地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
 「兵戈無用」の石碑を建てた西蓮寺住職秋月亨観氏の思いを想像するのに、「朝日新聞」のザコラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅2016/7/7)」を参考にしている。
 このコラムでは、まずは福島県猪苗代湖の長谷川信氏の石碑を紹介し、経歴や日記から信氏の思いが紹介される。
 次の項で、母校明治学院大学が、その「百年史」でこの信氏の評伝にほぼ一章分を費やして記録するという取り組みが紹介される。
 更に、次の結語の項では、この時の参院選では集団的自衛権容認が争点にならず、与党は改憲に触れようとしないことへの疑問という時事的な観点を挟んで、次のように結ぶ。
 会津若松の長谷川家の菩提寺西連寺に「兵戈無用(ひょうがむよう)」の碑がある。悲劇を忘れぬため02年に前住職の故秋月亨観さんが建立した。大無量寿経にある恒久平和を祈る言葉だ。信が涙した祈りを忘れてはならない。

 会津とのかかわりで気になるのが、このコラムの明治学院の取り組みにかかわって紹介される井深梶之助氏だ。氏は、14歳で会津戦争を経験している方だが、明治学院の創設者ヘボンに次いで総理(現学院長)となった方という。
 「明治学院百年史」によれば、信氏の明治学院への進路決定にはかかわってはいないとのことだが、「兵戈無用」の石碑を建てた西連寺住職は気になさっていたのではないかなと想像する。

 このコラムでは、その井深氏が怒りを爆発させたことがあるとして、次のようなエピソードを紹介する。
 「明治」が終わりを告げた時、乃木希典大将が妻と自決し、天皇に殉じた。
 日記に「大ナル心得違ナリ。其ノ不健全ナル思想ノ表現ナリ」と書き、学生には「基督教倫理ノ立場ヨリ判断スレバソノ非ナルコト勿論ナレトモ真ノ武士道ヨリ見テモ心得違ト云フベキナリ」と全否定した。
 万世一系の天皇を中心に据え、欧米に追いつき追い越すための富国強兵をしゃにむに進める国家レジームを追求した果て、無謀な戦争で滅びた敗戦までの日本。
 国家レジームの最初の犠牲者は会津だった。その理不尽さを痛感する梶之助は、天皇制国家のためなら、国民に死をも求めるレジームの不健全さを見抜いたのだろう

 井深氏が乃木希典大将夫妻の自刃を知ったのは、大葬からの帰途であったいう。そのことから、明治45年9月13日の日記ということが分かる。この部分を「明治学院百年史」で確かめる。
 (日記には、)「実ニ意外千万悲惨ノ極ナレトモ実ニ困ッタ事ナリ。大ナル心得違ナリ。其ノ不健全ナル思想ノ現表ナリ」と記している。井深は、乃木夫妻の殉死に対し反対の態度をとった。(明治45年)9月17日、学生に対し乃木の殉死について行った講話においても「基督教倫理ノ立場ヨリ判断スレバソノ非ナルコト勿論ナレトモ真ノ武士道ヨリ見テモ心得違ト云フベキナリ」と説いた。

 コラムでは、信の評伝づくりに当たった元学院長の久世了さんの言葉を借りて井深氏が「天皇のためなら死ぬのが当然という殉死の思想に潜む危険性を心底嫌った」事を記し、信氏が特攻兵として亡くなり「大君の(おおきみのしこのみたて)」と呼ばれることになったことと対比させている。
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# by shingen1948 | 2017-05-18 09:16 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)
 西蓮寺の碑に刻まれる「兵戈無用」が恒久平和を祈る言葉であり、信氏が涙した祈りを忘れてはならないと建立されたということだ。
 その石碑の礎石に「学徒出陣された長谷川信氏(西蓮寺門徒)のこえ」として昭和19年4月20日の日記から「明日から食堂にいって食卓に坐る時、お念佛しようと思ふ。あのいやな目付きを自分もしてゐると思ったらゾーッとする。眼を閉って、お念佛をしようと思う。」が刻まれる。

 その日の日記の全文を確認する。
 急に梁川が読みたくなった。
 彌陀の誓願不可思議にたすけまいらせて往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心。
 単純なるもの、は美しい
 素朴なるもの、は美しい
 純真なるもの、は美しい
 おおらかなるもの、は美しい
 編上靴の配給を受くる時、自分の飯をもらふ時、腹が減って飯を前にした時、人間の姿や表情は一変する。
 明日から食堂にいって食卓に坐る時、お念佛しようと思ふ。あのいやな目付きを自分もしてゐると思ったらゾーッとする。眼を閉って、お念佛をしようと思う。

 先に「学徒出陣された長谷川信氏(西蓮寺門徒)のこえ」として昭和20年1月18日の日記から抜粋した言葉も刻まれることを記したところだが、【朝日新聞】コラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅)」(2016/7/7)が、戦争を憎悪し、軍隊を嫌悪した言葉として紹介するのは、そのまた後半の次の部分だ。
 今次の戦争には最早正義云々の問題はなくただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。恐ろしき哉、浅ましき哉人類よ、猿の親類よ。

