地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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カテゴリ:☆ 映画話題と視聴記録( 152 )

 先に「小さいおうち」を視聴し、その記録を整理したところだが、その黒木華さんがベルリン映画祭主演女優賞(銀熊賞)に輝いたとのこと。
 贈られた賞は黒木華さんだが、評価されたのは作品そのものもあったのだろうと思う。毎日新聞「ひと」欄をみると、彼女も「山田監督についてこられただけでも幸せ。みんなで喜べたらうれしい」といい、「銀熊賞の黒木ではなく、『ちいさなおうちの黒木です』と、またベルリンに帰ってきたい」と語っているのだとか。
 もっとも、山田監督が彼女を抜擢したのは、「昭和の雰囲気を色濃く持っている。地方出身の若い女性を演じられる女優は少ない」からだったらしい。一歩引いた地味さが監督の心を引き付けたということのようだ。その結果を受けて今思い返すと、確かに心に残っているのは、その一歩引いたその地味さかな。
 監督が受賞理由を「初々しさが評価されたのでは」と想像したことと、審査員評が「女優が活躍する映画の中で群を抜いていた」と賞賛だったという落差にも納得ができる。

 この映画で感じることの一つがこの作品自体が強い主義主張をしないことであることは、先にもふれた。
 描かれる時代は、やがて始まる戦争へと向かう先行きの見えない時代で、その足音をどこかで気付いてはいるはず。しかし、そのことを直接的に描写するのではなく、好景気に湧く華やかな日々の中に埋没させて描いていく。
 戦争が近づいても、人々は危機意識とは程遠いのんびりと生活を楽しんでいる。戦争の時局そのものも、戦争景気を夢見て浮かれる当時の東京の中流家庭の政治談義として描かれる。男たちは、中国での戦争もすぐに片づくと楽観している様子が、実に写実的に描かれている。

 先に視聴記録を整理した時には、この事を過去の時代としてみていた。しかし、最近気付いたのは、これは今の時代とみるべきだという事。
 福島の中の「フクシマ」の現場からは少し離れたところでみていると、オリンピックに踊らされる中で、「フクシマ」は無かった事になりつつある。
 先の参議院選で一人区になった福島から、勝利した福島の代表議員さんは、浜通り出身の方だ。この方が、いつの間にか「機密保護法案の法制化」にまい進する係として活躍なさっている状況をみている。
 一強独裁の政治の世界では、そのリーダーの方は完全に言いたい放題なのだが、その青臭い若造の論理の片方の先に福島の代表議員さんがいらっしゃる。
 取り戻そうと訴えられる「美しい日本」の時代は、このドラマの少し前の時代で、道を踏み外そうとした頃の日本を指すようなのだ。そこに向けて、武器輸出拡大、集団的自衛権解釈、核の傘依存など訴えられるその先に、「機密保護法案の法制化」にまい進する福島の代表議員さんがいらっしゃるという構図がみえる。
 しかし、近隣諸国の利権・領土への野望が続いていることへの抵抗意識の高揚の雰囲気や、オリンピック意識の高揚が、気づかぬうちに国家意識の高揚に変質している現状。そんな感じかな。

