地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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<   2016年 07月 ( 20 )   > この月の画像一覧

 「信夫地方の鉱山」ということで整理しているが、実際には信夫地方の東側の鉱山の整理になっている。
 その地域の中でも鉱山にかかわり深いのは高子地域らしいのだが、その事は整理していく中で知ったことだ。
 その高子地域付近の鉱山についての資料も、これ以上は見つかりそうもない。そう思って「高子二十境」にかかわる情報をその脇見として眺めていたところだった。
 散歩人としては「高子二十境」それ自体に興味はないのだが、一応は確認しておかなくてはならない厄介なものなのだ。

 今回かかわるのは「帰雲窟」だ。
 「高子鉱山」や「富保鉱山」・「上保原鉱山」の位置確認とのかかわりで、羽山の西方に「帰雲窟」という地名がある。その情報の処理だ。
 この地名は「高子二十境」の「帰雲窟」から命名されたのだとは思う。ただ、この地名の位置が「高子二十境」で示される「帰雲窟」の位置ではないということだ。

 「高子七境の確定とネーミングの手法」のページの情報によると、その元々の位置は高子山の西側に示されていた。それで、高子山の「高子二十境」についての情報を眺めていたのだ。
 「高子二十境」のうちの七境は高子山にあり、その確定とネーミング手法がこのページの趣旨のようだ。
 その「高子七境」を確認すると、「丹露盤」・「玉兎巌」・「長嘯嶺」・「龍脊巌」・「採芝崖」・「帰雲窟」・「将帰坂」とのことだ。
a0087378_16475673.jpg 「丹露盤」が山頂で、そこに案内板が建つことについては、先に整理している。こちらに誤りはないようだが、「高子20境「龍背巌」と首塚」として整理した「龍脊巌」の方は誤りのようだ。
 この地名も本来の位置ではないということのようだ。案内板は建っているのだが、それは間違った案内だということのようだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/9390709/
 この七境にかかわるネーミング手法を確認すると、玉兎巖・丹露盤・将帰阪・長嘯嶺は、中国の古典に材をとって美称化したものとのことだ。正直に言えば、散歩人は風景を楽しむほどの素養を持ち合わせていない。今のところ「丹露盤」は山頂からの風景を楽しむという以外はパスするしかない。
 それに対して、「採芝崖」と「龍脊巖」、そして「帰雲窟」は、その場所の風景や雰囲気を反映させる(美称化する)方法を取っているというのだ。比喩されたものについてはパスするしかないが、現地の風景を楽しめる可能性はあるということだ。
 それで、その情報を眺めていたのだが、「帰雲窟」は、「金鉱山の坑口(岩穴)から立ち上る雲をイメージしている」というのが出てきたのだ。
 金山かかかわりなら、これにふれておく必要があると思ったのだ。
 「『高子二十境』めぐりお薦めコース」のページには、「帰雲窟(金山の抗口)」という写真が掲載される。ただ、地図で確かめると現地は現在採掘場になっているように見える。
 http://datenokaori.web.fc2.com/sub14.html
 なお、「採芝崖」は、霊芝(きのこ)を採るイメージを重ねた崖ということのようで、「龍脊巖」は、龍の背びれのイメージを重ねた巌ということのようだ。
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by shingen1948 | 2016-07-30 09:54 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 手持ちの「福島の鉱山」資料では、「高子鉱山」の次に「柱田鉱山」が解説されるのだが、途中まで田。「福島鉱山」の資料がほしくてコピーしたものなので、そのページしかないのだ。今思えば、次のページもコピーしておけばよかったなと思う。
 全体の概要は分からないが、位置情報は確認できる。
 保原町から掛田町に通ずる県道の西側に分れ、伊達郡柱沢村柱田にあり、片状花崗岩を貫いてこれを被うた石英粗面岩中にあり、道路の北側葉山のものは走向N20°wで西に傾き、巾0.3m以内であり、その南方約1㎞の金山のものは、石英粗面岩中を南北に貫くもので、数条……
 この鉱山と今まで整理してきた鉱山の位置関係が分かるように、今まで整理してきた鉱山等が図の左端に示せるように配置した。
a0087378_8473385.png 「柱田鉱山」にかかわるものは、この図の右端に配置される。
 「保原町から掛田町に通ずる県道」とあるのが、県道349号線だと思う。それを赤線で示した。「これを西に分かれて伊達郡柱沢村柱田にある」とのことだが、「道路の北側葉山」それ自体は確認できないのだが、一応、柱沢小の北東の高まりを想像しておくと矛盾しないように思う。
 「その南方約1㎞の金山」は、県道を挟んだ「字金山」の山裾だろうと思う。

