地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

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湯野の切湯温泉

 「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて行く中で、その子規が湯野の温泉に泊まったという情報に出会う。「はて知らずの記」の描写からは鯖湖温泉に泊まっていると思うのだが、一応その情報を確認することにした。
 その情報の一つが「松葉屋」で、もう一つがまだ不明なところがあるが「和田屋」というものだ。いずれも、その根拠となるものは確認できていない。

 「松葉屋」説は、「パルセいいざか」の掲示板にある。「はて知らずの記」の解説文の中に、「松葉屋」説を打ち出している。
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 現時点で情報を確かめられそうなのは、新松葉屋だ。
 その沿革を確かめると、明治45年に割烹旅館新松葉として木造2階建てで開業とある。飯坂温泉の中でも屈指の90年の歴史を誇るが子規にはやや足りない。そう思ったら、当時の松葉屋から独立したとある。
 確かに、古い地図では、「シンマツバヤ」と「松葉ヤ」が並んでいる。先に想像したように、「新松葉屋」の本家筋が「松葉ヤ」ということのようだ。
 ここに位置情報が含まれていて、古い建物の入り口は、共同浴場「狐湯」の所だったいう。
 現在の玄関位置は、昭和38年の鉄筋コンクリートの新館建築の時点のようだ。

 「はて知らずの記」には旅館の具体名はなかったはずで、自分はその描写からは鯖湖湯の旅館を想像する。
 それでも、この情報の確認で、子規が朝の散歩で眺めた湯野側の景色が少し明確になる。
 整理すると、この新松葉屋は創業明治45年ということなので、子規の時代は存在しない。その本家である「松葉屋」が、割烹旅館としてあったわけだが、ひょっとすると今の新松葉屋に近いのかもしれない。
 そして、この北側の共同浴場「狐湯」との間に、子規が感じた「家のあひの滝」・鏡花の「藤の花なる滝」が流れ落ちていたのではないかという想像ができそうだ。もう一度繰り返して記す。

 涼しさや瀧ほどばしる家のあひ
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by shingen1948 | 2010-10-31 06:18 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)
 湯野の温泉の詳細にこだわったのは、子規にかかわって分からないことがいくつかあるからだ。

 「涼し」をテーマに芭蕉を追う子規は、飯坂温泉に宿泊する。そして、次の日小雨降る中、十綱橋まで朝の散歩をする。その時に、勢いよく流れ落ちる滝のある湯野側の風景に感心している。
 「はて知らずの記」では、「向かい側の絶壁によりそって、三層楼が立ち並ぶ間から、一條の飛爆玉を噴て走り落ちるのも珍しくいい景色だ」と、湯野側の景色を描写している。
 しかし、飯坂では十綱橋や鯖湖湯を訪れた子規は紹介されるのだが、この子規が感じた湯野側の風景についてのヒントを得ることができないのだ。

 その「三層楼が立ち並ぶ間から、一條の飛爆玉を噴て走り落ちる」のは、西根堰の調整水路から摺上川に側に水量調整のために排水された水だろうということは直ぐに想像がついた。
 子規が訪れる7年前の明治19年に西根堰まで湯野側の道が拡張されている。
 それまでの飯坂側からみた湯野の景色は、切り立った山の中に、北側の「狐湯」・中央の「切り湯」、そして橋の辺りに「下の湯」の湯けむりが上がるという山の風景だった。
 その山を、やや奥まった所を走る西根堰まで削り取って道を広げたのだ。したがって、その西根堰から上の高台の崖はむき出しになった風景だったはずだ。
 そこに、新たな旅籠が立ち並びはじまったというのが、子規が訪れて目にした湯野側の景色だと思う。
 その中に摺上川に流れ落ちる滝があって、これが見事な風景と見えたのだろう。
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 そんなことを想像しながら湯野側の風景を眺めてみるが、この調整水路から流れ落ちる滝も、今は旅館の影になってよく見えない。
 それでも、木々の間からそれが僅かに見えるスポットがある。


