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カテゴリ:☆ その他の話題

  • 津波災害と原発事故災害~今から思えば(2012)の5
    [ 2012-03-13 05:20 ]
  • 今から思えば(2012)の4の2
    [ 2012-03-12 05:20 ]
  • 「つぶろぐ」より
    [ 2012-01-15 06:14 ]
  • 鎮魂、そして怨念②
    [ 2011-08-22 05:27 ]
  • 「手紙~拝啓 十五の君へ~」
    [ 2009-03-31 05:03 ]
  • 「敗者からみた正史」と通じるものを感じて
    [ 2008-10-12 06:10 ]
  • 実直な姿勢と信頼
    [ 2008-03-04 04:20 ]
  • 日教組の教研集会拒否問題③
    [ 2008-02-29 04:39 ]
  • 日教組の教研集会拒否問題2
    [ 2008-02-28 04:22 ]
  • 日教組の教研集会拒否問題を考える
    [ 2008-02-25 04:22 ]

津波災害と原発事故災害~今から思えば(2012)の5

 不謹慎かもしれないが、津波災害に立ち向かう被害された方の姿からは、どこか生き方にかかわる宗教的ものが感じられる。それに対して、原発事故災害から見えてくるのは、人間の性とかかわる部分なのではないかと思える。
 原発事故災害にかかわる事象の背景には、漠然としたリスクに対する不安といったものがあるようで、立場が違うと風評被害という概念になるということのようだ。

 瓦礫処理が進まないという事象は、津波災害の流れで報じられる。しかし、その背景には放射能汚染に対する漠然とした不安がかかわるようだ。事象としては、これは原発事故災害とかかわるものとみたい。
 津波災害でも、これから復旧が進む過程の中で、いやおう無く格差が生じるとは思う。仲間意識で励まし合っていた被災者の方々も、いつか人間の性と向き合うことになるのだとは思う。しかし、そこまでに、数カ月前までは仲間意識で励まし合った経験が重なり、猶予期間でもカバーできるものだと思う。
 それが、原発事故災害では、最初からストレートにこの人間の性にかかわる事象と向き合わされているように思う。失われた暮らしや失われた思いは、そのこと自体を考えるということが許されない。常に<差別>、<不信>、<疑心>、<不安>という人間の性とかかわった事象として提示される。

 各報道は、この災害の特質を上手に使い分けて、絆とか頑張る姿など共生とのかかわりは、津波災害の中から拾い、人間の性の情報は原発事故災害から拾って、東北大震災というくくりの情報としてごちゃまぜにして流しているように見える。

by shingen1948 | 2012-03-13 05:20 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

今から思えば(2012)の4の2

 情報としての震災との接触から少し距離を置いてみようと思っていた。それでも、昨日は、1年の節目ということで、多くの情報が飛び込んできた。

 久しぶりに津波の映像を見て、その恐ろしさを感じた。
 1年の節目が過ぎても、その復興は遅々と進まず、今なお30万人以上の方が避難生活を余儀なくされていると聞く。
 改めて、この情報の奥にある失われた命、失われた暮らし、そして、被災された方の無念な思いをゆっくりと想像させていただいた。

 報道される被災者の方は、自力で再建を目指し始めた人、前向きに境遇と向きあう人、復興の波に乗れない人と人それぞれなのだが、そこにはどんなに深い悲しみに沈んでも復興に向けた絆ともいうべき共通の姿勢のようなものが見える。
 「こころの時代~宗教・人生~」で、自然に対する無力さの自覚と、その無力さの自覚に立った新しい生き方を模索する姿を観たせいだろうか。

 確か、あの日も夕方から雪が降ったなぁ……。

by shingen1948 | 2012-03-12 05:20 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

「つぶろぐ」より

 エキサイトブログ向上委員会から、「つぶろぐ」が1月末で終了との知らせ
 この「つぶろぐ」を、最近になって、何となく気になる情報をメモするのに使い始めていたところだった。使い方は、ニュースを「つぶねた」として、それにコメントできる形式での利用だった。
 他の方が使い終わろうという頃に、自分は使い始めるというのは常のことだが、この登録した投稿は、サービス終了後にすべて削除するとのこと。
 それで、1月末までには、その確認をしておきたいと思った。

 最近気になったニュースとも重なる事が、二つあった。
 その一つが、自立更生促進センターにかかわることで、入所中から詐欺の犯行というニュースだ。そして、もう一つが、最近の日本のリーダーの不退転の決意というニュースだ。