 映画と重ねれば、進むベクトルがあの時代であり、描かれた時代は今の日本そのもののようなのだ。
 ならば、「ちいさなおうち」が、空襲の焼夷弾で焼けて破滅するのは、過去の世界ではなくて、われわれの未来の話なのではないかとの感覚が交錯する。深読み過ぎかもしれないこの感覚を付け加えておきたい。
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by shingen1948 | 2014-02-23 05:57 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 福島フォーラムで視聴する。 [1/25(土)公開]
 「ちいさいおうち」は、別冊文芸春秋に連載された中島京子氏のベストセラー小説で、直木賞を受賞した作品の映画化とのこと。
 元女中のタキが、かつて奉公していた東京郊外の赤い屋根のちいさいおうちの平井家を顧みる回顧禄の中で、そこで起こった奥様の密やかな恋愛事件をめぐって、このままでは一家崩壊すると案じるタキとの微妙な心理が描かれるとのことだが、原作は読んでない。
a0087378_654934.jpg
 映画では、その赤い屋根の小さなおうちに奉公していたタキが、大学ノートに自叙伝に綴り、それを介したタキにつながる青年との交流という設定を通して、昭和と平成の二つの時代が描き出されるという構成。
 モダンな「赤い三角屋根のちいさいおうち」は、その昭和の時代のモダン文化の香りを描きだす。
 扉や窓にはめ込まれたステンドグラスや蓄音器、そこから流れる音楽から、小物まで、東京の中流社会の庶民のおしゃれな生活に溶け込んだ流行の雰囲気が醸し出される。
 そんなおうちで、タキは玩具会社に勤める主の雅樹と優しい奥様の時子、ぼっちゃまとの宝物のような日々を送る。そんな生活の中で、主の会社の社員をめぐる奥様の密やかな恋愛事件も綴られる。

 しかし、今の時代からみれば、その時代は昭和初期から次第に戦況が悪化してやがて第二次世界大戦にむかう時代でもある。これを、その「東京の中流社会の庶民のおしゃれな生活」の旦那様の食卓での会話や来客とのよもやま話を通して描かれる。
 日中戦争などは、平井家での年始に、会社の社長と社員たちが集まった金儲けの話として盛り上がる。
 やがて始まる戦争へと向かう先行きの見えない足音をどこかで気付いてはいるはずだが、表面上は好景気に湧く華やかな日々と重なっていて、深刻さは埋没している。そんな現在にも通じる時代感のようなものが、大学ノートの自叙伝を介したタキと青年との会話から意識させられる。

 残された秘密は青年がひもといていくことになるのだが、タキのその先の真意は視聴する者にゆだねられるが、頭に残るのは、「生きすぎた」という言葉の余韻。

 配役を気にするようになってきたのは最近の事。
 時子を演じるのは、松たか子。その夫・雅樹には、片岡孝太郎。平成に生きる現在のタキには、倍賞千恵子。そして、時子の恋の相手・板倉役には吉岡秀隆。
 昭和のタキを演じるのは、黒木華。そして、タキにつながる青年役は「東京家族」から続けての妻夫木聡。その他、本来主役級の方がちょいと顔を見せるという豪華で多彩なキャストの雰囲気は昨年視聴した「東京家族」映画視聴を思い出させる。

 【フォーラム福島】作品紹介
 上映時間 2h16(2013年/日本映画)
 監   督  山田洋次  原作:中島京子
 出 演 者 松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子、橋爪功、吉行和子

 「家族の絆」を描き続けてきた山田監督が、今作で初めて「家族の秘密」に迫る。
 家族の温かさを見つめてきたその目で、更に深く人間の心の奥底に分け入り、その隠された裏側までも描きだそうとする。
 そんな監督の情熱から生まれたかつてない意欲作が、ついに完成した。

 「ちいさなおうち」パンフより
 <小さいおうちに封印された秘密が、60年の時を経て紐解かれるー切なくもミステリアスな物語>
 昭和初期、東京郊外に佇む赤い屋根の家に奉公する女中タキが見た、ある「恋愛事件」。その時、タキが封印した「秘密」が、60年の時を経た平成の今、タキにつながる青年の手で紐解かれていく。真相に近づくカギは、大学ノートに綴られたタキの自叙伝と、一通の宛名のない未開封の手紙にあった。時代が許さなかった恋愛事件の主役である女主人・時子の思いがけない運命と、彼女を慕い続けたタキ。それぞれが胸に秘めた切ない想いとはー?
 小さく可愛らしいこの家で、いったい何が起きたのか? 昭和と平成を行き来しながら、謎を解くミステリアスな展開から眼が離せない。さらに、揺れ動く女たちの心が胸をしめつけるー。

