地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

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  地面の下には、多くの人為の手が入っていて、自然界のままではなくなっている。
  これらの人為が、今回の新潟県中越沖地震のメカニズムをスタートさせるのにも、かかわりがなかったかを考察することが大切なことなのかもしれない。

  新潟県関連では、二酸化炭素を地下に封じ込む試みがある。この試みは、石炭に封じ込めることによって、石炭に含まれている天然ガスとの置換させる技術に発展的させたいという思いもあるらしい。
 この天然ガス田の開発も、新潟県中越沖地震と関連する要素だという考えもあるようだ。ここで使う水との関連を指摘するサイトもあった。

 「産経新聞」のサイトに、「新潟地震“人造”だった!近くでガス田注水作業」との見出しで、この考えが報じられている。

前回と今回の両地震の震源からほど近いところあるガス田開発では、“水圧破砕法”という高圧の水を注入して岩を破砕している方法がとられている。そのことが2回の地震の引き金になった可能性がないのかという指摘だ。
  破砕の震動が地震を誘発するわけではなく、ここで使われた水が誘発して地震の引き金になっていないかとする議論である。
  その論拠としているのは、ダムを建設して水を貯めると、周辺で小さな地震が起き始めるという経験則とのことだ。地下深くの断層面まで水が浸み込むことで、滑り出しの“潤滑剤”になると考えらるとのことだ。
  この現象が、ガス田開発に使う水圧破砕法の水でも誘発しているのではないかとするものである。

 これもまだ確実な論なのかどうかはわからないところがあるようだ。しかし、新しい技術開発には、こういった危険性の検討も必要なのだと言うことは分かる。

 いずれにしても、基本的には、地震が発生する仕組みは、プレートの力である。
 日本列島付近では、太平洋側にある太平洋プレートとフィリピン海プレートが、陸のプレートの下に沈み込んでいる。海側のプレートが押す力に対し、陸のプレートが押し返すように力が働き、そのひずみがたまる。それが限界に達し、解放される過程で地盤がもろい部分の断層が破壊されて起きるといわれている。
  今回も基本的には、そのメカニズムで起こった地震であることは理解できる。しかし、地下に加えた人為が、何らかの影響を及ぼしている可能性を考察しておくことは大切かもしれないとも思う。
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by shingen1948 | 2007-07-31 05:20 | ☆ 環境話題 | Comments(0)
 今回の新潟県中越沖地震は、3年前にも起きていて、今回も報道を見ていると、だんだん大きな被害が及んでいたことが分かりました。お見舞い申し上げます。

  今回の新潟県中越沖地震、何故起きたのかということに関しては、基本的にはプレートの力による説明がスタンダードな見方だ。しかし、この基本的なメカニズムをスタートさせるのに、人為的な要素がかかわっていなかったかということを、科学を職業とする人々のブログで話題にしているのを見つけた。
可能性としては確かにありえるかもしれないとも思うが、まだ試行的な見方のようでもある。新しい事を科学する時には、こういった仮説の一つ一つが確かめられて、本当に確かなものが残っていくのであって、そういう観点から興味を持たされる。

話題の一つは、地下に二酸化炭素を封じ込める技術と関連させてみる考え方だ。

この技術は、発電所や工場などから排出された二酸化炭素を地中に封じ込める最新の技術だそうだ。地球温暖化対策として、省エネや自然エネルギーの活用と並ぶ大きな柱として期待されているものという。
日本では、2003年6月20日から、新潟県長岡市の地下約1100mにCO2を圧入する実証実験を始めているとのこと。1日約20t、約1年半かけて、合計約1万tのCO2を地中に圧入しているという。
この実験開始から1年後に地震が発生し、4年後の今回、また大きな地震が発生したということで、因果関係は本当にないのかという疑問のようだ。

それをみて、その技術がどんな技術だったのかという興味が沸いたというのが正直なところだ。「NHKサイエンスゼロ」の番組紹介のサイトが、私たち素人に分かりやすく解説してくれている。

