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カテゴリ:◎ 山歩きと温泉

  • 飯坂散歩⑦:飯坂八幡神社あたり
    [ 2011-01-12 05:52 ]
  • 飯坂散歩⑦:滝の湯旅館あたり
    [ 2011-01-11 11:34 ]
  • 飯坂温泉:「滝の湯温泉」③
    [ 2010-11-06 06:00 ]
  • 飯坂温泉:「滝の湯温泉」②
    [ 2010-11-05 05:32 ]
  • 飯坂温泉:「滝の湯温泉」:「桝屋」
    [ 2010-11-04 05:57 ]
  • 飯坂温泉共同浴場「切湯」
    [ 2010-10-29 05:59 ]
  • 飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」と橋本温泉街②
    [ 2010-10-28 05:41 ]
  • 飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」と橋本温泉街
    [ 2010-10-27 05:16 ]
  • 飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」②
    [ 2010-10-26 05:09 ]
  • 飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」
    [ 2010-10-24 05:34 ]

飯坂散歩⑦:飯坂八幡神社あたり

 散歩は、紹介された「飯坂鯖湖こけし」工房を経由して、「鯖湖湯」の前の道を「飯坂八幡神社 」へ向かった。

 この飯坂八幡神社に家族と来るのは、久しぶりだったが、先に整理した通りだ。何か目新しいことはない。
 この神社の境内の散策で、整理し残していることを中心にする。



 これは、白河城主松平楽翁公建立「鯖湖の碑」だが、整備し直され、新しい説明が加えられていた。
 元の状態は、先に「白河城主松平楽翁公建立「鯖湖の碑」」として整理している。

 

 今回、後ろに回ってみたら、古歌についての説明が刻まれているらしいものを見た。説明板が新しくなったので、その中にあるだろうと思って、説明板を写真に撮り、家で確認したら、特にその説明は無いようだった。次の散歩で、確認するか。

 この境内は、地域の方が、各種記念碑を建てたいとおもう所らしい。いろいろな記念碑が建っている。



 この碑が「飯坂碑」であることが分かったのは、昔この辺りを散策した時に、これを説明する紙が掲示されていたからだ。ただ、もうぼろぼろになっていて、全部を読み取ることはできなかった。
 その中で読み取ったことによると、この碑は、初代飯坂町長の村島泰亮氏が、明治21年の飯坂大火からの復興と町制の施行を記念して、明治23年7月に建立されたとのことだった。
 ここには、飯坂に伝わる伝説から明治に至るまでの歴史が、漢文で書かれているらしい。また、題額は、当時の内閣総理大臣黒田清隆氏がかかわるらしいが、詳細は分からない。



これは、記念の桜の植樹と記念碑だ。具体的な記念の詳細は分からないが、記念碑に「堀切」という文字が見える。

by shingen1948 | 2011-01-12 05:52 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂散歩⑦:滝の湯旅館あたり

 この正月、天候のせいもあるが、腰に痛みがあって、家の中で静かに過ごす。徘徊なしの生活が続くのは久しぶりだ。これはこれで、新しい感覚との出会いでもある。徘徊することが先にあって、そのために調べるというパターンから、動いたことを元に整理して、考えてみるというパターンに変わっている。
 これを機に、整理し残しているものを確認してみたいが、とりあえずは家族との飯坂散歩に戻る。
 
 掘切亭から滝の湯旅館辺りに出たのは、家族の花水館がどうなったか、その様子をみたいという要望があったからだ。
 旅館の解体工事中のようだ。家人もあの老舗旅館「花水館」がどうなったのかという関心があったらしい。自分も関心があって、先にこの「花水館」とともに、滝の湯について整理している。