 「柱田鉱山」の概要が確認できる資料を探してみたが、なかなか見つからない。
 「だてめがね」というページの「箱崎愛宕神社」の案内に、この辺りの金山についてふれた次のような部分があるが、そこに柱田の地名も登場する。
 「金山は箱崎から保原柱田の山々に広がっており、伊達氏が開発したと伝えられる」とある。「箱崎愛宕神社の獅子舞」は、天文7年から始まるのだそうだが、これが箱崎愛宕山の金鉱山の工夫たちによってはじめられたとの説もあるということらしいのだ。

 この「だてめがね」では、先に整理した高子沼の鉱山関係の出土について以下のように解説する。
 昭和初期に高子沼の底から中世のものと見られる鉱石粉砕用石臼や廃鉱石が多数出土したことから事実であると証明されています。高子沼には、伊達政宗が豊臣秀吉に伊達郡を召し上げられたとき、土手を築いて沼とし、金の精錬所跡を隠したという伝説が残っています。
 「福島の鉱山」では、その出土品を「極めて簡易な石臼と共に鎌倉時代の遺品を存し、頼朝征伐の際、坑口を水没せしめて沼としたという伝説を裏書きし、また湖畔には徳川時代の金鉱粉砕用石臼を畄(と)めいている」とした。それを、「中世のものと見られる鉱石粉砕用石臼や廃鉱石が多数出土した」とし、伊達政宗が隠したのも精錬所としているという違いだ。
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by shingen1948 | 2016-07-29 08:54 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 散歩資料でこの辺りが紹介されるのは「高子二十境」だ。
 高子駅の案内板では、次のように紹介される。
a0087378_17452622.jpg それほど興味があるわけではないが、案内を元に東側を散策したことがあった。ただ、元々の位置と案内の位置がずれることがあるらしい。その原因について「名勝的景観『高子二十境』のイメージについて(小林恵一)」では、明治期に字名にこの高子二十境から命名されたものがあるのだが、これが必ずしも一致していないものがあった事と、それらの混乱のままに案内柱が建てられたことだと指摘する。
 今まで整理してきた「福島の鉱山」とかかわる部分で確認すると、「高子沼」が「高子阪」で、「羽山」が「白鷺峰」ということのようだ。案内板では「羽山」西手に「帰雲窟」が表記されるが、こちらは字名に過ぎず、本来の「高子二十境の帰雲窟」は高子山にあるという。
「雩(う)山」は、保原の境界を示すのに「保原町高成田」を表記した山で、その道筋沿いの「鬼返り」を表記した辺りが本来の「走馬領」とのことなので、案内板とは微妙に違うらしい。
 さて、「福島の鉱山」では、その高子二十境「高子阪」である「高子沼」と金山とのかかわりが次のように案内されている。
 本金山は古来産金の伝説に富み、嘗てこの沼を排水して調査の結果泥土の底には極めて簡易な石臼と共に鎌倉時代の遺品を存し、頼朝征伐の際、坑口を水没せしめて沼としたという伝説を裏書きし、また湖畔には徳川時代の金鉱粉砕用石臼を畄(と)めいている。
 「坑口を水没せしめて沼とした」ことと「極めて簡易な石臼と共に鎌倉時代の遺品を存」したことをもって、「頼朝征伐の際、坑口を水没せしめて沼とした伝説」との結びつきを紹介している。
 「坑口を水没せしめて沼とした」こととかかわる伊達政宗と結びつける伝説もあるようで、「保原町商工会」のページではこちらを採用する。
 http://www.do-fukushima.or.jp/hobara/history/history01.htm#5
 高子沼
 あの有名な独眼竜政宗が金鉱を隠すために堤防を築き、そしてそこに水を引いて沼にしてしまった、という話があります。
 彼が戦国時代に長期にわたって勢力を維持出来たのも多くの黄金を所持していたからだといわれており、そして、金鉱の採掘に相当な力を注いでいたのも事実です。
 正宗が豊臣秀吉らによって仙台に移されてしまい、信達地方は会津の蒲生氏の所領になってしまいました。
 その際正宗は数年をもって信達地方を取り戻す腹だったようです。
 そして、正宗はこの高子金山を蒲生氏にわからぬように隠してしまうために水を引いて沼にしたという話があります。