もう一つ、ガス田開発の水は、どうだというのもあった。

一見すると興味のままに議論しているようだが、実はこういった自由な議論はとても大切で、こういった関連する事柄を一つ一つ検討していくことの積み上げが、安全に関わる想定外の事を無くす方策を生むのではないかと思える。
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by shingen1948 | 2007-07-30 05:24 | ☆ 環境話題 | Comments(0)
 東京電力柏崎刈羽原発トラブルは、想定外の出来事が重なっているようだ。しかし、原発は、他の施設とは違って、その想定外のことにも対応した施設でなければならないはずである。
その観点から、注目すべき意見が、「朝日新聞」(2007.7.26)にあった。
  「新指針の不備の見直しを」と題して、神戸大都市安全研究センター教授 石橋克彦が、提言していた。
今回の新潟県中越沖地震による東京電力柏崎刈羽原発のトラブルで大丈夫かという思いを持ったが、それに応えるタイミングで報道された概要は以下のようだった。

地震活動期は今後40年以上続くということを指針の前提にすることの大切さを指摘している。原発と地震に関する日本の実情を根本的に改革して、原発震災を防ぎたいとしての提案である。

 具体的には、以下の提案と見る。
○ 新指針の基準振動下限を、M7.3程度までの直下地震に耐えられるようにする。
○ 既存の全原発を精査し、補強が困難なものは閉鎖する。
○ 原子力安全保安員の運用体制を整える。以下の観点から、原子力安全委員会の権限強化する。
  ・ 活断層の過小評価の責任
  ・ 指針の見直しはしないという越権行為(指針は、原子力安全委員会の所掌自校)

  この提言は、絶対安全であるべき施設の観点から説得力がある。しかし、氏が訴える「新指針の不備の見直し」は厳しい状況にあるらしい。

  「毎日新聞」(2007.7.28)「発信箱」で、「議論を蒸しかえす」と題した青野由利氏は、上記の論説者の経緯らしきことを記事にしている。

  昨年9月に改定された原発耐震指針の議論で、終盤で「議論の蒸し返し」という言葉が繰り返された。きっかけは、島根原発の近くで見つかった活断層だった。再度、指針案を見直さないと揺れを過小評価する恐れがあると主張する委員とそれまでの議論で十分と主張する委員の間で意見が割れた。結局、見直しを主張した地震の専門家が辞任する事態にいたった。

その辞任した専門家が上記論説者の意見らしいのだ。

今回東京電力柏崎刈羽原発トラブルを引き起こした震源の実態が、報じられはじめられている。
<中越沖地震>震源は巨大断層帯の一部か 原発の北数キロ [ 07月28日] 「毎日新聞」
<中越沖地震>震源の深さ10キロ前後 当初発表より浅く [ 07月29日 ] 「毎日新聞」
その実態からも、新指針の不備の見直しをしていくことが必要と思われる。青野氏も、今こそ議論を蒸し返すべきだと結んでいる。

電気エネルギーに頼り切っている私たちの生活構造に多大なダメージを与えることは覚悟して、温暖化対策の原発温頼みも一度棚上げして、安全優先にした上で、次のステップを考えてほしい、「美しい星」をめざすならば……。

中越沖地震の震源を報じる記事内容
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by shingen1948 | 2007-07-29 06:04 | ☆ 環境話題 | Comments(0)
 CABIネットに、安倍総理記者会見の記事があった。その中に、地球温暖化対策について次のようなことを語っていた。

  日本の提案である美しい星50をサミットで提案し、日本の提案が真剣に検討することになり、地球温暖化対策という世界が取り組むべき問題において、日本がリーダーシップを発揮することが、外交だという決意を述べたそうだ。

 また、同誌が伝える「北海道洞爺湖サミット1年前七夕イベント」では、一人一日一㎏の温室効果ガス削減に向けて実践する「私のチャレンジ宣言」について、自ら作ったチャレンジカードを子どもたちに示して、多くの人の参加を呼びかけたそうだ。

  しかし、現実はそんな生易しい話ではなく、厳しいようだ。

Excite エキサイト : 社会ニュース「対策の進ちょく厳しい」 京都議定書の達成計画(共同通信)

Excite エキサイト : 政治ニュース<京都議定書>目標達成困難で追加対策 国が中間素案公表 (毎日新聞) [ 07月25日 ]

 2007.7.26「朝日新聞」は、温暖化対策は原発頼みであることを伝えている。
  温室効果ガスの削減目標達成のためには、二酸化炭素を出さないエネルギーとしての原発が不可欠らしいのだ。
  京都議定書に定められた温室効果ガスの削減目標達成に向けた政府計画の見直しについて、環境経済両省の合同審議会に中間報告の素案が提示されたという。その審議の中で、今回の東京電力柏崎刈羽原発のトラブルに関連して、原発利用による削減効果をどこまで見込まれるかを再検討を迫られる事態になっていると伝えている。