 その滝の湯の老舗旅館「枡屋」については、「飯坂温泉:「滝の湯温泉」②」と、飯坂温泉:「滝の湯温泉」:「桝屋」で整理している。

 絵葉書と見比べるためにこの角度から撮ったが、



 飯坂に詳しい人にとっては、「ますや」旅館というイメージは、こちらの方がイメージしやすかたと思う。ただ、この時点では、立ち入り禁止だった。



 今回は、その立ち入り禁止が解除されていたので、「ますや」の看板が掲げられる建物と絵はがきで見た老舗旅館「枡屋」との関係を確認した。
 先に、風景として「舞鶴の松」と老舗旅館「枡屋」のかかわりが確認できているので、今回の老舗旅館「枡屋」とホテル「「ますや」とのかかわりが確認できたということで、「舞鶴の松」とのかかわりを再確認しておく。

 滝の湯温泉全体としては、尾崎紅葉氏の新聞記事を元に、華やかだった滝の湯温泉について整理している。恐らく、子規が来た頃も、最新の設備であったろう内湯旅館を基本とした滝の湯旅館群が、この飯坂温泉で最も活気づいていたはずだと想像する。
 今回の散歩は、その滝の湯旅館群が衰退し、消滅していく姿を確認しているようだ。

 散歩は、その滝旅館群から右手の路地に入り、紹介された「飯坂鯖湖こけし」工房を経由して、「鯖湖湯」の前の道を「飯坂八幡神社 」へ向かう。

 飯坂では、現在、福島市飯坂地区都市再生整備事業の一環として波来湯がオープンし、福島交通飯坂線・飯坂温泉駅舎の改装工事が完了した。また、仙気の湯、導線の湯が新しくなったということで華やいでいる。これらが、明るい散歩の目玉話題だろうが、こちらはこれからでも散歩ができるということで、省略する。

by shingen1948 | 2011-01-11 11:34 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉:「滝の湯温泉」③

 滝の湯温泉にある飯坂三大旅館とされる「角屋」「花水館」「桝屋」を確認すると、無機質な情報が、生き生きとした情報に変わることもある。

 本当は、子規が飯坂を訪れた情報を探しいていたのだが、そちらの情報には出会えずに尾崎紅葉の情報に出会う。
 明治30年8月5日~8月10日までの福島民報の紅葉氏の追っかけ記事だ。雰囲気としては、現代の芸能レポートのような記事だが、その頃の飯坂の賑わい方とその頃の世なれした方の遊び方の典型のようなものが感じられる。
 尾崎紅葉氏が福島の福陽館に一泊した後、飯坂で2~3日滞在し、穴原温泉に2週間籠り、再び福島に移動するようだが、これを追う記事だ。その記事の中心が飯坂温泉だ。
 ここには、当時の有名人漫遊家らしい野崎左文翁とか、画家富岡永洗、水野年方、中央新聞記者村松柳江、劇通老大家某氏などとの動向が記される。
 この時点で、静かに静養する穴原温泉と愉快に遊ぶ飯坂温泉という場面が設定される事がわかる。

 飯坂での様子は、滝の湯の花水館に、投宿した上記の文人達の描写から始まる。
 そこで、若葉町の絃皷の響きを聞くのだが、この若葉町が花町である事を皆が知っているということを前提にして話が進む。滝の湯の花水館と若葉町の位置関係も分かっているという前提だ。
 記事には「館女お清」が登場するが、これは酌婦だろうか。

 世慣れた二人の画伯が、この絃皷の響きを何かと尋ねると、お清が、飯坂の盆踊りだと応えたという。粋な応えといいたかったのだろうか。
 それで、二人は宿の主人に案内させて和泉楼に遊んだようだ。ここで、左文翁も呼ぼうということになり、使いに便りを持たせる。
 一方、左文翁は、花水館の宿泊簿で紅葉を見つる。そして、二人の便りに、
 盆前や飯坂おどり見にごされ 
                     土佐将監
                     狩野元信
と書き改めて、先のお清さんに届けさせる。

 山人は、この悪戯を怪しんだり、友人かもしれないと迷ったりする描写があって、
 なのれ なのれ雨の中ゆく不如帰紅葉山人
と記してお清に渡したというのが、8日の記事だ。