 眺めているのは覗き込んだ小さな景色だが、その想いは、この滝を隠すような建物もない広々とした景色の中に流れ落ちる滝だ。

 涼しさや瀧ほどばしる家のあひ

 子規から2年程時代が経ってここを訪れた鏡花も、この湯野側の「藤の花なる滝」に感嘆している。文人が共通に感じる風景なのか、それとも、鏡花が子規の影響を受けているのかは、分からない。
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by shingen1948 | 2010-10-30 05:58 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)
 絵はがきなどを見ていると、「橋本温泉」の元湯のイメージは、摺上川沿いの「綿屋」の北端ということかもしれないとも思える。

 基本となる元湯があって、それを共同の湯源として旅館が発展するというイメージで、湯野側の温泉街を見てみると、もう一つの起点が「切り湯」のような気がする。
 飯坂温泉の紹介によると、この湯は寛永元年(1624)に発見され、切傷に効果あるというのをみる。
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 ここを下っていくと現在の共同浴場「切湯」だが、ここは向かいの波来湯の方から引いていて、川を渡るのに冷めるから少しぬるいんだというような話を聞いたことがあることを思い出している。20年ほど前の話で、その話が確かな事なのかは定かではない。
 

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 古い地図で確かめると、「キリユ」とというのがあって、これが、共同浴場「切り湯」を表しているのは直ぐに想像できる。先の写真に写る建物は、この地図に表記される建物の位置関係からは、「井サノヤ」とかかわりそうだがどうだろうか。

 それはともかく、この地図にもう一つ漢字で「切湯」と表示しているのがある。
 西根堰の鼻毛の隧道から、当時の新道に出てくるあたりだ。
 この「切湯」の表示をどう見るかということだか、これが「切湯温泉」を表しているのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 ただ、今のところ、それを説明する資料にはまだ出会えないでいる。


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 現在、西根堰の遊歩道の整備のために工事中のところだが、四角いコンクリートの所には、共同浴場の「狐湯」の案内標柱が建っていた。これが地図にある「キツネユ」だろうと思う。
 昔、西根堰を探索して、鼻毛の隧道を過ぎると、旅館の脇を通ってこの出口にたどり着くというイメージだったが、これが地図上の「清龍館」だったのだろうと、今になって思う。そこが取り払われて、堰沿いの道を広げて遊歩道にしようとしているというこのようだ。
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 「切湯温泉」だが、「切湯」と「狐湯」という二つの共同浴場があったということだろうか。
 現在の風景と照らし合わせると、「ヤスダヤ」、「信夫ヤ」「シミズヤ」「カメヤ」「松島ヤ」は不明だが、「シンマツバヤ」とかかわりそうなのが、「新松葉屋」だろうか。隣に「松葉ヤ」があって、これが本家筋かなと想像する。

 
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by shingen1948 | 2010-10-29 05:59 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
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 「橋本温泉」をひとまとまりと見た時代のイメージを探るのに、地図に古い地図にある旅館名を重ね、更に、「ゆの村」の「橋本温泉」あたりの旧道を解説する道筋を重ねてみる。

 「橋本湯」近くは、先に整理したような感じでイメージする。
 十綱橋の南側は、「橋本館」が目印になるだろうか。



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 直ぐに確かめたくなるのは、「十綱の渡し」だろうか。
 これは、今の地図とのかかわりで確認できる。魚屋さんの脇道を進んだ所に十綱の渡しに向かう道筋を案内する標柱が建っている。この道が、「十綱の渡し」に向かう旧道らしい。


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 ただし、その標柱に案内されるその先の「十綱の渡し」に向かう道筋は、現在は通れない。それでも、飯坂側からみる十綱の渡しのイメージの補助資料にはなる。


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 橋本館の向かい側のこの辺りに古い地図の「岩村屋」があったのだろうか。現在は、十綱橋から湯の上に登る坂が整備されているか、古くはこの道はなかったようだ。個人的には、この坂のむこう側の喫茶店でたむろした時代が懐かしい。
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by shingen1948 | 2010-10-28 05:41 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
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 今は「仙気の湯」は、湯野側の一共同浴場でしかないが、湯野側の温泉街の中心的存在だったようだ。その中心だった頃の「仙気の湯」の場所は、このホテルあたりだろうと思われる。
 現在の湯野旅館の位置と昔の地図とを見比べてみると、地図上に「橋本館」・「綿屋」・「前野屋」という名の旅館は、現在も似たような位置にある。これらを同じものと想像すると、地図上の「佐藤屋」は、現在の「松島屋」あたりで、それと「綿や」の間に「仙気の湯」を想像する。
 地元を知る方は、この「仙気の湯」を中心に「橋本温泉街」をイメージするのだろうと思われる。