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by shingen1948 | 2016-07-25 17:44 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 昨日までに整理した「富保金山」と「高子金山」の昭和の時代の推定位置を赤字で示した。富保金山の事務所は、岡島宮崎の東北のここに建物の印があったことと、岡島字瀬戸沢という所在地と地形との関係からの推測だ。」
 この図に上保原高森の推定位置を茶文字で示してみた。
a0087378_9183019.png 「福島の鉱山」の「高子鉱山」の項で「上保原鉱山」にふれるが、その位置がこの辺りでなかろうかとの推定だ。
 「福島の鉱山」では、その位置を「高子鉱山」の南側としか示していない。それで、「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」を確認すると、「上保原鉱山は字高森と称し阿武隈川の低地に接する小丘の東側にあり」と具体的に示されている。

 その上保原村の「字高森」だが、現在、上保原村は保原村と共に伊達市の行政区の範疇になっている。
 まずは、上保原村の範囲を確認すると、伊達市の保原町上保原と保原町大柳が、昔の上保原村にあたるということのようだ。その保原町大柳の範囲を眺めると、そこに「高森」の地名がみえる。
 恐らくこの辺りが旧上保原村の「字高森」の範囲なのだろうと想像する。
 これを、昨日までの整理の図に記入してみたということだ。

 この図には、「高子鉱山」、「富保鉱山」「「上保原鉱山」の3つの鉱山の推定位置を示したことになるが、その開発順序は、まずは明治時代に「上保原鉱山」の探鉱があって、昭和の始めに日本鉱業によってこの「高子鉱山」が探鉱されたということのようだ。
 「上保原鉱山」の鉱脈は、桂田村の各所に現出するものと同じで、嘗て其の山麓に堆積した廃鉱が銀成分に富んでいることを発見して、これを半田銀山に送って製銀したということだ。
 しかし、明治31年時点では、「本山は往昔盛んに採掘せられたるものの如く慈に数多くの旧鉱あり鉱脈は之を其旧鉱に徴するに数条ありて皆な南北に走れるものの如く坑口は悉(ことごと)く埋没して坑内の状況を知るに由なし」という状況で、その残鉱も存在しないということのようだ。
 「高子鉱山」の探鉱もうまくいかずに、すぐに休山になったという事らしい。「富保鉱山」も昭和4年の探鉱のようだが、こちらは昭和14年まで続いたということだ。
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by shingen1948 | 2016-07-24 09:20 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 「福島県富保金山産蛍石及び数種の硫化亜鉛鉱の産状(渡邉満次郎)」の昭和15年版と推定される資料では、当時の地図上に描かれた地質図が提示されていた。
a0087378_1764171.jpg その位置については、前回に整理したことと重なるのだが、こちらでは「事務所を岡山村字宮沢の東北に置く」という紹介が付け加わる。しかも、鉱床がほぼ南北に貫く数条の鉱脈からなるのだが、特に重要なのは事務所付近の数条であることが紹介される。これが「岡山坑」とかかわるのだろうと推測する。
 地質図の「富保金山」とある南側の池の脇を通る道筋の西側に二つの建物が描かれるのだが、この辺りが事務所なのかなと想像する。先の岡島字瀬戸沢の位置情報は、ここを指しているのかもしれないと思う。

 その沿革について、次のように紹介される。
 本鉱床は昭和4年高山某氏の発見に係り、一時盛んに採掘製錬せられたるも、昭和14年春火災によりて中断し、同年7月株式会社鐵興社の手に帰し、再び採掘を開始せられたるも、下部の状況良好ならず、本年4月遂にその業を休むに至れり。
 本年とは、昭和15年だろうかと思う。

 この地図には、「高子金山」も描かれているが、「脳病院」「羽山」の位置との関係、国道の道筋とのかかわりなどから、こちらもほぼ推定があっていたように思う。

 なお、この資料では「蛍石」と「亜鉛鉱」に焦点化されているのだが、その事については、次のように紹介されている。
 然れども(休山にはなったが)、鉱石の一部はなお坑内及び坑外に残存し、之を観察するにその大部分は普通の淺成金鉱脈に過ぎざれども、その一部分に蛍石を伴なひ、或は多量の放射繊維状硫化亜鉛鉱より成る累被層を挟み、それらの点にて宮城県細倉鉱山にて嘗て産せる鉛亜鉛鉱に類し、普通の金鉱脈とは趣を異にす。加ふるに、前記の亜鉛鉱の外、水飴色粒状暗褐色板状及至粒状のもの等、数種の硫化亜鉛鉱を産し、特筆に値するものあり。
 依って筆者は去る6月中本鉱山を調査の上、それら数種の標本を得、観察の結果を記載することとせり。
 本調査中富保鉱山職員多々良良、塙正両氏は種々の便宜を與へられたり。