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by shingen1948 | 2014-01-25 06:00 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 先に、手持ち情報から阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)の旧地を、さざえ堂と山主飯盛山の間位に想像したところだった。<阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)②~旧地情報>
 http://kazenoshin.exblog.jp/18440834/
a0087378_6112630.jpg  「会津戊辰戦争」としては、白虎隊士中二番隊の帰城経路を示すこの図に、阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)の旧地情報が含まれている事に気がついた。 
 ここに、「今ノ七日町阿弥陀寺ノ大仏ハ此處ニアリシ正宗寺ノ大仏ナリシ」と明記される。
 この図の「弁天堂」が、現厳島神社だ。
 その鳥居の位置に、「仁王門」があり、その左手やや西に、阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)が西向きに鎮座していたということらしい。

 弁才天の信仰について確認すれば、「弁才天は、日本各地の水神や、記紀神話の代表的な海上神である市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、神社の祭神として祀られることが多い」とのことで、水に深い関係のある場所に祀られるという。
 ここも猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた「戸ノ口堰洞穴」脇である。
 元和年間から元禄年間まで工事が行われ、天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進んだとのこと。これで藩田2500ヘクタールの灌漑が可能になり、会津藩にとって大きな恩恵となったとのことだ。
 「戸ノ口堰洞穴」。
 今から約350年前元和年間、猪苗代湖の水を会津地方に引くため、郷士八田氏が起工し、元禄年間まで工事が続けられ、後天保3年会津藩士佐藤豊助が藩命により飯盛山の山腹約150mを人工的に穴をあけ水田2500haの藩田に供し、使役人夫5万5千人と約3ケ年の歳月を費やして遂に完成した。
白虎隊士中二番隊は戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが、戦に利あらず、お城の安否を確かめようと帰城の途中隊士20名が通過した洞穴である。
 この厳島神社を確認すると、「弁天様と親しまれ、飯盛山の別名弁天山の由来はこの神社にあります。永徳年間(1381〜1384)に建立され、主神は市杵島姫命。明治になり、厳島神社と改められました」とある。古くから弁才天を祀っていた神社では、明治以降、市杵島姫神や宗像三女神を祀っている神社も多いとのことで、矛盾しない。

 弁天様と仁王門や阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)とのかかわりだが、「飯盛家と飯盛山正宗寺」に、以下の解説をみる。
 「もともと飯盛山正宗寺は、歴代の領主より宗像神社(現厳島神社)の別当として、飯盛山霊域を拝領し、神仏混合によって守護し続けてきたものである」とのことだ。

 この神仏混合の弁天様の原風景から、戊辰戦争の西軍の略奪によって大仏が消え、明治初年の明治政府の神仏分離令によって信仰の原形が消え、更に、白虎隊の観光地化によって信仰そのものが変質していったという事でもあるようだ。
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by shingen1948 | 2013-09-15 06:13 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 大島渚監督の訃報のニュースをテレビのワイドショーで見る。
 小心者なので、作品の毒に近づけずに、テレビのワイドショーの姿をお見受けするだけだったが、間違いなく新藤兼人監督、若松孝二監督と同じように、自己を貫く映画に徹した方だったと思う。
 その自己を貫く映画に徹した方の訃報が続くという印象がある。
a0087378_4492522.jpg そんな事を考えている中で気になってきたのが、「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の映画だ。気になりだしたのは、若松孝二監督は、何故、今になって撮らねばならないと思ったのかということだ。メッセージ性の強い社会派作品を撮ってきた若松孝二監督の感性が、今になって何を嗅ぎ分けたのかだ。
 その観点から視聴記録をもう一度整理し直しておこうと思う。

 まずは、現実の世界として確認する。
 この事件は、1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊の国軍化を求めて自決したということ。当時、これは衝撃的な事件だったという感性的な記憶であり、受け止めとして、三島文学の作品と現実がクロスしたものとして理解していたものだった。
 文学的な世界でみれば、三島が追い求めたのは美しい日本の原理としての天皇ということかなと思っていた。
 これを若松孝二監督の感性がどう描き出すのかという興味で映画は視聴した。

