今回の飯坂散策の出発地点を花水坂駅とした。それは、古関裕而氏の飯坂疎開先二階堂魚店の最寄り駅だと思ったからだ。
この写真の手前に移るのが飯坂古道福島道の現花水坂表示のある坂で、その奥の建物の奥がその花水坂駅だ。
今回は、古関裕而氏飯坂疎開地確認のついでに飯坂古道の到着点を探ってきた。
ところが、今回は今までの飯坂散策と感じていることが少し違うようなのだ。気になるのはそれに伴って、この地区の見え方も変わっているように思えたということだ。
それで、その違いの要因をずっと確認していたのだが、どうも坂道に対応する感覚の違いのようなのだ。
今までの散策は何も考えずに飯坂駅を出発点としていた。そうすると、飯坂散策のおおよそは下り道となる。
それに対して、花水坂駅を出発地点とすれば、飯坂地区散策のおおよそは登り道となるということだ。
花水坂駅を降りて、花水山不動尊経由二階堂魚店まででさえ、徒歩ではかなり急な上り坂になる。更に、そこから先の立町まで坂道は続く。右に折れて立町に入ってようやく平坦な道筋となる。
それだけではない。
この地区は起伏に富んでいるのだが、今回はその基準点をしっかりととらえていることになるようなのだ。
というのは、飯坂線が小川を過ぎて花水坂駅―飯坂駅の敷設が等高ラインとして起伏にとんだこの地区の高低差のベースとして捉えることになるようなのだ。
小川から花水坂駅までの飯坂線西側は、徐々に高くなっていく。その高くなった地点が八景という地名になっていることからも分かるように河岸段丘的地形になっている。その手前が、その地形の河床的な地形なのだろうと想像する。
飯坂地域の段丘は、それを構成する河岸段丘と河床の地形の上位と見える。
小川から花水坂駅までの飯坂線東側は、飯坂線敷設ラインよりも低地となっている。河床的な地形を更に削り取ることによってできた地形のように見える。
飯坂古道の福島道は飯坂線敷設ラインの東側で、飯坂線敷設ラインよりも低地となる。そこから飯坂線敷設ラインの西側の河岸段丘と河床の地形まで登る坂坂が花水坂という坂道の概念になるのだろうと思う。
古い地図を見るとその花水坂を上り、二階堂魚店あたりから湯山城のある河岸段丘的な地形まで登る坂道が「飯坂」の坂道まで直線的に描かれ、湯山城の虎口に至るように描かれる。
今のところ、それが飯坂の散策資料に「昔は現在の花水坂駅あたりから立町、古舘にかけて立派な鳥居や参道が整備されていた」と紹介される現消防署裏の八王子熊野大権現がかかわる道筋だったのではないかと想像している。
その情報の背景は「立町には権現市といわれる糸市が立った」とあることとかかわるようだが、今回の整理はそこまでにする。