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by shingen1948 | 2016-07-23 17:11 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 先に岡島字瀬戸沢の位置情報が見つけられずに、山口村の瀬戸沢を富保金山位置と推定しまったのだが、しっくりいかない所があったので確認をしていて次のような位置情報を得た。
 「福島県富保金山産蛍石及び数種の硫化亜鉛鉱の産状(渡邉満次郎)」に、その位置が「富保金鉱床は福島県信夫郡岡山村及び同鎌田村と伊達郡上保原村及び同富成村との界に存す」とあったのだ。

 富保金山所在地を情報通り、岡島村中心に推定することにする。その上で、保原との境界線近くの岡山村の信夫郡鎌田村との境界付近を確認して図示する。
a0087378_9224679.png 鎌田村境界付近の小字を「福島の小字」を活用して確かめ、地図上の地名と見比べて図示する。「菖蒲田」→「天神平」→「天神平山」→「大戌ケ山」と紫の文字で示したのがそれだ。
 「大戌ケ山」と示した付近は、現在の地図表記では「中森山」と表記されるようなので、それを緑文字で示した。

 岡山村の保原との境界線近くの小字名も紫の文字で示した。「鬼返り」→「問答山」がそれだ。

 現伊達市側だが、この辺りの伊達郡上保原村及び同富成村との界は「現保原町上保原」と「保原町高成田」との界辺りだと思われる。そこを道筋が通るので、ここがおおよその村界と推定した。

 「福島県富保金山産蛍石及び数種の硫化亜鉛鉱の産状(渡邉満次郎)」の本文には、「岡山坑の北方延長線上に近き福島脳病院前等には玄武岩の烈しく分解して、白色粘土状に変化せる部分に多量の黄鉄鉱を有するものあり、(以下略)」とある。病院の種類は分からないが、「福島松ケ丘病院」をそれと想定してみると、病院の南方が「岡山坑」の位置ということになる。
 また、本文中の資料として「山神坑」と「岡山坑」が図示されているのだが、その図を頭に入れて、昭和50年の航空写真を眺めると、月の輪台団地の国道を挟んだ向かい側の高まりに人工的な作業跡が見えるのだが、これが「山神坑口」とかかわるのではないかと勝手に想像する。その高まりの東側に断層線らしき地形の特徴も見えるような気がする。
 そこから、東に池のある方向に「山神坑」が延びていると推定し、それとクロスして南北に「岡山坑」が延びていると推定すると、先の病院との位置関係も矛盾ない。
 また、航空写真では、その池の北西側に人工的な作業跡らしきものが見える気がするが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2016-07-22 09:25 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 今まで信夫地方の西側を中心に南側の金山・銀山・銅山の鉱山を整理してきたつもりだが、「福島の鉱山」の手持ち資料の部分で、説明の途中に「土湯鉱山」の名称があったのが気になっていた。
 ネットでの確認では、「山師入門」のページに、この「土湯鉱山」について次のようにふれているのをみた。解説内容追加ページらしいが、そのおおよその位置が分かる。
 「土湯温泉の西4.5kmの荒川上流にある。変朽安山岩に入った石英脈にある低品位の金を掘った。高山(1804m)から下山の際に立ち寄るには離れすぎている。土湯から歩いてゆくしかなさそう」
 http://yamasinariya3.jimdo.com/%E5%86%85%E5%AE%B9%E8%BF%BD%E5%8A%A0/