 次の日も関連記事が続く。
 お清は、一応この便りを左文翁と老大家の許に届け、そして、楼の二人にも届ける。
 ここで、老大家が思案した後で、このことを山人にばらすという仕掛けをする。それで、山人が驚くと共に、二人を担ぎあげることになるということだ。
 「なのれ なのれ雨の中ゆく不如帰」の下に、「それ箭一本夏の刈倉」と脇をつけて、お清に届けさせ、山人と老大家が出会う。

 次の日に探偵員を装った手紙を角屋の使者として届けさせるという悪戯に発展して、この二人とも合流して、花水館で朝まで酒を酌み交わす。
 次の日の紅葉山人招待会まで、記事は続く。

 当時の飯坂温泉の賑わい方の一側面が、見えたような気がする。

by shingen1948 | 2010-11-06 06:00 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉:「滝の湯温泉」②

 先の写真が、老舗旅館「枡屋」だと分かったとしても、その情報は「温泉史」に、紹介される範囲でしかない。
 滝野温泉の傍摺上の西岸に枕す、花水館、角屋旅館と相比し、飯坂三大旅館の一なり、客室宏壮東公園の桜季、愛宕の秋月は座がらにして賞翫すべく頗る風致に富む、勤勉厚遇を以て聞こゆ
 
 なお、この滝湯の飯坂三大旅館は内湯らしい。他に内湯は、この街道奥の赤川新道花岡町に「寿富貴温泉」があったようだ。元々は割烹で、鳥料理を中心として、そこに専属内湯を付けたということのようだ。
 そういった情報を元に、散歩を通して現在の風景の中に、原風景のイメージを探る。
 ねらいは、子規が十綱橋まで散歩した風景をイメージしたいということだが、確認していく過程で思わぬ情報と結びついて、イメージが広がることがある。

 2003年頃の飯坂温泉にかかわる掲示板を眼にした。
 明治時代の飯坂温泉「枡屋」を知らないかというものだが、その解答は「最近まで、ますやという旅館は営業していました。現在は閉館しています」というものだ。
 これが、北海道十勝地方を開拓した晩成社で有名な依田勉三が明治41年4月9日に宿泊した「滝ノ湯・升屋」を探しているというものだ。
 滝の湯であることから、絵葉書の「枡屋」と探していた「升屋」、それに、この「ますや」は一致しているのではないかということでけりがついたようだ。
 散歩を楽しむものとしては、そこからわきに逸れて「晩成社で有名な依田勉三」も確認してみる楽しさがあるなと思えてくる。
 風景を具体的にイメージしたり、名前が特定されたりするという効用は、親近感がわくというに留まらない。新たな興味ある情報に出会える可能性が出てくるという事でもある。

 なお、明治時代には、鯖湖湯のある湯沢にも「マスヤ」があったようだ。7年も前の掲示板なので、今でどうでもいい情報だろうとは思う。
 「温泉史」によると、こちらは正式名称が「桝谷旅館」で、鯖湖温泉の左側にあったようだ。三階層の旅館とある。他は中村屋旅館に同じとあるから、温泉は共同浴場「鯖湖湯」を使用するということのようだ。

by shingen1948 | 2010-11-05 05:32 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉:「滝の湯温泉」:「桝屋」

 「花水館」とかかわって「滝の湯温泉」を確認したので、「福島の建物」のカテゴリーという範疇で整理した。
 しかし、「滝の湯」は、芭蕉とかかわるという説もあり、そういう意味では、「芭蕉の足跡」のカテゴリーとも重なる。更には、その芭蕉を追って正岡子規がこの飯坂を訪れた時には、ここが中心的な温泉街であった。そういう意味でも「芭蕉の足跡」とも言えるし、「山歩きと温泉」という範疇でもある。
 その「滝の湯温泉」にかかわって、ずっと気になっていた風景があった。
 それが、この松の木のある風景だ。
 これが、最近、飯坂の老舗旅館「桝屋」の玄関らしいと思えてきている。
 滝の湯の整理の時に写っていた「ますや」とかかわり、古い地図の「大沢」「マスヤ」「春日ヤ」とあった中の「マスヤ」とかかわるのだろうと想像する。

