2007年 05月 13日
飯坂古道最終地点の確認
医王寺に立ち寄る道として「奥の細道」を確かめるのに、飯坂までやってきた。昨日は、その帰り道に、「奥の細道」を逆から遡ったり、脇道にそれたりしながら戻った。
先週は飯坂古道の最終地点を確認し、星の宮まで確かめながら戻った。そこからは、古道を逆に辿りながら帰路についた。

飯坂古道の最終地点だが、西街道の最終は横町の元標でいいと思うので、その確認は直ぐに分かった。
しかし、福島から辿る古道の最終地点がなかなか見つからない。 「飯坂道の今昔」の佐藤氏は、「めざすは、花水山孝徳寺であったといわれている」と結んでいるのだ。
今までも何度か自分の勘だけで「花水山孝徳寺」に辿り付く試みをしたのだが、分からなかった。今回は、自分の勘だけで辿り着くのは諦めて、地図を調べた。それでも、検索にかからない。
そこで、「花水山孝徳寺」そのものを検索したら、飯坂公民館便りにその記述があることが分かった。明治6年に廃寺になっているという情報だ。明治政府の神仏統廃合の罪までは考えていなかった。その記述によって、飯坂古道そのものが「花水山孝徳寺」の参道になっていて、「花水坂」を上りきった地点を最終地点と考えてよいと判断し、そこを最終地点とした。
飯坂公民館便り平成16年10月号「こんなこと学んだよ」の「花水山孝徳寺」にかかわる記述は、以下の通りである。ただ、ここで書かれているテーマは、花水坂の由来である。
先週は飯坂古道の最終地点を確認し、星の宮まで確かめながら戻った。そこからは、古道を逆に辿りながら帰路についた。

飯坂古道の最終地点だが、西街道の最終は横町の元標でいいと思うので、その確認は直ぐに分かった。
しかし、福島から辿る古道の最終地点がなかなか見つからない。 「飯坂道の今昔」の佐藤氏は、「めざすは、花水山孝徳寺であったといわれている」と結んでいるのだ。
今までも何度か自分の勘だけで「花水山孝徳寺」に辿り付く試みをしたのだが、分からなかった。今回は、自分の勘だけで辿り着くのは諦めて、地図を調べた。それでも、検索にかからない。
そこで、「花水山孝徳寺」そのものを検索したら、飯坂公民館便りにその記述があることが分かった。明治6年に廃寺になっているという情報だ。明治政府の神仏統廃合の罪までは考えていなかった。その記述によって、飯坂古道そのものが「花水山孝徳寺」の参道になっていて、「花水坂」を上りきった地点を最終地点と考えてよいと判断し、そこを最終地点とした。飯坂公民館便り平成16年10月号「こんなこと学んだよ」の「花水山孝徳寺」にかかわる記述は、以下の通りである。ただ、ここで書かれているテーマは、花水坂の由来である。
花水坂はいい坂電車「花水坂駅」の北側を東西に交差する坂の名前です。明治初年まで、花水山孝徳寺へ登る参道であったことからその名がついたといわれています。
孝徳寺は明治6年(1873年)に廃寺になっていますから、明治14年(1881年)に開通した飯坂街道に愛唱されるそれとは異なる事が分かります。当の坂自体は飯坂街道開通を機に幹線道路としての役割を退きました。字名にこそなっていませんが地名としてその名を残し、地域の人にその韻とともに親しまれています。
# by shingen1948 | 2007-05-13 06:01 | ◎ 飯坂街道・古道 | Trackback | Comments(0)
香積寺から飯坂古道を北進すると直ぐに、左手に春日神社をみる。更に、北進すると、市道1級14号線北沢又・鎌田線と交差する。(道路名は、佐藤氏による。「歩楽里いいさか」では、瀬の上から大笹生への道路と表現している。)
これは地元では、舘の六角石が西の六角石といわれているのに対して、東の六角石又は、地名とあわせて平田の六角石と呼ばれている。