 最近になって気になりだしたのが、文学が現実化してきているように感じてきたことだ。三島由紀夫が描く小説の世界に、現実の世界がめり込んでいくという気配を見せているように思えてきていることだ。
 事件当時の首相であり、自民党総裁でもあった佐藤栄作氏は、「気が狂ったとしか思えない」と突き放したはずであり、三島作品が嫌いではなかった自分も、現実の世界としては奇異な感じを抱いていたはずだった。
 ところが、現在は首相の安倍晋三氏が、自民党総裁になると直ぐに国防軍を言いはじめた。確かに、自民党には自衛隊を「国防軍」にする公約があるらしい。そして、安倍氏は、改憲重視の岸信介元首相の孫であるという条件もある。
 そして、思いだせば、2006~2007年の首相在任期間の中で突っ走ったのは、「美しい国日本」「戦後レジームからの脱却」とかという言葉に酔った表現で、国民投票法や教育基本法改正を実現した。そこに、中国を中心とした国境紛争が過熱気味という状況も加わってはいた。
 最近は控え目にしているようだが、見方としては参議員選挙までだろうとのことだが、政治に疎い素人には分からない。ただ、若松孝二監督の感性が今だと判断したのは、劇場化する現実世界に流される現代を見ていたのかもしかないなと想像する。

 ※ 先に整理した「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の視聴記録
 この映画の視聴記録としては、以下の2回に分けて整理した。
 〇 映画視聴記録「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち
 http://kazenoshin.exblog.jp/15600991/
 〇 映画視聴記録「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」②
 http://kazenoshin.exblog.jp/15607944/

 「映画監督:若松孝二さん訃報のニュースに接して」、その時点で残念に思ったのは、彼が秋にもう一本撮りたいと言っていた原発の映画が見たかったなあということだった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/16633010/ 
 「東電をもじくる」ための真実味を出すことと経費削減を兼ね備えた手法に使えそうなニュース映像も最近になって出てきているらしいので、若松監督がタブーに挑戦し、隠そうとしているものを全部ぶちまけるだろうという期待感があった。

 若松監督の魅力は、力を抜いてきままに撮った抽象的なファンタジー作品に感性的なものとしてあらわれるということらしいが、自分にとっての期待は、「気張って作る歴史物」だったことが分かる。
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by shingen1948 | 2013-01-24 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)

「東京家族」視聴記録

 福島フォーラムで視聴する。 [1/19(土)公開]
a0087378_643393.jpg 「東京家族」は、1953年の小津安二郎監督作「東京物語」をモチーフに家族のきずなを描いた作品とか。
 瀬戸内海の小島に暮らす橋爪功、吉行和子が演じる老夫婦が、子供たちに合いたいと上京する。開業医の長男の家に、美容院を営む長女、舞台美術の仕事の次男が集まる。 
 この設定は小津安二郎監督作「東京物語」と変わらないとの紹介だが、こちらは視聴していない。この作品は、日本の社会が変わろうとする時代のある家族の日常風景を通して切り取った作品とのことだが、今の時代も、漠然と大きな変化を突きつけられているところに、東日本大震災が襲い、新たな迷いを突き付ける時代背景。
 その今を生きる家族の日常風景を描く事を通して、日本人のあり方とか家族のあり方とかを語りかけるということが共通のテーマらしい。

 親子関係は希薄であるという設定のようだが、その中にもやさしさが漂う。
 長男長女はやさしく迎え入れようとするが日常の生活に忙しい。両親の相手も出来ないから、お金を出し合って横浜のホテルに泊まってもらうことにするのだが、2泊の予定を切り上げて帰ってきてしまう。
 結果的に宿なしになった両親が、それぞれの計画でその日を過ごす事に。
 父は、同郷の友人宅へ、母は次男のアパートへ行くことに。そこで、母は、東京に来て本当によかったと安堵する出来事に出会って帰ってくるのだが、何があったかを話す前に、突然倒れてしまう。
 ストーリーは淡々と進むのだが、その中で家族とか絆とか日常の幸せってなんなんだろうと考えさせられる。
 特に、次男が、母に恋人との出会いを紹介する場面、父がその次男の恋人と向き合う場面を通して、気まずかった次男と父親のかかわりに新たな希望を匂わせて心に残る。
 最後に、日々の暮らしに戻る。そこにあるのは羨ましい瀬戸内海の小島の風景、隣の家族との濃い人間関係があるのだが、感じ入るのは、それは日常の暮らしでしかないという贅沢さかな。その暮らしの中で爪を切る姿でエンディング。