 今日は軽く日本のリーダーの不退転の決意に関わってみる。
 その「つぶねた」は、「<消費税>『4年間は上げぬ』首相 (毎日新聞社)」だが、当然、掲載期限が過ぎて削除されている。
 つぶやいた2010.2.18という時期から、首相は鳩山由紀夫氏だと思う。その時の記事内容は、「鳩山由紀夫首相が、15日夕に、首相官邸で消費税引き上げの議論は結構だが、4年間は上げないという思いは菅直人財務相にも理解してもらっている、との考えを記者団に述べた」ということだったと思う。他の新聞社だが、以下にその内容が、……。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13897020100215
 この記事を見ながら、高田渡の「値上げ」聞くと楽しいとした。


 最近は、事態はもっと進んで、日本のリーダーが不退転の決意をすることになった。その経緯が一覧できる「保存庫」というページをみつけた。<民主党の消費税についての主張のブレ> と題される。そんなかたぐるしい経緯も、高田渡の「値上げ」を聞きながら聞くと楽しい。それだけでなく、その本質も透けて見えてくるような気もする。

by shingen1948 | 2012-01-15 06:14 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

鎮魂、そして怨念②

 京都五山送り火に被災薪使用にかかわる問題では、最終的に京都人に対する後味の悪さが残った。
 ただ、この問題は、幾つかの問題が複雑に絡んでいるような気がしている。

 その一つは、何となくマッチ・ポンプの仕掛けが働いていたような気がする。報じられることによって、ニュースが作られたというイメージだ。
 その前に、そもそも何故京都五山送り火に被災の薪を使用することになったのかという事がある。
報道の中からその事に関わる部分を抜き出すと以下のようだ。
 「被災地の薪、一転燃やすことに…京都・送り火」【読売新聞(2011年8月10日)】
 新たな薪は陸前高田市のボランティアらの協力で調達、10日にも京都市に運ばれる。
 京都五山送り火連合会は9日、陸前高田市から別の薪500本を持ち込み、16日の送り火で燃やすことを決めた。

 「陸前高田市のボランティアらの協力で調達」で「500本」だ。

 「送り火問題で京都市長『大文字も参加して』」【読売新聞(2011年8月10日)】
 「京都五山送り火」を運営する京都五山送り火連合会が、岩手県陸前高田市の松で作った薪500本を16日の送り火で燃やすことを決めたことを受け、京都市は10日、受け入れの準備を本格化させた。市などによると、薪500本は、陸前高田市の薪を販売して復興に役立てる活動をしているNPO法人「ふくい災害ボランティアネット」(福井県坂井市)から買い取る計画で、11日夕方には京都市役所に届く予定。放射性物質がないか検査で確認した後、市民らに震災犠牲者の冥福と被災地復興を祈るメッセージなどを書いてもらうという。

 この記事では、「NPO法人「ふくい災害ボランティアネット」(福井県坂井市)」から「買い取り」で、「500本」だ。この団体は、「薪を販売して復興に役立てる(目的で)活動をしているNPO法人」らしい。付け加えれば、陸前高田市とも京都ともかかわりのない方々のようだ。

 先に「何となくマッチ・ポンプの仕掛けが働いていたような気がする。」としたが、「送り火 被災地の願い“復元” 【読売新聞(2011年8月12日)】」の記事は、現在ウエーブ上から消されている。
 その記事を確認すると、「16日夜、五山の山上で会員が黙とうをした後、仙台七夕まつり(6、7日)で募った約2300人が記した護摩木を薪とともにたきあげる。」とある。
 また、「(被災地の願いが書かれて既に)燃やされた薪は333本だったが、1本に複数のメッセージがあるため、護摩木は1000本程度になる予定。作業は4、5日かかる見込みという。」という。
 この護摩木、合計すると3300本になる。これは、誰がどこからどんな方策で入手したものかは記事にない。

 こんな状況を確認すると、もう一つの問題が浮かび上がる。
 それは、京都の対応が悪いということで事を納めているが、京都にとっても迷惑な話だったのではないかという事だ。
 京都五山送り火は、本来的には地元の魂という範疇なのではないのかなとも思うのだ。観光としては全国的な行事だろうが、全国の魂を供養するというイメージは今回だけのような気がする。
 イベントとしての空騒ぎに付き合わされたという側面があったのではないかとも思うのだ。

 この被災薪問題は、玄侑氏がいうように、「日本人の心の混乱が出た」という側面もあると思う。
 新聞報道(福島民報)によると、福島県伊達市長が京都の大文字保存会に抗議文を送ったとも報じられる
 いずれにしても、京都に対する後味の悪さは直ぐには消えないのだろうとも思う。