 そう思えてきたのは、この風景とそっくりな写真を見たからだ。それは、絵葉書「桝屋旅館」の玄関の写真だ。間違いなければ、この奥に老舗旅館「枡屋」の玄関口があったのだろう。
 恐らく地元の方はご存知なのだろうが、一つの旅館に限定して表記する事をはばかっているのだろうと思われる。
 ここに案内板は建っているが、そのことにはふれずに、「名木『舞鶴の松』」として松の木を説明する。
 名木「舞鶴の松」
 樹 齢:推定400年
 樹 種:黒松
 根回り:200㎝
 根張り: 21m
 樹 高:  8m
 この松は、巨木にして鶴が羽を広げた様相をしていることから、舞鶴の松といわれています。松は長寿のシンボルとして変わらぬ緑、大樹の威厳を持ち古くから祖霊の宿る木として人々に愛され見守られてきました。飯坂温泉の名画としてご鑑賞ください。
 飯坂温泉観光協会

 子規がこのあたりを散歩した時には、この奥に「枡屋」の旅館があったとイメージすれば、「芭蕉の足跡」のカテゴリーだが、とりあえず「山歩きと温泉」という範疇に入れておく。

by shingen1948 | 2010-11-04 05:57 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉共同浴場「切湯」

 絵はがきなどを見ていると、「橋本温泉」の元湯のイメージは、摺上川沿いの「綿屋」の北端ということかもしれないとも思える。

 基本となる元湯があって、それを共同の湯源として旅館が発展するというイメージで、湯野側の温泉街を見てみると、もう一つの起点が「切り湯」のような気がする。
 飯坂温泉の紹介によると、この湯は寛永元年(1624)に発見され、切傷に効果あるというのをみる。

 ここを下っていくと現在の共同浴場「切湯」だが、ここは向かいの波来湯の方から引いていて、川を渡るのに冷めるから少しぬるいんだというような話を聞いたことがあることを思い出している。20年ほど前の話で、その話が確かな事なのかは定かではない。
 


 古い地図で確かめると、「キリユ」とというのがあって、これが、共同浴場「切り湯」を表しているのは直ぐに想像できる。先の写真に写る建物は、この地図に表記される建物の位置関係からは、「井サノヤ」とかかわりそうだがどうだろうか。

 それはともかく、この地図にもう一つ漢字で「切湯」と表示しているのがある。
 西根堰の鼻毛の隧道から、当時の新道に出てくるあたりだ。
 この「切湯」の表示をどう見るかということだか、これが「切湯温泉」を表しているのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 ただ、今のところ、それを説明する資料にはまだ出会えないでいる。



 現在、西根堰の遊歩道の整備のために工事中のところだが、四角いコンクリートの所には、共同浴場の「狐湯」の案内標柱が建っていた。これが地図にある「キツネユ」だろうと思う。
 昔、西根堰を探索して、鼻毛の隧道を過ぎると、旅館の脇を通ってこの出口にたどり着くというイメージだったが、これが地図上の「清龍館」だったのだろうと、今になって思う。そこが取り払われて、堰沿いの道を広げて遊歩道にしようとしているというこのようだ。

 「切湯温泉」だが、「切湯」と「狐湯」という二つの共同浴場があったということだろうか。
 現在の風景と照らし合わせると、「ヤスダヤ」、「信夫ヤ」「シミズヤ」「カメヤ」「松島ヤ」は不明だが、「シンマツバヤ」とかかわりそうなのが、「新松葉屋」だろうか。隣に「松葉ヤ」があって、これが本家筋かなと想像する。

 

by shingen1948 | 2010-10-29 05:59 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」と橋本温泉街②


