはいた。
 それでも、今まで整理していない。その価値がよく分からなかったからだ。

 今回確認してみようと思ったのは、「日本の伝説(柳田國男)」に中心的に取り扱われている伝説であることを知ったからだ。

 信夫郡余目村南矢野目の「片目の魚」と共に紹介されるのは、次の各地の伝説だ。
 〇 東京府豊多摩郡高井戸村上高井戸、
 〇 山梨県西山梨郡相川村
 〇 長野県小県郡殿城村
 〇 新潟県北魚沼郡堀之内町
 〇 兵庫県川辺郡稲野村昆陽
 〇 大阪府泉北郡八田荘村家原寺
 〇 兵庫県加古郡加古川町
 〇 栃木県河内郡上三川町
 〇 岡山県勝田郡吉野村美野
 〇 新潟県中頸城郡櫛池村青柳
 〇 静岡県安倍郡賤機村
 〇 石川県能美郡大杉谷村赤瀬

 そのうちの南矢野目の「片目の魚」と同じように、鎌倉権五郎影政がかかわるのは、秋田県仙北郡金沢町・山形県東村山郡山寺村・山形県飽海郡東平田村北沢・長野県下伊那郡上郷村の伝説が紹介される。

 そして、伝説ではことに目一つの人が尊敬せられているとして、鎌倉権五郎景政について、次のように解説する。
 鎌倉権五郎景政の如きも、記録には若くて軍に出て眼を射られたというより他に、何事も残ってはいないのに、早くから鎌倉の御霊の社に祀られていました。九州ではまた方々の八幡のお社に、景政の霊が一しょにおまつりしてあるのです。
 奥羽地方の多くの村の池で、権五郎が目の傷を洗ったという話があるのも、もとはやはり眼を射られたということを、尊敬していたためではないかと思います。


 小林金次郎氏はこの伝説が全国的な伝説の検証の一つになっていることに価値を見出していたということに、自分はようやく気付くことができたということだ。
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# by shingen1948 | 2017-06-13 10:55 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「庚申塔」の後ろには、ずらりと「申塔」が並ぶ。
a0087378_1503785.jpg 見慣れた石塔で、「庚申塔」とのかかわりかなと思いながら眺めていた。
 今回、ちゃんと確かめておこうと思ったら、この石塔ちゃんと解説する資料がないことが分かった。
 「野仏の見方(外山晴彦)」の「野仏見分け表」の「庚申塔」の欄には、文字として「庚申」「猿田彦」「青面金剛」が、彫像として三猿が紹介される。その注には、一猿・二猿も庚申塔の可能性があると記される。
 個別には「青面金剛」の彫像も紹介さているということもあるので、全ての紹介を確認したが「申塔」はどこにも紹介されていなかった。

 それで、「庚申待」の祭神を確かめると、「天帝や猿田毘古神や青面金剛や帝釈天などのいずれかを祀る。一説には左記の本尊と別に猿の形(木彫り)を祀るともいう。」ということで、猿にかかわる一説はみる。

 らちが明かないので、「神使い」の猿を確認してみる。
 「玄松子の記憶」というページに、「神社知識」として、「神使い」が紹介されている。
 http://www.genbu.net/
 そこから猿にかかわる紹介を拾ってみる。
 「日吉」「山王」「日枝」の比叡山の麓、日吉大社を本宮とする天台による山王一実神道を根本とする系列神社の神使いが猿であるというのは有名なのだとか。
 山王では真猿といい「魔去る」とされるとか。猿田彦命との縁、「山の神」の使いとの考え方もあるという。
 庚申の猿も基本的には天台系の猿らしいとのこと。

 「ウィキペディア」の「神使」の猿の項には、日吉神社と浅間神社が紹介される。
 「江戸時代中期にはすでに庶民の間で身近に信仰されていた山王信仰や庚申信仰、道祖神信仰の影響を受けて、「猿」が富士講の神使とされたともいえよう。」とある。

 「会津キリシタン研究所」というブログでは、この申塔は会津にはないといい、この「申」はケルト十字ではないかとの推測を記している。
 https://plaza.rakuten.co.jp/aizukirishitan/diary/201311270001/

 見慣れたこの碑、もっと他の見え方があるのかどうかをよそ見しながらも、とりあえずこのまま「庚申塔」とのかかわりで眺めていく。
 いずれにしても、この見慣れたこの石塔は、この地域独特のものの可能性がありそうだ。
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# by shingen1948 | 2017-06-12 15:03 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「大国主大神」碑の後ろに並ぶのは、定番の「庚申塔」だ。
a0087378_1315561.jpg 「大国主大神」碑を写した時に、端の「庚申塔」の建立年代が写りこんでいて、「大正〇10丑年12月吉日」が読める。この年の干支は丁丑のはずだが、そこまでははっきり読めない。
 