 時間を置いて、ゆっくり考えたいのでとりあえず記事を資料として記録しておこうと思う。
 ただ、この「玄侑宗久さん「日本人の心の混乱が出た」 被災薪問題」の記事は現在も生きているが、幾つかの記事は直ぐに消えそうだ。
 少なくとも「読売新聞」の「送り火 被災地の願い“復元”」【読売新聞(2011年8月12日)】の記事は、現在消えている。


資料としたい記事

by shingen1948 | 2011-08-22 05:27 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

「手紙~拝啓 十五の君へ~」


何の飾りもなくストレートに訴えているのに、ストンと心に響く。
「この曲気になるね」と家人に話したら、遅れていると笑われた。

その年代の自分を思い、その思いをもとにして今の子供を思う。
そして、一生けん命さまよっている子供たちを思い、今の自分の生き方をもとにして、ストレートに訴える。

大人である自分には「これしかないよな」と訴えかけてくる。
自分は、「確かにそれしかないですね」と素直に応えている。


by shingen1948 | 2009-03-31 05:03 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

「敗者からみた正史」と通じるものを感じて

Excite エキサイト : 社会ニュース<ノーベル物理学賞>「南部さん受賞は当然」小柴さんも祝福
 地域を探りながら歴史をみていると、正史から外れた方々からの歴史が見えてきて、そこにドラマを感じることがある。
 そんな視点で、共同通信が伝える「日本人3氏にノーベル物理学賞 素粒子論の小林、益川、南部氏」というニュースを見てしまう。

 このノーベル物理学賞について、小柴さんは、「南部さんはとっくの昔に受賞して当然だ」と、先輩の栄誉をたたえたと毎日新聞が報じている。
 その小柴さんは、ノーベル賞受賞目前とされお弟子さんを今年の7月亡くされている。戸塚洋二氏という方で、仕事の内容はよく分からないが、素粒子ニュートリノに質量があることを示した研究などで評価されていたという。

 戸塚氏は、few more months の名で、ブログを立ち上げていたが、そのブログ名が、「落ちこぼれ研究者の年金生活」だ。
 現在戸塚氏のこのブログは、「ある大腸ガンの報告--終--」として、家族の方が書かれた締めくくりの記事をもって閉じられている。この写真は、家族の方が、そのブログを閉じるのに掲載されたものだ。

 このブログを見た時、彼は十分認められており、健康上の理由から、仕事を離れた無念さは分かるものの、落ちこぼれとの卑下が理解できなかった。

 
 先の小柴さんのニュースでは、電話での会話の様子も報じている。

 82歳の南部さんと直接電話で、「生きているうちに受賞できて良かったね」と祝福したとのことだ。それに、南部さんはうれしそうな声で「そうだね」と答えたという。
 
 二人の脳裏には、戸塚洋二氏の無念さがあるのだろうと想像する。

 このニュースに接して、ゴール寸前にして崩れ落ちた戸塚洋二氏の卑下したくなるほどの無念さが分かる気がしてきている。

 氏の仕事は、素人の自分には分かりにくいが、無念さが分かったものとしてそれなりに理解しておくことにする。

 氏は、宇宙線が地球の大気とぶつかってできるニュートリノを観測し、物理学の標準理論では質量がないとされてきたこの粒子に質量があることを示したという。
 そのニュートリノの重さは、それぞれ違いがあって、しかも飛んでいる間に入れ替わりが起きることが理論的に予言されているのを、氏らのチームがこの「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象を捕らえたとのことだ。

戸塚氏の無念さを想像するための資料

by shingen1948 | 2008-10-12 06:10 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

実直な姿勢と信頼

日教組集会にかかわって、ホテルマンの道義と組織の柔軟な運営の観点から、「日教組の教研集会拒否問題」を考えてきた。また、「プリンスホテルのトップら会見」のニュースから、ホテルの守るべきものは何だったのかを考えた。(日教組の教研集会拒否問題2)
 これらの考えを整理している時に、実直な姿勢は収支問題の解決とは相矛盾していることを前提にしていたような気がする。
 ところが、古い日本の商取引の考え方には、信頼を優先させていく経済の考え方があって、このことが日本に老舗が多い理由のひとつではないかという考えに出会った。

 「NHK知るを楽しむ この人この世界」の番組のテキストだ。12月から1月にかけて、「長寿企業は日本にあり」(野村進)と題して、なぜ日本にだけ老舗が多いのかということを分析し、その秘密に迫っている。
 老舗の基本姿勢として、注目に値するのは、収支よりも大切にする基本姿勢を持っているということのようだ。「不義にして富まず」・「三方良し」・「本業」を忘れないなどの基本姿勢を、収支よりも大切にする事で、かえって今の安定を導いた例を示している。それは信頼ということのようだ。