 「橋本温泉」をひとまとまりと見た時代のイメージを探るのに、地図に古い地図にある旅館名を重ね、更に、「ゆの村」の「橋本温泉」あたりの旧道を解説する道筋を重ねてみる。

 「橋本湯」近くは、先に整理したような感じでイメージする。
 十綱橋の南側は、「橋本館」が目印になるだろうか。




 直ぐに確かめたくなるのは、「十綱の渡し」だろうか。
 これは、今の地図とのかかわりで確認できる。魚屋さんの脇道を進んだ所に十綱の渡しに向かう道筋を案内する標柱が建っている。この道が、「十綱の渡し」に向かう旧道らしい。



 ただし、その標柱に案内されるその先の「十綱の渡し」に向かう道筋は、現在は通れない。それでも、飯坂側からみる十綱の渡しのイメージの補助資料にはなる。



 橋本館の向かい側のこの辺りに古い地図の「岩村屋」があったのだろうか。現在は、十綱橋から湯の上に登る坂が整備されているか、古くはこの道はなかったようだ。個人的には、この坂のむこう側の喫茶店でたむろした時代が懐かしい。

by shingen1948 | 2010-10-28 05:41 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」と橋本温泉街


 今は「仙気の湯」は、湯野側の一共同浴場でしかないが、湯野側の温泉街の中心的存在だったようだ。その中心だった頃の「仙気の湯」の場所は、このホテルあたりだろうと思われる。
 現在の湯野旅館の位置と昔の地図とを見比べてみると、地図上に「橋本館」・「綿屋」・「前野屋」という名の旅館は、現在も似たような位置にある。これらを同じものと想像すると、地図上の「佐藤屋」は、現在の「松島屋」あたりで、それと「綿や」の間に「仙気の湯」を想像する。
 地元を知る方は、この「仙気の湯」を中心に「橋本温泉街」をイメージするのだろうと思われる。



 先に、地図上の「湯野屋」を現在の足湯付近とみたが、ここに来てみると、足湯の隣に「湯乃家」の看板が見える。こちらが地図上の「湯野屋」だろうか。
 このあたりの道が、こんなふうに広げられたのが明治19年で、当時はここが新道だ。



 散歩のついでに、また「仙気の湯」に立ち寄った。
 今回、「仙気の湯」の泉質が表記されているのをみつけた。
 源泉名が、若竹分湯槽となっている。「若竹」という名からは、川向かいの飯坂温泉を連想するがどうだろう。それが、先に見た塔に送られて配湯しているということなのだろうか。

源泉名:若竹分湯槽
泉 質:単純温泉
泉 温:60.0°C
ph値:8.648 弱アルカリ性
効 能:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・ 慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
禁忌症:急性疾(特に熱のある場合)・活動性の結核・悪性腫瘍・重い心臓病・呼吸不全・出血性疾患・腎不全・高度の貧血・妊娠中(特に初期と末期)・その他一般に病勢進行中の疾患
 飯坂温泉の共同湯の泉質として一般的に表記されるのは、泉質は単純温泉、泉温が58.5℃、ph値が8.648で弱アルカリ性というものだ。これと大差ない。あえて差を求めるとすると、アルカリ性が少し強く、泉温がやや高めということだろうか。

by shingen1948 | 2010-10-27 05:16 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」②

 明治期の飯坂温泉をイメージしたくて確認しているところだが、この仙気の湯の歴史も古いらしい。飯坂温泉の紹介で、この湯は元和4年(1618)に発見され、昭和42年に湯野橋本より現在地に移転されるとあるのを見る。
 「ゆの村(秋山政一)」で、大正の初めに堀井繁太郎氏がスケッチした絵に「橋本温泉」とあるのが、元の「せんきのゆ」との解説を見る。

 湯野側の今の温泉通りができたのは明治19年(1886)だが、その湯野側の温泉街の起点となる温泉の一つが、この「せんきのゆ」だったということらしい。
 ここから東側が高台になっているが、ここを「湯の上」とよぶのは、この「せんきのゆ」の上という事とのことだ。