 今回の素案では、原発の稼働率87~88%としているとの事だが、近年で最も高いときでさえ、98年度の84.2%であり、もともとこの設定について無理との見方もあるらしい。ましてや、03年度の東電トラブル隠しの時には59.7%だったというし、昨年度も69.9%だったとのことだ。それに加えて、今回の地震の影響があり、先行き不透明になっているらしい。
 太陽光など新エネルギー導入に積極的に踏み込まなければ、目標達成はおぼつかないのだろうという。

 考えさせられたのは、原発は、温室効果ガスの削減の救世主であるということであり、日本は、それに頼りきっているというのが現実で、凡そ3分の1の利用ということだ。もともと、需要に対応した新エネルギーが開発されるまでのピンチヒッターであるべきだった原発が、堂々と居座っている中で、ぶち上げる「美しい星50」だ。

 原発稼働率の低下は、温室効果ガスの増加を意味することになる。原発の目標が達成されなければ、電力業界はそれに伴う温室効果ガスが増えた分、排出量を海外でのプロジェクトで買い、その分を電気料に上乗せしていくことになるのだろう。その計画をどうするのだろうか。
 
 個人レベルでチャレンジカードを示す首相も立派だが、代替エネルギー政策、温室効果ガスの取引の在り方等の方針がしっかり提案できることも大切なのではと思う人もいるのではないかと思う。
 その考えや計画が構想として固まった上で、自分たちの使うエネルギーを減らす覚悟をしようと呼びかけたら、それは説得力があるだろうなと思う。

  相手が子どもだから、大丈夫と思ったのだろうか。

温室効果ガスを削減目標達成計画中間素案公表関連記事内容
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by shingen1948 | 2007-07-28 06:31 | ☆ 環境話題 | Comments(0)
松川事件のかかわりで歩いてみたことを整理しながら記録したが、書き落としたことを加えておく。
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 確かな情報ではないが、ここは松川駅前の「松楽座」という芝居小屋の跡だと思う。
松川事件とのかかわりでは、事件の起こる数時間前に、レビュー団の公演があったとか。その一座の公演は、突然決まったという。しかも、この劇団はCICの承認を得て、旧特高警察関係者数人が、団のボスの下に参加していたという噂が……。
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今回は、松川事件のかかわりで歩いてみたが、途中、奥州街道としての興味も加わって南福島駅まで歩いた。カメラを持ち歩かなかったので、携帯での撮影だが、日が暮れて写りが悪くなってしまった。
  この南福島駅は、事件当時は駅ではなく永井川信号所だったと聞く。


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旧国道4号線(奥州街道)から、この南福島に入る少し手前に、虚空蔵菩薩の参道入り口の門があった。当時は、虚空蔵菩薩のお寺である満願寺のお祭で、その警戒のテントが出ていたという。
この満願寺、今では国道バイパスから直ぐ近くだが、当時は、ここから寺に向かって歩きたどり着く寺だったようだ。阿武隈川沿いの羅漢のいる寺だが、今よりももっと奥深さを感じる寺だったようだということが分かった。

小さい頃にインパクトのある記憶であった松川事件を思いながら、漠然と歩いてみた。カテゴリーを独立させて「松川事件を歩く」としてまとめることにした。
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by shingen1948 | 2007-07-27 04:53 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)
 線路沿いの細道を、浅川まで歩く。
 事故現場を過ぎて暫く行くと右にそれていく。そして、上り線側の丘に沿って小道は続く。上り線は丘の北側を走るのでここからは見えない。下り線路と小道の間は水田である。下り線に沿ってもう一本の道路が走っているのが見える。
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 二人の泥棒が夜中に歩いた道は、こちらの道だと思う。向こう側の道路なら、事件現場を丘の南側に回り込んでしまうので見えなくなる。
 そんなことを考えながら歩く。
  途中、この細道は、丘に少し登って、また回り込むという所はあるが、ほぼ平坦な道である。

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 浅川踏切に近づくと、丘側に沿って集落が表れる。
 浅川踏切を右折すると、奥州街道に入る。この道はそれなりに奥州街道の雰囲気を残しているように思う。





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 旧4号国道に交わる少し手前で、右側にマンションが左側が竹藪になる。一度旧4号線に交わり、東北本線の上り線の高架橋が目の前を横切るころに、旧国道4号線から外れて奥州街道が走るところがあるが、再び国道と重なる。

 事件当時は単線だったので、この高架橋はなかったはずである。

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 ここを過ぎると、二人の泥棒が盗みにしくじった洋品店であろうと思われる店が見えてくる。