 日教組集会にかかわって、一流ホテルの収支よりも契約した客の安全を守るという基本理念を押し通すというとき、そこには経済的には多少の犠牲は覚悟してもということを前提にしているが、そうではないということもあるということのようなのだ。
 これが信頼を得ることにつながれば、かえって安定した経営につながるというのが日本での老舗流の考え方の一つのようなのだ。
 三方良しは、誰も損益にならないように調整する事で得る信頼であり、「不義にして富まず」は、社会的正義を実直に守る姿勢で得る信頼であろう。本業にこだわるのは、誰にも引けを取らないというプライドで信頼を得る事だろう。
 ただ、今の時代それらのことを大切にすることが受け入れられる世相かどうかは、定かではないとい不安はつきまとうと思う。

番組案内よりの具体例概要

by shingen1948 | 2008-03-04 04:20 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

日教組の教研集会拒否問題③

 「朝日新聞」(2008.2.8)は、社説で、「プリンスホテル 少し勇気を出したなら」として、以下のように、論じていた。
もしプリンスホテルが右翼の横暴に対して少しの勇気を見せたなら、広く社会の共感を呼び、応援する市民や組織も出てくるだろう。それは健全な市民社会に勇気を与えることにもなるはずだ。

その論拠を、次のように述べている。
 ホテルに影響があるにしても、悪いのは日教組の集会ではない。わがもの顔で走り回る街宣車こそ、批判されるべきものだ。右翼の横暴に屈すれば、集会を開けるところがますます少なくなってしまう。それは健全な社会とはいえない。

 そして、日本を代表するホテルの一つなら世の中の理不尽な行為に対しては、警察の協力を得て立ち向かえと檄をとばす。

 社会正義のために立ち上がれというが、その前提にホテル業としてでないことが気になる。ホテル業としてはごもっともだが、正義のために勇気を出せという。青臭いことをよくいったとは思う。しかし、一流ホテルといわれている経営者は、ホテル経営の理念をまっとうすれば正義と反してしまう状況が怖いと思う。

 もう一つ、他人事を自分の土俵で批判する総批評家が似合う時代になっているということでもある。社会正義のためというのは、社説氏の土俵だ。当事者としては難しい状況なのかもしれない。
 他から見れば社会正義に反する事が、当事者にとっては抜け出せない状況にある。そして、他を見れば、抜け出せない状況がよく見える。だから、自分の状況はさておいて、互いに批判しあう。こういった状況から抜け出せない時代ということがよく分かる。

by shingen1948 | 2008-02-29 04:39 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

日教組の教研集会拒否問題2

この問題を純粋に社会的に捉えるのはなかなか難しい。そんな中で「朝日新聞」(2008.1.14)の[教研集会拒否「村社会文化の横行を映す」]という東京工業大学(社会学)橋爪大三郎氏の評論に出会えたことは幸せだった。そのことを「日教組の教研集会拒否問題を考える 」として書いた。

 「朝日新聞」(2008.2.27)に「プリンスホテルのトップら会見」という記事があった。記事としては小さな扱いだったので、今の世相では話題性はないと思っていたのだが、関心を持っている人が少なからずいた事を知った。

 記事によると、「客の安全」を繰り返し、日教組への謝罪はなかったということのようだった。   後藤社長は、「憲法論議をするつもりはない。ホテル業としての安心安全を考えることも道義的責任と考える」と説明したとのことだ。
 憲法問題との言は、政治的な問題にしてほしくないとの歯止めの意味だろうと思う。ホテル業として正しい判断だったとの主張のようだ。
 
 しかし、その主張に正当性は感じない。
 ホテル業としての安心安全の範疇には、客の安心安全も含まれなければならないはずだ。
 日教組も契約をした客である。日教組という客の安全のため、外敵にホテルの威信にかけて守るべき立場であったはずだ。

 経営陣の頭にちらついたのは、ホテル業としてのプライドではなく、経費ではなかったかと思うのだ。安泰に集会を開くためのホテル側の防衛のための支出を計算し、その支出を抑えると、他の客からの苦情が怖い。そこに損益がでるとの判断だったのではないかと感じる。

 新聞社も、コメント者として準備したのは、リスクコンサルタントという立場の浦嶋繁樹氏だ。
 「ブランド価値さらに損なう」という観点から、司法の判断に従わなかったことについて謝罪すべきだったとしている。その上で、ホテル業としての判断について以下のようにコメントした。
 社会を無視する企業ということで、彼等が第1に考えたというお客様から、信頼を失うことになるのではないか。トップがそうした振る舞いをするのでは、個々の社員のモラルも疑われるだろう。ブランド価値をさらに大きく損なったと思う。