 古い地図で確かめると、確かに「綿ヤ」と「佐藤ヤ」の間に「センキノユ」がある。これが「橋本温泉」のようだ。

 近くに現在改築中の共同浴場「導専の湯」があるが、この湯はこの地図にはない。導専にプロットされるのは、役場だけだ。話はそれるが、この位置関係で道路元標が設置されている場所に納得する。
 先の案内で確認すると、この「導専の湯」は、昭和37年(1962)に「八幡湯」「大門湯」と共に開湯したとある。比較的新しい共同浴場のようだ。



 これは、近くにあった塔だが、これが現在の源泉だろうか。この原点が「仙気の湯」であり、「橋本温泉」ということのように思える。
 「仙気の湯」「導専の湯」そして、この地図では昔「湯野屋」で、少し古くは「婦人会館」だったところの足湯、そして、その近くの温泉へ配湯されているものと想像する。

by shingen1948 | 2010-10-26 05:09 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)

飯坂温泉共同浴場「仙気の湯」

 共同浴場「仙気の湯」が改修されたというニュースを聞いていたが、まだ行っていなかった。
 車にはいつでもどこでも風呂に入れる道具は準備してあるのだが、ここしばらくは車は使わないようにしている。遠出は、せいぜい自転車の範囲に留めて生活してみたいということで、近間は、勿論歩き。その時に持ち運ぶリックには、風呂道具が入っていなかったのだ。最近、確かめたい事があって、飯坂温泉に頻繁に出向いてきていた。そのたびに足湯に浸かってはいたが、いつも次は準備しようと思ってはいたがそのままになっていたのだ。

 リックに風呂に飛びこめる最低限の道具が準備できたので、早速仙気の湯に入ってみた。

 まずは、入浴券を買う必要があるのだが、入浴券を販売する店はなさそうなので、歩いていた人に聞いたら、今は、自動販売機が設置されているとのこと。

 中に入ると、確かにありました。そこで入湯券を購入して、受付に出すという鯖湖湯と同じシステム。
 
 改修されて変わったのは、浴槽部分が二つに分かれたことのようだ。その一方には、42℃の表示があって、もう片方が、48℃の表示。
 近年、観光で日帰り入浴を楽しむ人が増えた対策で、地元の方と共存を目指しての改変ということらしい。
 この改変で問題が改善したかというと、そうでもなさそうな会話が面白い。
 「熱い湯」に陣取った地元の方の会話から、地元の方でも全員が47~48°Cにこだわっているのではなさそうなのが分かる。会話されていた方々の好みは、45°Cらしい。ところが、この改修後は、47~48°C好みの主に地元用の浴槽は占領されて、地元民であるのにぬるい湯に追いやられているということもあるらしい。

 実際の温度は、一方が45~46℃で、もう一方が43℃位だ。
 最初はぬるい方の湯に入っていたが、この程度なら熱い方も大丈夫なので、そちらにも入ってみる。どちらも気分よく入れて満足。
 楽しんでいたら、S新聞の取材撮影が入った。写るのは嫌だったので、湯から上がってそれが済むのを待っていた。今思えば、別に逃げ隠れする必要も無かったなとも思う。

 風呂からあがって外で少し休んでいたら、ここでも問題改善にかかわる会話が聞こえてきた。
 それは洗い場の話だ。
 共同浴場では、身体を洗うのに、浴槽から湯を汲むのだが、これが狭くなったということだ。
 昔は中央にあった浴槽が端になったのに加え、浴槽の二分割になったので、地元の方にとっては、これが大分狭まってしまったらしい。
 
 地元の方の会話の内容だけ書くと不満だったのかなと思われるが、そうではなさそうだ。会話する表情が生き生きとしている。このニュースをネタにして、互いに自己主張できる楽しさを味わっているのがよく分かる。
 

by shingen1948 | 2010-10-24 05:34 | ◎ 山歩きと温泉 | Trackback | Comments(0)