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カテゴリ:◎ 米沢街道

  • 名倉城③~近世米沢街道(大森道)
    [ 2009-04-10 05:23 ]
  • 舘下橋と米沢街道大森道
    [ 2008-07-10 20:06 ]

名倉城③~近世米沢街道(大森道)

 この城の変遷にかかわって、14世紀後半から15世紀前半に「宿」的な機能を有する集落様相を変えたとする考察も面白い。
 その前提として、近世の米沢街道が、ここを走っていることも考察の材料の一つになっている。

 昨日の最初の写真中央の道、この写真では右端の道が、旧米沢街道らしい。

 実は、何度かこのあたりを歩いたのは、旧米沢街道の道筋を探していたのだ。それが、荒川を渡ったあたりで見失っていた。
 この報告書から「城の宿的機能を有する集落的様相」という見方と共に、散策で見失っていた旧米沢街道の道筋も教わったのだ。



 まず、近世の米沢街道について整理しておく。
 ここから米沢へは、この道を荒川に向かい、川を渡って現在の米沢道の東側の田の中の道を進む。そこからは、先に整理したように、須川にかかる舘ノ下橋を渡って、左にそれて西に進み、西公民館辺りから庭坂に抜けることになる。
 この街道は、天文11年(1542)から天文17年(1535)の伊達氏天文の乱以降、伊達晴宗が西山城から米沢に移転した後整備されたという。その後、上杉氏も江戸への道としてこの街道を整備したという。
 この米沢街道が、古くはこの舘あたりでは、舘の中を走るという想定らしい。



 この写真は、現在の旧街道に近い街道を舘の東側から見ているが、舘の中央を走った街道は、薬師堂の辺りを過ぎてそのまま南下し、字切りの境界線沿いの道を通って、この道に出て、「宿」の地名の道へつながるという道筋になるのだろうか。


 米沢街道は、ここから大森へ抜け八丁目宿で奥州街道につながる。

by shingen1948 | 2009-04-10 05:23 | ◎ 米沢街道 | Trackback | Comments(0)

舘下橋と米沢街道大森道


 福島市の民家園に再現された橋銭小屋のモデルは、確かこの舘下橋であったはずだ。この橋は、米沢街道大森道が、天戸川、須川、白津川、鍛冶屋川が合流し、荒川に注ぐ手前にある川を渡る橋で、半沢氏のメモによると、明治32年から10年間有料橋だったとのことだ。
橋銭小屋という表現だが、半沢氏のメモでは、五厘橋とその番小屋という言い方をしている。渡り賃が、1人5厘であったことから、そういう言い方をしているらしい。牛と馬が1銭で、馬車や人力車は2銭をとっていたという。これで、この橋の工賃700円をまかなったとのことだ。その旧橋は、今の橋の西側にあったような気がする。

 米沢街道大森道が、この川を渡るのは、現在の橋の位置より東側の「舘下」あたりだろうと思われる。ここから、大森方向の米沢街道は、消えているのだが、ここを想像をふくらませながら歩くと、昔の景色に出会えることがある。

 10年ほど前の話だが、この辺りを散策しているとき、西工業団地入り口の角に、道標が転がっているのを見つけ、時々直してあげていた。何故そこに道標が転がっているのかが不思議に思っていた。
ある時、その訳が分かった。親切な方がいて、廃道になった旧道には道標はいらないということで、現在の道に置くのが正しいと思って移されたということだった。
 その道標の昔の位置を確かめたいと思って近所の方に聞いたことがあったが、その時にはすでに分からなくなってしまっていた。

 そして、現在は、その角に転がっていた道標すらも無くなっていて、ちょっと寂しいなと勝手に思っている。

by shingen1948 | 2008-07-10 20:06 | ◎ 米沢街道 | Trackback | Comments(0)