 意見全体としては、正当性を感じるが、リスクコンサルタントの立場である事に違和感がある。
 その意見の前提には、経済的利益がある。長い目で見ると損益ですよというアドバイスでしかない。例え損益だったとしても、客としての日教組の安全を守るべきだったと踏み込んで欲しかった。
 青臭くても、ホテル業の理念として説いてほしかった。

日教組のホテル使用拒否を了承 社長会見「宿泊客の安全のため」Excite エキサイト : 社会ニュース

共同通信 [ 02月26日 ] 記事内容

by shingen1948 | 2008-02-28 04:22 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(0)

日教組の教研集会拒否問題を考える

 最近、いくつか気になる記事を読みながらも、安達太良山麓埋蔵文化について深入りしていて、他が見えにくくなっていた。この散策も闇雲に散策している段階から、少し何かが見えてきて、頭の中を整理しながら進む段階になってきたと感じはじめていたところだ。
 昨日、別の話題について書いたのを切っ掛けに、これら気になっている事を先にまとめで、それから、この散策について整理されたことを書いていくほうがいいのかもしれないと思う。

 グランドプリンスホテル新高輪が、会場使用を拒否し、日教組の教研集会が開けなかった事について気になっていたが、考え方が整理できないでいた。
 分からない点の一つが、ホテルは、裁判で会場を使用させるように命令したにも関わらずそれに従わないということについてどう評価すればいいかということだ。
 その二が、明らかに正当性を認められたのに、日教組は実際にはホテルの態度に抗議することもなく、平穏無事に事が済んでしまったことだ。
 そして、その三が、誰も問題にする事のない出来事になっていることだ。

 この問題は、イデオロギーを持つ集団がかかわっているので、意見者のイデオロギーに対する姿勢を見極めることが大切だ。客観的な意見として参考にできる意見に出会うのはなかなか難しい。
 そんな中、「朝日新聞」(2008.1.14)の[教研集会拒否「村社会文化の横行を映す」]という東京工業大学(社会学)橋爪大三郎氏の評論を読む事ができた。
 裁判所の決定を法律論で、契約の考えから支持している。更に、脅迫の事実があるのなら、それはホテルの責任ではないが、脅迫の事実を明らかにする責任がホテルにあるとしている。
 次の憲法論も一般的な解釈として正当な意見ではあるが、読み手は書き手のイデオロギーを疑えば正当性の説得に、威力がなくなってしまう。
 説得力を感じたのは、ホテルマンの道義としてというところだ。氏は次のように言う。
 法律論はそうだが、ホテルマンの道義にもがっかりだ。いったん約束したら、体を張ってでも客を守るのがホテルの責任のはず。「周囲や他の客の迷惑」よりも、日教組の利益を考えるべきだろう。見ず知らずの客との契約を絶対とすべきホテルが、近所の迷惑とか言い始める江戸時代の発想では困るのだ。
(中略)
 契約した以上、名誉にかけても全国集会を実現します、だったらこのホテルの株もあがっただろうに。

 同時に、被害者の日教組についても注文をつけている。
 ひと回り小さくてもいいから体育館か倉庫を借りる手配をし、新宿や渋谷の駅前で「署名とカンパをお願いします」と訴えれば応じる市民もいたはずだ。開催が危ぶまれた日教組の集会が市民の力で実現できたとなれば、押しかけにくくなる。柔軟な危機管理能力と市民とともに歩む姿勢がもっとあってもよかった。教育者としては少々心もとない。
 常識で考えられない事件が増えている。組織に安住して、自分の頭でものを考えられなくなっているのではないかとしている。

 この事件が、氏の挙げた他の事例と違うのは、事件になっていないことだ。政治ができない政治家は、社会的な問題として取り上げられた。経営のできない経営者も、安全をわきまえない食品業者も社会的な制裁を受けた。
 裁判に従わないグランドプリンスホテル新高輪は、現在まで何事もなく社会に受け入れられている。日本の法治国家の秩序なんて、こんな程度なのだといわんばかりである。そして、日教組が激しく批判しているというニュースも聞かない。
 何事も無かったかのように過ぎ去っていく。裁判所のさばきなど無視してもどうでもないことだということが、日常の出来事になっていくことが怖い。

by shingen1948 | 2008-02-25 04:22 | ☆ その他の話題 | Trackback | Comments(2)