 【フォーラム福島】作品紹介
 東京家族
 2012年/日本映画上映時間2h26
 監督:山田洋次
 出演者:橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣
 小島で暮らす夫婦が子供たちに会うために東京へやってきた。久々の再会に初めは互いを思いやるが、次第につれなくなる子供たちに淋しさを抱く父と母。誰よりも近いはずが時々遠くに感じてしまう。そんな、どの家族が見ても思わず共感してしまう物語です。山田洋次監督最新作!

 【エキサイトシネマ】作品紹介
 東京家族
 山田洋次監督83作目は小津監督へのオマージュ
 小津安二郎監督の代表作『東京物語』を現代の設定に置き換えた家族ドラマ。橋爪功、吉行和子、西村雅彦、中嶋朋子、妻夫木聡など実力あるキャストを迎え、監督50周年となる山田洋次がメガホンを執る。田舎から上京してきた夫婦と東京で暮らす子どもたち、生活のリズムが違う家族が再会することで生まれる絆を時に愛おしく時に儚く描いていく
 ストーリー
 個人病院を営む長男、美容院を経営する長女、舞台美術の仕事をしている次男。東京で暮らす3人の子供たちに会いに瀬戸内海の小島から上京した周吉ととみこ。だが、楽しく滞在してほしいという子供たちの思いは噛み合わず、ある日とみこが次男の家で倒れ……。
 スタッフ・キャスト
 監督・脚本:山田洋次 ・製作:深澤宏、矢島孝・脚本:平松恵美子・撮影:近森眞史・美術:出川三男 ・音楽:久石譲
 出演:
 橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優、小林稔侍、風吹ジュン、茅島成美、柴田龍一郎、丸山歩夢、荒川ちか

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by shingen1948 | 2013-01-19 06:44 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 最終話は、清盛の最後が描かれる。
 これは、平家一門の滅亡と直結することであり、そのかかわりの中で4年後の「壇ノ浦の戦い」に破れ、安徳天皇とともに平家滅亡までが描かれるのは、想定内の事。ところが、ドラマでは当方の想定外の鎌倉時代、室町時代の幕開けまでふれてしまう。
 考えてみれば、このドラマのテーマ設定が、江戸時代まで続く武家政権の最初の扉を開いたのは平清盛ということ。そう思えば納得だが、普通にその後の物語展開とみれば、盛り沢山のイメージになってしまう。そう思うのは、当方の勝手な都合かなとも。
 本当は、現在地域散策として阿津賀志山防塁を整理しているのだが、これ等とうまくつなげられないかなという期待があって、それが裏切られたという感じもあったかな。

 さて、清盛の最後だが、「平家物語」では、巻6「入道死去」に描かれる。
 清盛が「頭風」を病んでいるという噂がながれて程なく、治承5年(1181)閏の2月4日、盛国の八条河原口にある屋敷で息を引き取る。享年64才とか。
 2日前の時子への遺言で、葬式や供養は不要であり、頼朝の首を我が墓前に供えることが私にとって最大の喜びであることを一族郎党はこれを肝に銘ずべしとしたとか。
 清盛は発病以来、湯水ものどをとおらず、身体の熱いこと火の如くだったと伝える。病床の清盛はやたら熱がり、水風呂につけて身体を冷やそうとすると、たちまち水が沸き上がって湯になってしまったとか。筧で水を引いて注ぎかけても、熱した石に水をかけたときのように、水がはじけて一瞬で蒸発したとも。
 清盛の死後、遺骸は荼毘に付され埋葬されるが、その墓所は諸説あるようだ。その有力候補は、播磨国山田の法華堂とか。その仮説のもとが「吾妻鑑」の清盛の遺言で、「播磨国山田の法華堂に納め 七日ごとに仏事をせよ、京で追善供養を行ってはならぬ」とか。

