飯坂古道最終地点の確認

  医王寺に立ち寄る道として「奥の細道」を確かめるのに、飯坂までやってきた。昨日は、その帰り道に、「奥の細道」を逆から遡ったり、脇道にそれたりしながら戻った。
先週は飯坂古道の最終地点を確認し、星の宮まで確かめながら戻った。そこからは、古道を逆に辿りながら帰路についた。

飯坂古道の最終地点だが、西街道の最終は横町の元標でいいと思うので、その確認は直ぐに分かった。


  しかし、福島から辿る古道の最終地点がなかなか見つからない。 「飯坂道の今昔」の佐藤氏は、「めざすは、花水山孝徳寺であったといわれている」と結んでいるのだ。
  今までも何度か自分の勘だけで「花水山孝徳寺」に辿り付く試みをしたのだが、分からなかった。今回は、自分の勘だけで辿り着くのは諦めて、地図を調べた。それでも、検索にかからない。
 そこで、「花水山孝徳寺」そのものを検索したら、飯坂公民館便りにその記述があることが分かった。明治6年に廃寺になっているという情報だ。明治政府の神仏統廃合の罪までは考えていなかった。その記述によって、飯坂古道そのものが「花水山孝徳寺」の参道になっていて、「花水坂」を上りきった地点を最終地点と考えてよいと判断し、そこを最終地点とした。

飯坂公民館便り平成16年10月号「こんなこと学んだよ」の「花水山孝徳寺」にかかわる記述は、以下の通りである。ただ、ここで書かれているテーマは、花水坂の由来である。
花水坂はいい坂電車「花水坂駅」の北側を東西に交差する坂の名前です。明治初年まで、花水山孝徳寺へ登る参道であったことからその名がついたといわれています。
孝徳寺は明治6年(1873年)に廃寺になっていますから、明治14年(1881年)に開通した飯坂街道に愛唱されるそれとは異なる事が分かります。当の坂自体は飯坂街道開通を機に幹線道路としての役割を退きました。字名にこそなっていませんが地名としてその名を残し、地域の人にその韻とともに親しまれています。

# by shingen1948 | 2007-05-13 06:01 | ◎ 飯坂街道・古道 | Trackback | Comments(0)

飯坂古道:香積寺から星の宮まで~六角周辺探索

香積寺から飯坂古道を北進すると直ぐに、左手に春日神社をみる。更に、北進すると、市道1級14号線北沢又・鎌田線と交差する。(道路名は、佐藤氏による。「歩楽里いいさか」では、瀬の上から大笹生への道路と表現している。)
  ここで目に付くのは、愛宕神社と市有形文化財の木造三面大黒天座像を保有する教法院だが、その向かいに六角石がある。

これは地元では、舘の六角石が西の六角石といわれているのに対して、東の六角石又は、地名とあわせて平田の六角石と呼ばれている。
この六角石について「大鳥城記」には、以下の説明があるとのこと。
これは笠の塔婆といって、六角の竿石に笠をつけ、上部六面に千支の動物等を彫り込み、指導標としたものです。これによってこの地は、古くから道路の交差点になっていたことがわかります。この六角の指導標があるため、字名も六角といいます。

この六角石は、道幅拡張のため、道路面に突き出て車がこの六角石にこすれて、だんだん壊れてきたという。昭和35年に、道路の東側によせ、車の被害を避けているとのことである。

なお、「平野の伝承とくらし」による西の六角石は次のように説明されている。
六角石は、石塔が六角形で上部には笠があったという。また、六面の上の方に「くぼみ」があり、そこに地蔵さまが彫られていたという。
主だった道路の集落の入り口などに建てられるもので、道しるべというよりも、道での災いから守ることを祈って建てられたと思われる。