ここ浅川からは、旧4号国道線と奥州街道はほぼ重なっている。ここからは旧国道4号線を南福島駅まで歩く。
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by shingen1948 | 2007-07-26 04:32 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)
ゆっくりと歩きながら見回すのと、観察地点をスポット的におとづれていくのでは、見え方がぜんぜん違う。
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 松川事件の現場に行くのには、「石合踏切」の左手にある線路沿いの小道を入るのだが、そこには、大きな石がある。これは自然石のようだが、道祖神である。何故か女泣き石というそうだ。





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 「石合踏切」を渡って右角に、石合南無阿弥陀仏道標が建っている。半沢光夫氏の歴史地図によれば、宝暦12年(1762年)に作られた東二本松道・北金沢を案内する名号道標である。立ち止まって眺めながら、事件後、乗客はここから松川駅に向かって歩って行ったのだろうか。それとも、線路の上を歩いて行ったのだろうかと想像する。

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 松川の塔公園も、ゆっくりと見た。ずっと天候不順で、この公園に行く道がぬかるんでいて、ゆっくり観察しようという気分になれなかったのだが、この日は、田の脇の草が刈り取られていた。あぜ道を使って公園に入り、ゆっくり眺め回せた。

ここから、この道を浅川の踏切まで進んでみる。松川事件とのかかわりでいえば、呉服屋に入った泥棒が通った道である。

事件前夜、金谷川にある呉服店に2人組みの泥棒に入ろうとして失敗し、翌日にも試みて失敗した。そのうちの一人が、この道を歩いている。9人の大きな男たちに出会い、その直後、事件が起きたという。

農作業の軽トラックが通っていった。普段ここを通るのは知り合いしかいないはず。不審な男が歩いていると思われたに違いない。
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by shingen1948 | 2007-07-25 04:48 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)

松川を歩って確かめる

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22日は、雨が上がったので、松川駅から、八丁目宿や奥州街道、そして、松川事件などの関わる所を歩って体感的に確認することにした。
松川駅周辺を確認した後、八丁目宿から奥州街道に抜ける道まで旧道らしい所を歩く。陸羽街道の入り口を確認して、奥州街道をたどるが、今回は、松川事件とのつながりを確認することに重点を置く。
松川事件の現場付近を確かめた後は、淺川の踏切から奥州街道に抜けて、国道四号線と奥州街道が重なる所をたどり、伏拝から奥州街道をとおり、南福島駅までを歩いて確かめることにした。
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まず、駅周辺では、元の東芝松川工場を確かめる。今は別の会社になっているようだが、原型は当時のままだと思う。線路脇に建っているのは、引込み線を使って鉄道輸送をしていた名残なのだろうか。
  小さな駅の割には、線路が多い。これは、昔、この駅から絹の里である川俣に鉄道がつながっていた名残だろうか。
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  この工場は、以下の二つの視点から事件とかかわっている。

捜査当局は、国鉄労組と共に首切りに反対する東芝松川工場労組の共産党員らのしわざとみて20名を逮捕し、一審では死刑5名を含む全員に有罪の判決だったが、1963年には全員の無罪が確定する。

  東芝工場の事務課長補佐の諏訪メモは、被告のアリバイを証明するものだが、これは、東芝松川工場の団体交渉について記録された管理メモ。
被告佐藤一が、列車転覆謀略とされる時刻に、その場から10km離れたところで、クビ切り反対の団体交渉に出席していることを証明し、無罪を勝ち取ることになる。
このメモは、警察が東芝の押収品の中にあって、ある検事宅に保管されていたが、隠されていた。それが、倉島記者の地方版のスクープ記事によって、メモの存在が明らかになり、裁判に提出されたとのことだ。
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by shingen1948 | 2007-07-24 04:54 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)
記憶の中にある松川事件のキーワードは、「階級闘争」、「冤罪」、「弾圧」といったものであり、無罪を主張する街頭のアジ演説である。
慰霊観音と殉職碑が建っているその脇に、松川事件から50年立ったことを記念して東日本鉄道労働組合の「謀略わすれまじ」の碑も建てられている。