 ここで、いつもは要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」からお借りしてしめるのだが、今話は最終話で大テーマともかかわる。それで、まずは、やや詳しく整理されるNHKサイトの大河ドラマ「平清盛」あらすじをお借りする。
 http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/story/50.html
 「遊びをせんとや生まれけむ」
 突然の熱病に倒れた清盛(松山ケンイチ)は生き霊となって、遠く伊勢・二見浦にいる西行(藤木直人)の目の前に姿を現す。はじめはひどく驚く西行だったが、話を聞くうちに事態を理解し、清盛の霊に死期が近いことを説く。京では高熱にうなされている清盛を、平家一門が祈るように見守っていたが、手の施しようもなかった。
 一方、後白河法皇(松田翔太)は清盛危篤の報に接し、思いつめたように今様を歌い、踊り続ける。
「♪遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん♪」
 生に執着する清盛の様子を見かねた西行は、思いやりあふれる言葉で諭す。そして西行の言葉でようやく自分の寿命を受け入れた清盛は一門の前でむくっと立ち上がり、「―きっと、わが墓前に、頼朝が首を供えよ!」と言い遺し、1181年の春、絶命する。64年の生涯だった。
 西行は京の平家一門を訪れ、清盛の遺言を伝える。二見浦の庵で清盛と交わした最後の会話がみんなへの遺言だったのだ。西行の姿はいつしか清盛そのものとなり、それぞれに遺言が伝えられた。
 その後も、平家は一連托生の強い絆のもとにそれぞれ戦った。源氏軍の侵攻により、都落ちを余儀なくされたのは1183年。この都落ちはそれぞれの行く末に多大は影響をもたらした。頼盛(西島隆弘)は清盛の遺言を受けて、平家の血を守ろうと考え鎌倉の頼朝(岡田将生)を頼った。侍大将の忠清(藤本隆宏)は伊勢で戦ったが捕縛され、斬首となった。その後、態勢を立て直した平家だが、一の谷で重衡(辻本祐樹)は捕らえられて斬首となり、逃亡した維盛(井之脇海)は後に入水して果てた。
 壇ノ浦でも多くものが西海に散った。総大将の知盛(小柳友)は勇猛果敢に戦い、最後は錨を体に巻きつけて海に沈み、宗盛(石黒英雄)は死にきれずに海でもがいているところを捕縛され、のちに斬首された。徳子(二階堂ふみ)は捕らえられ、のちに出家して建礼門院となり、一門の菩提を弔う生涯を送った。時忠(森田剛)は配流された能登国で生涯を終えた。そして時子(深田恭子)は安徳天皇(田中悠太)を抱き、「海の底にも都はござりましょう」と言って海に身を投じた。鎌倉のとある館では捕縛された盛国(上川隆也)の姿があった。盛国はひと言も発せず、飲食を断ち、餓死による自害を選んだ。亡くなった盛国を弔う琵琶法師はかつて禿の長として京を震撼させた羅刹(吉武怜朗)だった。
 平家を滅ぼした頼朝が、次に退けねばならなかったのは、弟・義経(神木隆之介)だった。身内同士で殺し合う苦しみをよく知る頼朝は、幾度もしゅん巡するが、最後には弟の追討を決意する。
 1186年、頼朝のもとへ西行が訪ねてきた。西行は頼朝にも清盛の遺言を伝える。「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ」という言葉をうけ、頼朝は自分の進むべき道を定めた。
 1189年、奥州藤原氏を頼ろうとした義経は衣川で兵に襲われ、孤軍奮闘するも、弁慶(青木崇高)は多数の矢を受け立ち往生し、義経は自害して果てた。
 1190年、頼朝は上京し、後白河法皇と対面した。後白河法皇は老いを感じさせるうつろな目で頼朝を迎えた。その一年後、後白河法皇は亡くなり、頼朝もその7年後に死んだ。そして頼朝が開いた幕府が滅んだ後の足利の世となって清盛が目指した国と国との交易が行われるようになった。