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 先に、地図上の「湯野屋」を現在の足湯付近とみたが、ここに来てみると、足湯の隣に「湯乃家」の看板が見える。こちらが地図上の「湯野屋」だろうか。
 このあたりの道が、こんなふうに広げられたのが明治19年で、当時はここが新道だ。


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 散歩のついでに、また「仙気の湯」に立ち寄った。
 今回、「仙気の湯」の泉質が表記されているのをみつけた。
 源泉名が、若竹分湯槽となっている。「若竹」という名からは、川向かいの飯坂温泉を連想するがどうだろう。それが、先に見た塔に送られて配湯しているということなのだろうか。

源泉名:若竹分湯槽
泉 質:単純温泉
泉 温:60.0°C
ph値:8.648 弱アルカリ性
効 能:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・ 慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
禁忌症:急性疾(特に熱のある場合)・活動性の結核・悪性腫瘍・重い心臓病・呼吸不全・出血性疾患・腎不全・高度の貧血・妊娠中(特に初期と末期)・その他一般に病勢進行中の疾患
 飯坂温泉の共同湯の泉質として一般的に表記されるのは、泉質は単純温泉、泉温が58.5℃、ph値が8.648で弱アルカリ性というものだ。これと大差ない。あえて差を求めるとすると、アルカリ性が少し強く、泉温がやや高めということだろうか。
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by shingen1948 | 2010-10-27 05:16 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
 明治期の飯坂温泉をイメージしたくて確認しているところだが、この仙気の湯の歴史も古いらしい。飯坂温泉の紹介で、この湯は元和4年(1618)に発見され、昭和42年に湯野橋本より現在地に移転されるとあるのを見る。
 「ゆの村(秋山政一)」で、大正の初めに堀井繁太郎氏がスケッチした絵に「橋本温泉」とあるのが、元の「せんきのゆ」との解説を見る。

 湯野側の今の温泉通りができたのは明治19年(1886)だが、その湯野側の温泉街の起点となる温泉の一つが、この「せんきのゆ」だったということらしい。
 ここから東側が高台になっているが、ここを「湯の上」とよぶのは、この「せんきのゆ」の上という事とのことだ。
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 古い地図で確かめると、確かに「綿ヤ」と「佐藤ヤ」の間に「センキノユ」がある。これが「橋本温泉」のようだ。

 近くに現在改築中の共同浴場「導専の湯」があるが、この湯はこの地図にはない。導専にプロットされるのは、役場だけだ。話はそれるが、この位置関係で道路元標が設置されている場所に納得する。
 先の案内で確認すると、この「導専の湯」は、昭和37年(1962)に「八幡湯」「大門湯」と共に開湯したとある。比較的新しい共同浴場のようだ。


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 これは、近くにあった塔だが、これが現在の源泉だろうか。この原点が「仙気の湯」であり、「橋本温泉」ということのように思える。
 「仙気の湯」「導専の湯」そして、この地図では昔「湯野屋」で、少し古くは「婦人会館」だったところの足湯、そして、その近くの温泉へ配湯されているものと想像する。
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by shingen1948 | 2010-10-26 05:09 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
 10月23日(土)の朝、秋晴れのすっきりと晴れて、吾妻山がハッキリと見えた。
 その吾妻山の山際に浮かぶ雲と山頂の噴煙が絵になっているように思ったが、噴煙が嫌に高く上がっているのが気になった。
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 これが、10時頃の様子だ。結構、高く真っ直ぐと白い噴煙が上がっている。