 信夫地方の東側沿い、保原との境界線上にもう少し整理を続ける。
 「岡島宮沢」までそのおおよその位置を概観してきたところだが、「福島の鉱山」の手持ち資料では大笹生鉱山の次に、高子鉱山が紹介される。
 次のような位置情報だ。
 伊達郡上保原村の西南端に近く、福島、保原街道に沿って高子沼の南岸にあり、玄武岩質凝灰岩に被覆された片状花崗閃緑岩を南北に貫く石英脈で数条あるが、その巾0.5m前後に過ぎない。
(中略)
 昭和の始め産金奨励の波に乗じ、日本鉱業の手によって一時探鉱されたが、発展を見ずに休山した。尚この南を明治30年頃上保原鉱山の名で探鉱した。
a0087378_1552915.png まずは、「福島、保原街道に沿って高子沼の南岸にあり」との情報確認だ。
 次に、「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」の「富保金山」紹介にかかわって、「高子金山」について、次のように紹介される。
 「(近くに)高子沼があり、羽山の北西には高子金山の跡があるが、現在はソーラー発電所になっているようだ」
 二つの情報を合わせると、「高子鉱山」は、保原街道に沿った高子沼の南側で、羽山の北西側という位置が推定される。

 更に、「MASAの道中日記」のブログで、「高子二十境(松浦丹次郎)」に紹介される金鉱山の坑口の写真を元に、箱崎の愛宕山との位置関係を考察しているものを見つけた。
 こちらを「高子鉱山」の方向補正資料として活用させていただいて、その位置を推定させていただいたが、どんなものだろうか。
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by shingen1948 | 2016-07-20 15:01 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 「ふくしまの歴史(近世)」では、「信夫地方の鉱山業」として、大笹生鉱山を中心に、「小池鉱山」、山口村の金山、御山(信夫山)、椿舘(渡利)、湯野、平沢(桑折町)の鉱山にもふれる。
 このうち、「大笹生鉱山」と「小池鉱山」については整理したが、他は整理していない。
 今まで信夫地方の西側を中心に南側の金山・銀山・銅山の鉱山を整理してきたが、信夫地方の東側と北側の鉱山については確認できていないことが分かる。

 まずは、確認できていない情報を拾う。
 山口村の金山情報資料として、堀田氏の時代の元禄3年(1690)の日記に記されたものがあるという。願い出たのは粉又の渡辺又郎だとのこと。福島商人がかかわるようだ。「ふくしまの歴史(近世)」では、その位置を文知摺観音東方の字金山付近とする。
 その解説には、岡島宮沢金山跡とする写真が掲げられ、山口、岡島から保原町にかけて金山があり採掘され、他にも小規模な鉱山が散在したと解説する。
 御山(信夫山)、椿舘(渡利)について、享保15年(1730)試堀で銀が産出したとの情報もある。
 湯野、平沢(桑折町)の鉱山については、金山があったと言われているという推定程度の紹介だ。

 「山口、岡島から保原町にかけての金山」の位置情報をプロットしてみる。
a0087378_17451378.png まずは、「文知摺観音東方の字金山」は、ヤフーの地図から拾う。
 「岡島宮沢金山跡」は、この図の枠には入らなかったが、この北側で、宮前遺跡の南側の山裾を想像する。上保原宮沢もあるが、「岡島宮沢」とのことなのでこちらだろうと思う。

 「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というページで、次のように紹介される「富保金山」があるが、所在地が岡島字瀬戸内とのことなので、この近くのはず。
 富保金山は福島市岡島と伊達市保原町上保原との境にあり昭和4年に発見され山神坑と岡山坑の2脈で一時盛んに採掘されていたが昭和14年火災により中断、 その後再開し岡山坑北側延長下部を掘進したが状況悪くすぐに休山となった
 ただ、確認したら、地図上では山口字瀬戸沢しか見つからない。それで、とりあえずそこをプロットするが、矛盾はなさそうに思う。
 近くに「山神」の地区名を見つける。紹介文中の「山神坑と岡山坑」とかかわるのかどうか分からないが、とりあえずプロット。
 このページでは、高子金山を紹介した後、「保原町側には多くの金山があったが現在は分らなくなっている」とある。逆に読み取れば、保原町側には、どこにも紹介はされない多くの金山があつたということになる。ということで、保原との境界線を意識して、全体を見渡す。
 ここで、素人目線で気になりだすのが「鹿島神社」の存在かな。
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by shingen1948 | 2016-07-18 17:47 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 昨日の整理で、当時ラジオはなかなか手が出ない高級品だったはずだとし、我々でもそのラジオの世界に手が出せる接点として鉱石ラジオがあったはずだとしたが、ちょっと心配になった。というのは、この前提の話は自分の経験によるもので、もし自分の経験が特殊なら、この前提は崩れるからだ。