  この道結構細いのだが、六角石を動かしたり、愛宕神社を移動させたりして今の生活に合わせるため、拡張の努力をされている。道もまた日々変化している。


# by shingen1948 | 2007-05-04 05:15 | ◎ 飯坂街道・古道 | Trackback | Comments(0)

飯坂古道の散策~「香積寺石造供養塔群」に立ち止まる

  13号線を越えて、飯坂古道の道筋がはっきりして最初に目にはいるのが、香積寺前にある「石造供養塔群」である。これは、福島市の指定有形文化財になっている。

 この地区は、住民の間で、地域の文化財を子ども達に伝えようという運動が盛んであり、それぞれの史跡のいわれがよく整理されている。2004年1月には、それらの運動の中で、成文化できたものについて「平野の伝承とくらし」として冊子にまとめられている。

 この冊子の中では、「石造供養塔群」について、古山氏の文責のもとで説明されている。概要は次のようなことのようだ。
 鎌倉時代に死者の追善や生前の逆修供養のため、石の供養塔を建てる習わしがあった。今まで、関東地方や東北地方で発見された板碑は、建立の年号や趣旨など文面が明らかでなかった。ところが、ここの板碑のうち三基は、判読できる石面を保っていて貴重だという。特に、(1253年)2板碑は、市内最古で、地元の石に薬研彫りというほりかたを用いているとか。
 
 普通は表に出ないような子細なことまで説明されている。
 この「石造供養塔群」は元々は平塚字下白山の竹藪の南西角にあったもので、下白山石造供養塔群である。そこは下白山寺跡であるといわれている。
 この土地を買収した農家が、石碑を移せと主張した。県では保存したいとの意向を示し、飯坂史跡保存会が、現状のまま保存できないかを地主に掛け合ったがうまくいかなかった。やむなく香積寺に交渉して、昭和35年に、その門前の空き地を借用して覆いをかけて保存しているとのことである。


 古の旅人がここを通るときには、ここには存在していなかったが、途中の風景の一つとして、こういったものが自然にとけあっていたということのようだ。



「香積寺石造供養塔群」説明板内容

# by shingen1948 | 2007-05-03 04:58 | ◎ 飯坂街道・古道 | Trackback | Comments(0)

飯坂古道「星の宮」周辺散策~「奥の細道」とクロスする

  伊達政宗が、飯坂温泉に入りたかったので、温泉の湯を運ばせたというような話を聞いたことがある。福島地史の研究会の中だったような気がする。どの道を通ったかに、興味はあったが、全部を確認しようとは思っていなかった。
その気になったのは、佐藤氏の古道を線で結ぶ試みをしている資料を頂いたからだ。氏と出会ったのは、氏が飯坂西街道調査中、ある道標の存在を確認するためにあちこち訪ねていた。私は、点として平野周辺を確認中だったので、たまたまその存在を知っていた。その案内がきっかけだった。

  これから飯坂古道の確認は、飯坂側に入る。飯坂古道が、面影を留めるのは、平野地区の国道13号線を越してからだ。香積寺を過ぎ、愛宕神社から市道六角高舘線と重なる。これを進むと、市道林沢・星宮線と交差する。その四辻の左側に石塔道標があるが、草むらに隠れて見落としそうだ。ここからが、飯坂になる。

 実際の道標ではもう読みにくくなっているが、医王寺への方向や、瀬上・福島・飯坂の方向を示しているという。上下には「南:ふくしま道・北:湯野村いい坂湯の道」、左右には、「西:寺への道・東:せの上道」とかいてあると地蔵堂の説明版にあった。

  そのまま100m進むと正面に「星の宮」が現れる。




  散策は、まずは、確実な地点からはじめたい。それには、「星の宮」がいい。ここは、福島側から訪れると、小川の河岸段丘の北の縁にあたる。
  飯坂古道は、ここから河岸段丘の坂を下る。その左右にクロスする道路は、芭蕉が、瀬上から医王寺に向かって通った道と思われている。いわゆる「奥の細道」である。芭蕉はこの道を進んで、五郎兵館跡にたどり着き、そこから医王寺に向かったのであろう。

 なお、星の宮信仰についてのいわれは、先に玉井に星の宮神社を見つけた時に、調べておいた。

# by shingen1948 | 2007-05-01 05:30 | ◎ 飯坂街道・古道 | Trackback | Comments(0)

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