 福島気象台のページを確認したが、静かな状態で、吾妻山については「吾妻山の火山活動解説資料(平成22 年9月)」の発表資料を掲げているだけだった。

 大穴火口の噴気活動はやや高い状態が続いています。火山性地震はやや多い状況となりました。
 地殻変動に特段の変化はなく、ただちに火口周辺に影響を及ぼす噴火の兆候は認められません。
 引き続き、火口内では火山ガスの噴出等がみられますので警戒が必要です。平成19 年12 月1日に噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表しました。その後、予報警報事項に変更はありません。

 最近の活動概要については、「2010 年8月3日に一時的に700m、8月31 日、9月5日に一時的に600mを観測しました。」とある。
 そこには、9月5日の吾妻山大穴火口からの噴気の状況(9月5日17 時07 分頃)写真を掲載する。福島市上野寺に設置した遠望カメラからの映像とのことだ。若宮(沼ノ平火口の西北西約8km)に設置してある遠望カメラでは、沼ノ平火口付近の噴気は観測されなかったとか。その写真よりちょっと高いような気がする。
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by shingen1948 | 2010-10-25 05:25 | ★ 季節便り | Comments(0)
a0087378_59370.jpg 共同浴場「仙気の湯」が改修されたというニュースを聞いていたが、まだ行っていなかった。
 車にはいつでもどこでも風呂に入れる道具は準備してあるのだが、ここしばらくは車は使わないようにしている。遠出は、せいぜい自転車の範囲に留めて生活してみたいということで、近間は、勿論歩き。その時に持ち運ぶリックには、風呂道具が入っていなかったのだ。最近、確かめたい事があって、飯坂温泉に頻繁に出向いてきていた。そのたびに足湯に浸かってはいたが、いつも次は準備しようと思ってはいたがそのままになっていたのだ。

 リックに風呂に飛びこめる最低限の道具が準備できたので、早速仙気の湯に入ってみた。

 まずは、入浴券を買う必要があるのだが、入浴券を販売する店はなさそうなので、歩いていた人に聞いたら、今は、自動販売機が設置されているとのこと。
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 中に入ると、確かにありました。そこで入湯券を購入して、受付に出すという鯖湖湯と同じシステム。
 
 改修されて変わったのは、浴槽部分が二つに分かれたことのようだ。その一方には、42℃の表示があって、もう片方が、48℃の表示。
 近年、観光で日帰り入浴を楽しむ人が増えた対策で、地元の方と共存を目指しての改変ということらしい。
 この改変で問題が改善したかというと、そうでもなさそうな会話が面白い。
 「熱い湯」に陣取った地元の方の会話から、地元の方でも全員が47~48°Cにこだわっているのではなさそうなのが分かる。会話されていた方々の好みは、45°Cらしい。ところが、この改修後は、47~48°C好みの主に地元用の浴槽は占領されて、地元民であるのにぬるい湯に追いやられているということもあるらしい。

 実際の温度は、一方が45~46℃で、もう一方が43℃位だ。
 最初はぬるい方の湯に入っていたが、この程度なら熱い方も大丈夫なので、そちらにも入ってみる。どちらも気分よく入れて満足。
 楽しんでいたら、S新聞の取材撮影が入った。写るのは嫌だったので、湯から上がってそれが済むのを待っていた。今思えば、別に逃げ隠れする必要も無かったなとも思う。

 風呂からあがって外で少し休んでいたら、ここでも問題改善にかかわる会話が聞こえてきた。
 それは洗い場の話だ。
 共同浴場では、身体を洗うのに、浴槽から湯を汲むのだが、これが狭くなったということだ。
 昔は中央にあった浴槽が端になったのに加え、浴槽の二分割になったので、地元の方にとっては、これが大分狭まってしまったらしい。
 
 地元の方の会話の内容だけ書くと不満だったのかなと思われるが、そうではなさそうだ。会話する表情が生き生きとしている。このニュースをネタにして、互いに自己主張できる楽しさを味わっているのがよく分かる。
 
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by shingen1948 | 2010-10-24 05:34 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)

スズメバチ騒動⑥

 確かにスズメバチ騒動のプラス面もあったが、もう一度こういう状況になることは望まない。
 危険はできるだけ避けたい。動物との共存などと理想論を語ることができるのは、その条件として自分にかかわらないこと、例えかかわっても被害が無いということが保障されていることが最も大切なことだ。一義的な本音は、危険を避けたいということだ。