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  時代の色に染まらない。時の流れに流されない。それは理性に導かれた民衆の抵抗を意味する。権力者は民衆の犠牲の上に君臨し「国家・国民のため」と大うその御託宣をくだす。法律を支配者のために作り、都合よく解釈し、国家の暴力装置としての軍隊・警察等を使い、公然たる弾圧、抑圧をくりかえす。
さらに非公然の不法の攻撃をしかける。
権力側に与しない者は、それを謀略と規定する。権力の広報部になり下がったマスコミは「過激派のしわざ」と煽り立てる。
この松川で何者かが列車を転覆させた。
三人の機関車乗務員が尊い生命を奪われた。敗戦をへた日本の夜明けは、暗黒の道へ引きもどされた。この1949年、共産党の「9月革命説」は、権力側に利用された。
松川謀略から50年、日本は新たな戦前史を形成した。平和憲法は瀕死の状態にある。でっち上げられ、死刑判決まで受けながら15年間の不屈の闘いを勝ち抜いた先輩達に最大の経緯を捧げ、犠牲者の冥福を祈り、平和の近いも新たに50年碑を建立する。
                        1999年3月8日
                        東日本鉄道労働組合
                       会長 松崎   明

  ここには、二つの怨念がある。
一つは、犯人が誰であれ、松川で何者かが列車を転覆させ、三人の機関車乗務員が尊い生命を奪われたことである。生命を奪われた方には謀略があったかどうかもかかわりなく、ただ生命を奪われたのである。線路を向いて建っている地蔵と墓は、それを象徴している。
もう一つは、無実の罪で捕まえられた冤罪の恨みであり、弾圧の可能性も高いということである。しかも、迷宮入りで、真犯人は何のとがもなく、平和に生き延びたと言うことである。
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上り列車側に建つ「松川の搭」と共に、階級闘争の時代が、ここにはまだ残っていた。
  この「松川の搭」は、松川事件の原告団、弁護団と支持者によって建てられた。碑文は作家で松川事件被告の冤罪を広く社会に呼びかけた広津和郎によるものである。


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「1945年 8月17日午前3時9分、この西方200米の地点で、突如、旅客列車が脱線顛覆し、乗務員3名が殉職した事件が起った。何者かが人為的にひき起した事故であることが明瞭であった。どうしてかかる事件が起ったか。朝鮮戦争がはじめられようとしていたとき、この国はアメリカの占領下にあって吉田内閣は、二次に亘って合計9万7千名という国鉄労働者の大量馘首を強行した。かかる大量馘首に対して、国鉄労組は反対闘争に立上った。その機先を制するように、何者かの陰謀か、下山事件、三鷹事件及びこの松川列車顛覆事件が相次いで起り、それらが皆労働組合の犯行であるかのように巧みに新聞、ラジオで宣伝されたため、労働者は出ばなを挫かれ、労働組合は終に遺憾ながら十分なる反対闘争を展開することが出来なかった。この列車顛覆の真犯人を、官憲は捜査しないのみが、国労福島支部の労組員10名、当時同じく馘首反対闘争中であった東芝松川工場の労働員10名、合せて20名の労働者を逮捕し、裁判にかけ、彼等を犯人にしたて、死刑無期を含む重刑を宣告した。この官憲の理不尽な暴圧に対して、俄然人民は怒りを勃発し、階層を越え、思想を越え、真実と正義のために結束し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立上ったのである。この人民結束の規模の大きさは、日本ばかりでなく世界の歴史に未曾有のことであった。救援は海外からも寄せられた。かくして14年の闘争と5回の裁判とを経て、終に1963年9月12日全員無罪の完全勝利をかちとったのである。人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である。」
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by shingen1948 | 2007-07-23 04:32 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)
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  細道を進み、目印の越鉄橋を越すと、観音像とお墓が見えてきて、松川事件の現場はここだなと直ぐに分かる。慰霊観音像と殉職碑は、日本国有鉄道が建立したという。慰霊碑は、ここで殉職した「機関士 石田正三」、「機関助手 茂木正市」、「機関助手 伊藤利市」の名が刻まれ、墓碑の形状をしたものである。

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  慰霊観音も殉職碑も線路に向かって建っているので、道路側からは後ろ向きになる。トバが、何枚も建てられている。

 この松川事件の起こった前年の昭和23年4月の夜中に、奥羽線の赤岩駅と庭坂駅の間で、上り列車が脱線、高さ10mの土堤下に転落するという事件があったという。この時も、機関士、助士の2名が死亡したとのことである。現場付近はカーブで、付近の犬釘と非常継ぎ目板が抜き取られていたという。これも迷宮入りで、松川事件との関連性を疑う人もいるらしい。
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by shingen1948 | 2007-07-22 04:48 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)