 自分が小学校の時代、会津若松には「若松ラジオセンター」という電気屋さんがあって、当時、ここではラジオを組み立てて販売していた。注文を受けると、〇〇スーパーなる高級ラジオを組み立ててくれるのだ。
 我が家でも、その高級ラジオを組み立ててもらったのだが、その音の良さや安定感に感激したものだった。
 近所には、この組み立て技術者が下宿されていたのだが、この高級ラジオを組み立てられた方ということで、小学生だった自分にはあこがれがあった。

 そんな時代に、高校生の従弟に自分で組み立てたというゲルマニュームラジオを聴かせてもらったのだ。この感激も強烈だった。しかも、このゲルマニュームラジオなら小学生の小遣いでも簡単に手に入れることができるというのだ。
 それで、その従弟に頼んで部品を買ってもらい、その工作を教えてもらいながら自分で組み立てたのが、最初に手に入れたラジオだったのだ。
 思い出したのは、これを肌身離さず持ち歩いていたことだ。長い金属部を見つけては、それをアンテナに試してみていたのだが、河川沿いの通信線にアンテナ部分を接触させた時に、ラジオ以外の音声も聞こえたという秘密も思い出した。
 これが、昭和の半ばの会津の小学生の体験だ。

 そこからの想像で、大正時代のラジオはもっと高級感があっただろう。また、「鉱石ラジオ」は、「ゲルマニューム」検波部分が、まだ「鉱石」で、この鉱石へ金属針を接触させて適切な整流作用のある位置を探るものだったという想像の広げ方をしてみていたのだ。
 発明クラブの講師の方の話からは、少なくとも松川地区という狭い範囲なら、似たような感動体験があったとの想像はそれほど間違ってはいないようにも思うが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2016-07-16 11:46 | 福島の鉱山 | Comments(0)
 「松川のあゆみ」の中で「大正時代の鉱業所長の松尾良三氏が、松川町に鉱石検波ラジオを設置した最初のひとり」との紹介がある。紹介はこれだけなのだが、当時ラジオはなかなか手が出ない高級品だったはずだ。我々でもそのラジオの世界に手が出せる接点として鉱石ラジオがあったはずなのだ。
 しかも、その材料の一部に「松川鉱山」の鉱石が使われるという状況を考えれば興味深い紹介ではないのかなと思うのだ。

 ネットで「鉱石ラジオ」について検索していたら、「郡山市少年少女発明クラブ」の「鉱石ラジオを作ろう」という活動報告のページがあった。
 その紹介に、講師の方が小学生の時代に、近くの旧松川金山から鉱石を収集して、家にあった「針金」やいろいろな材料を使って鉱石ラジオを初めて作った時のお話があって感動したというのがあった。
 http://www.space-park.jp/hatsumei/2015/07/report.html
 「松川のあゆみ」が紹介する鉱業所長の松尾良三氏が設置した鉱石検波ラジオには、当然「松川金山」の鉱石が使われていたことが想像される。

 その原理を「鉱石ラジオ」の解説から引用する。
 「AMラジオの電波は、波の大きさ(信号の大きさ)によって音声信号を表現する振幅変調を使用しているという。
 その振幅変調から音声信号を取り出すことを検波と言う。その検波を担当する部品を検波器と言うのだが、この部品の検波回路に鉱石を用いたものが鉱石ラジオという」ということだ。
 その電波から音声信号を取り出すという検波には、電流を一方向だけ流す整流作用を持つ鉱石に電気信号を通すことになるという。その整流作用を持つ鉱石には、方鉛鉱・黄鉄鉱・紅亜鉛鉱・斑銅鉱・黄銅鉱・輝水鉛鉱 等があるという。
 考えられるのは、「松川鉱山」から採れる鉱石の中に、それらしき鉱石があるらしいということだ。

 「松川鉱山」から採れる鉱石について、先に紹介した「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というページでは、「この近辺の鉱脈は輝銀鉱が多く、銀の割合が多く金の含有率は比較的少ない。肉眼だと花崗岩の黒雲母に見間違えられそうだがルーペで観察すると輝銀鉱だ」との情報がある。
 http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/matukawa/matukawa.html 
 この「輝銀鉱」がかかわるのだろうか。
 鉱物マニアの方のページには、松川鉱山の「濃紅銀鉱」の紹介をみる。そのページで、「松川鉱山」は「鎌倉時代に発見されたという程の古い鉱山で終戦直前の金山整備令の中でも生き残った金銀鉱山」と紹介される。
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by shingen1948 | 2016-07-15 09:34 | 福島の鉱山 | Comments(0)