 スズメバチの被害の場合、ハチの一刺しでは済まないらしい。ミツバチは刺すことによって針がとれて命がけの一刺しだが、スズメバチの場合は何度でも刺せるという。更に、刺すと、そこから仲間を呼ぶような物質が分泌されるらしくて、そこに他のハチが集まり刺されるという羽目に陥りやすいという。もつと怖いのは、一度刺されたことがあるので、このアレルギー反応だ。

 この危険を避けるのには、出逢わないで済むようにしたいものだ。これからは、巣作りの最初の段階に撤去することにしたい。
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 ハチの巣作りの最初は、女王蜂が単独で母体となる巣を作るということだ。そこに、働き蜂の卵を産み続けていくという。この時点での巣の形はとっくり型というこだ。
 何事もなくこの働き蜂が無事成長すると、今度は働き蜂が中心になって巣の拡張を
続けていくという。その中で、女王蜂は産卵のみに集中することになるとのことだ。この時点の巣の形は、とっくり型の先が少し小さくなっているということで、ここには、働き蜂が潜む可能性もあるということだ。
 夏を過ぎると、女王蜂は雄蜂と新しい女王蜂の卵を産むようになり、秋にはこの雄蜂や新女王蜂が巣立っていくということだ。
 この女王蜂が別の巣の雄蜂との交尾を終えると、来年の巣作りまで越冬する。
 そして、これが最初の春の巣作りにつながる。

 このサイクルの中で、素人が手だし出来そうなのは、春だけのようだ。しかも、その中の女王蜂が一人で巣作りをしている間のようだ。巣の形はとっくり型、その中でも、徳利の先がまだ削られていない時ということだ。
 もう一つの解決策に、ハチを誘い込む装置があるようだが、こちらはまだ確認していない。

 今回、自分にかかわるハチ騒動は平穏に推移した。
 テレビ番組で、都会のハチ騒動での専門家の方の派手なパフォーマンスを見て楽しかったが、自分にかかわる時には、地味で何事もなく平穏に進むのがいい。
 専門の方が言うには、田舎では例え住居に巣食われても、そんな派手なパフォーマンスはないという。住居破壊は最小限度にして、ハチの被害に遭わないように工夫するということになるらしい。
 田舎では、あくまでも何事もなく平穏に進むという地味なやり方になるらしい。自分のことなら、田舎流がいい。
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by shingen1948 | 2010-10-23 05:19 | ★ 季節便り | Comments(0)

スズメバチ騒動⑤

 ハチ騒動後、戻ってきたハチ達が、ねばねばで身動きがとれなくなって下に落ちる。
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 今が、もぎ時の柿の実もあるのだが、それが元の巣の近くだ。もうちょっと様子をみてからにしようと思う。それにしても、今年は例年になく豊作だ。

 この豊作に、このスズメバチも一役買っていたのではないかと思うところがある。専門の方の話を聞いていると、スズメバチは肉食のようだ。
 話の内容は、ハチはあれだけくびれた身体なのに、食べた物がどうやって通るのかという話だった。正解は、幼虫とのやり取りの中で、酵素をもらって溶かして流しこんでいるということらしい。でも、こちらの興味は、スズメバチは肉食であるということに向いている。
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 この柿は、例年なら途中から柿がぽたぽた落ちることがあった。最近、これが害虫によるものと聞いて、昨年の冬は、柿の木の幹に麻布を巻いておいた。それを、今春焼くことでその害虫を追い払った積りでいた。
 実が落ちなかったのはそのせいだと思っていたが、ひょっとするとハチの餌になっていた可能性もあるなと思えてきた。
 それに、今年は例年になくアメリカシロヒトリなどにやられたという話を聞いている。被害は、桜が中心だが、柿も結構やられているようだ。それが、この柿の木はやられないで済んだ。
 これも、このハチが一役買っていたような気もしないではない。その結果として、この柿の豊作があったのではないかなと思うところがある。
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by shingen1948 | 2010-10-22 05:19 | ★ 季節便り | Comments(0)