 その日の日記全文を確認する。
 歩兵将校で長らく中シナの作戦に転戦したかたの話を聞く。女の兵隊や、捕虜の殺し方、それはむごいとか残忍とかそんな言葉じゃ言い表わせないほどのものだ。
 俺は航空隊に転科したことに、ひとつのほっとした安堵を感じる。つまるところは同じかも知れないが、直接に手をかけてそれを行わなくてもよい、ということだ。
 人間の獣性というか、そんなものの深く深く人間性の中に根を張っていることをしみじみと思う。人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対しあう民族は各々その滅亡まで戦をやめることはないであろう。
 怖ろしきかな、あさましきかな、人類よ、猿の親戚よ。
 「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅)」(2016/7/7)にこんな記載も残ると紹介される次の文については、まだ確認ができていない。
 「過去において身につけた筈のインテレクト(知性)は一体どこに影をひそめてしまったのであろうか。そこにあるものは喧騒と食べ物の話のみ」
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# by shingen1948 | 2017-05-17 09:53 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)
 西蓮寺に建立された碑に刻まれるのは、「兵戈無用」。
 この言葉、確認してようやく分かったつもりになれたところだ。
 「兵戈を用いること無し」とは読めるし、兵は兵隊であることは分かるが、戈が分からなかった。これを確認すると、戈は盾と矛のほこの意味で、要は武器のことらしい。
 「兵も武器も用いること無し」ということになるようだ。

 もうちょっと確認を進めると、「大谷大学」ホームページに、生活の中の仏器用語としての次のような解説を見つけた。
 「武器も軍隊もいらない」という意味である。
 浄土三部経のひとつ「大無量寿経」に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
 釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。

 「大無量寿経」については「ウィキペディア」で確認する。
 「無量寿経」の漢訳の項に、次の説明がある。
 「仏説無量寿経は、経名に「大」の字を冠して大無量寿経』と称し、略して『大経』とも称する。日本の浄土教の根本聖典の一つで、「仏説観無量寿経(畺良耶舎訳)」「仏説阿弥陀経(鳩摩羅什訳)」とともに「浄土三部経」と総称される。
 浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、この経典を特に重んじ、浄土真宗の最重要経典である。また「浄土三部経」の中でも、「大無量寿経」を根本経典と位置付けている」
 「浄土真宗(ドットインフォ)」というページを確認すると、長谷川家の菩提寺西蓮寺の宗派は浄土真宗のようであり、昨年9月の「親鸞教室」で、「非戦平和」をテーマに太平洋戦争末期、特攻隊員として戦場に向かった西蓮寺門徒「長谷川信少尉」の手記をもとに講座を展開したようである。
 http://jodo-shinshu.info/2016/07/03/6912/

 「Web東京荏原都市物語資料館」では、この「平和の碑」の建立に至る経緯は、「わだつみのこえ」(2002年7月15日発行)116号に西蓮寺住職は秋月亨観氏が「 西蓮寺『平和の碑』建立に思うと題する記事がある事を紹介する。
 その記事を確認することを試みたが、今のところできていない。
 ただ、「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅)」という【朝日新聞】コラム欄(2016/7/7)の結語の部分に、次のように紹介されているのを見つけた。意図されることは大差ないものと想像する。
 会津若松の長谷川家の菩提(ぼだい)寺西蓮寺に「兵戈(ひょうが)無用」の碑がある。 悲劇を忘れぬため02年に前住職の故秋月亨観(こうかん)さんが建立した。大無量寿経 にある恒久平和を祈る言葉だ。信が涙した祈りを忘れてはならない。

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# by shingen1948 | 2017-05-16 09:33 | Comments(0)
 会津の人々が、会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで、御両親、親友、恩師について確認してきたが、それらは相互に影響し合っていることが分かる。
 その間に発行される週刊誌、新聞の記事、それに信氏の母校明治の百年史の発刊なども影響し合っている。
 その「明治学院百年史」が発刊については「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑥」から「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑨」に整理しているが、これが昭和52年(1977)だ。
 「明治学院大学の戦争責任への取り組みと平和教育をめぐって」によれば、これには「朝日新聞」夕刊が肯定的に反応しているとのこだ。

 その後の会津の人々が会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで確認できるのが、信氏の菩提寺だ。
 「朝日新聞」のザコラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅2016/7/7)」に、平成14年に、長谷川家の菩提寺である西蓮寺住職が「兵戈無用」の石碑を建てたことがふれられている。
 「Web東京荏原都市物語資料館」で、その石碑の概要が確認できる。
 その石碑の礎石に「学徒出陣された長谷川信氏(西蓮寺門徒)のこえ」とあって、「きけわだつみのこえ(日本戦没学生の手記から 東京大学出版会発行)」に収められている日記の一節が記される。
 [昭和19年4月20日]
  明日から食堂にいって
 食卓に坐る時、お念佛しようと思ふ。あのいや
 な目付きを自分もしてゐると思ったらゾーッとする。
 眼を閉って、お念佛をしよう
 と思う。
 [昭和20年1月18日]
  人間の獣性といふか、
 そんなものの深く深く
 人間性の中に根を張っ
 てゐることを沁々と思ふ。
 (人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ)
  今次の戦争には最早
 正義云々の問題はなく
 ただただ民族間の憎悪の
 爆発あるのみだ。
 敵対し合う民族は
 各々その滅亡まで戦を
 止めることはないであろう。
 恐ろしき哉、浅ましき哉
 人類よ、猿の親類よ。
      ―抜粋―
 氏は昭和20年4月、特攻隊員として沖縄沖にて戦死、享年23歳
 21世紀第1年12月西蓮寺20世利(?)之

 「Web東京荏原都市物語資料館」では、それとなく18日とされる手記は、20日の手記の最末尾の部分であり、()部分が中略されていることを思わせる紹介になっている。
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# by shingen1948 | 2017-05-15 09:56 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)