 一般的に、「庚申塔」は、「庚申待」を3年18回続けた記念に建立されるという。
 最後の「庚申塔」建立が大正10年で、その3年後に「大国主大神」碑が建立されているという事は、連続性のある行為ということになるのではないだろうか。

 その前に、7基の「庚申塔」が並んでいる。
 その時代を確認すると、次の塔が「〇政元  寅」と読める。政のつく年号で千子が寅は、安政元年(1854)だ。
 月は読めないが、この年の11月27日に改元しているとの情報を重ねれば、建立は安政元年11月か12月ということになる。この年の干支は甲寅だ。
 
 更にその次が、寛政10年(1798)8月が読める。
 この年の千子は戊午。戌が右に、午が八月の上部左側に読める。

 その先の石塔建立年代は読めないが、要は古い順に7基の庚申塔が並んでいるということだ。

 一般的には、神社裏の石塔群の大部分は、街道筋などに置かれた庚申塔や道祖神などの石塔の整理に伴い寺院や神社境内の隅に済に追いやられたものと想像する。
 明治政府の神仏分離令による神仏習合の廃止、仏像を神体とすることの禁止などの影響で、庚申信仰などの民間信仰は迷信と決めつけられることになったことや、街道の拡張整備工事などが重なったことによる風景と見るのが普通だと思う。

 しかし、この地区では大正時代まで庚申待が継続的に行われていて、その連続として甲子講に移ったと推測することができる。
 ということは、この地区の講にかかわる石塔や石碑は、隅に追いやられるというイメージではなく、この弁財天裏が講にかかわる碑を建てる定位置だったのではないかと想像するのだが、実際はどうなのだろうか。
 
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# by shingen1948 | 2017-06-11 13:18 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「大国主大神」碑が建立されたのは「大正13年甲子年」とある。
 確かめてみると、大正13年は西暦1924年で、確かに千支は甲子のようだった。この年8月に西宮市に作られた野球場は、この年の干支から現甲子園球場である甲子園大運動場と命名されているという。
a0087378_7414355.jpg その左隅には、「磐城国小高町大江甲子山 松陽謙吉」の銘が刻まれている。

 「磐城国小高町」や「大国神社」などをキーワードに検索していくと、「郷社益多嶺神社」にたどりついた。
 その「益多嶺神社」を確認すると、「甲子大国社」の名で知られているという情報が得られる。

 「たんぽぽろぐ」というブログに、その神社が案内する由緒がそのまま紹介されているのをみつけた。
 http://momijiaoi.blog.jp/archives/1064241047.html
 注目は、その中で以下のように案内される「甲子祭」の解説だ。
 甲子祭
 毎年6回甲子の日国家の泰平講社氏子信徒の家運長久商売繁盛学業成就交通安全を祈る。
 延喜式神名帳収録(905年)以前より今日まで諸国甲子講を組織し心願成就の御神徳を仰ぐは皆当社の古式によるものにして甲子の御祖甲子大国様と尊称する以所である。


 つまり、この神社は、大国神としての国造りの神・農業神・商業神・医療神などの信仰、縁結びの神、武神、軍神としての信仰と甲子講が習合された形で継承されていると読み取れるということだ。

 弁天堂の後ろに建つ「大国主大神」碑に刻まれる「磐城国小高」・「甲子」・「大国社」のキーワードは、「益多嶺神社」の「甲子講を組織」するという由緒案内と重ねても自然である。    
 この小高の「郷社益多嶺神社」がかかわる碑だろうとの推測が成り立つと思えるのだが、どうだろうか。

 この時点では、「磐城国小高町大江」と刻まれたその「大江」というのが、ちょっとひっかかったままだた。というのは、この神社は現況は「南相馬市小高区大井字宮前」に鎮座する。「大江」ではなく「大井」なのだ。
 しかし、この神社の風景図の古書に「福島県磐城国相馬郡小高町大字大江 延喜式内 郷社益多嶺神社之景」と案内されているのを偶然見つけた。
 少なくともここが「福島県磐城国相馬郡小高町大字大江」という時代があったということは明らかだ。
 
 なお、この神社のある小高区は、東京電力の原発事故の影響で避難区域に指定されていたが、昨年7月に、放射線量が比較的高く1世帯がある「帰還困難区域」を除いて避難指示解除されたとの情報がある。
 「今日の南相馬市小高区」というブログに、「小高区大井の甲子大国社例大祭」が開催されたことが紹介されているのを見た。
 http://blog.goo.ne.jp/konno_y/e/034b782b3139495b11b1c8dc3bd52655
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# by shingen1948 | 2017-06-10 09:40 | ★ 季節便り | Comments(0)