 そして、海の中を落ちていく宋剣がある。その剣をつかんだのは、若き日の清盛だった。清盛は兎丸(加藤浩次)の声に導かれ、海の中にある館に入っていった。すると清盛の前に平家一門が笑顔で待っていた。「海の底にも都はありまする」、時子の声に振り向いた清盛は、夢中で遊ぶ子どものような笑みをたたえていた。
<完>

 最後の最後は、今までと同じ形式で、その要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」からお借りしてしめる。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_50.html
 「遊びをせんとや生まれけむ」<最終回>
 清盛(松山ケンイチ)は熱病に倒れた。生霊となって西行(藤木直人)のもとへ現れた清盛は西行との問答のなかで、自分の人生の意味を知る。一方、京で倒れた清盛の肉体のもとへは、続々と人々が駆けつけ、病床の清盛をよそに、口々にこれからの心配ごとを語りだす。そしてついに、清盛は死す。その後、一門の運命は坂をころがるように変転し、ついに壇ノ浦での滅亡に至る。安徳(田中ゆうた)を抱いた時子(深田恭子)は、海峡に沈み、海底には平家一門の姿が…そこには青龍刀をかかげる若き日の清盛の姿があった。

 どうでもいいことだが、話題の視聴率は今回9.5%で、全体の平均視聴率が12.0%とのこと。
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by shingen1948 | 2012-12-26 18:45 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 娘徳子の夫である高倉院は、清盛の朝廷への拠り所であったが、これがわずか21歳で世を去ってしまう。これが、治承5年(1181)の正月14日。高倉院自身の視点からみれば、実父後白河帝と義父清盛の駆け引きに翻弄された生涯かな。
 高倉院が「平家物語」に描かれるは、巻6の「新院崩御」―「紅葉」の風流を愛する性格描写―「葵の前」の寵愛①―「小督」の寵愛②とその顛末―そして、「廻文」あたり。そのうちドラマに登場するのは、「新院崩御」と「廻文」の27日の法要も済まないのに、法王に自分の娘を差し出して政略結婚をさせ、周囲のひんしゅくをかうあたり。 

 清盛の視点に戻して、院が亡くなられたことをみれば、結果として後白河法皇に院政を再開させるしかなくなるということ。
 ドラマでは、力を失いつつある清盛を挑発する双六の場面を通して、確かに武士は王家の犬ではなくなったという意味では、武士政権への入口を開いたという事になろうが、平安の時代は終わり、武士と武士とが争う時代になることを暗示する。
 これが、「双六が終わるとき」に象徴されることかな。

 第49話「双六が終わるとき」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_49.html
 「双六が終わるとき」 
 治承5年、平家は憂うつな年明けを迎える。平家を悪行三昧と忌み嫌う風潮が、国中にいきわたっていた。そんな折、清盛(松山ケンイチ)の頼みの綱だった高倉院(千葉雄大)がわずか21歳で世を去ってしまう。朝廷でのよりどころを失った清盛の前に再び後白河法皇(松田翔太)が現れ、力を失いつつある清盛を挑発する。一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちがつどう。頼朝は彼らを御家人と呼び、新たな「武士の世」の政治システムを作り始めていた。頼朝の国づくりをもれ聞いた清盛は、亡き義朝と誓い合った武士の世が、頼朝によってひきつがれていることを知り、うれしく思う。後白河法皇と最後に対じした清盛は、これより先は、朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世になる、と後白河法皇に語る。

 この回は、衆院選の開票速報にともない7時からの放送。ドラマ自体も各種出来事に翻弄されたな。話題の視聴率は9.2%とか。
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by shingen1948 | 2012-12-22 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 還都した平家が、治承4年(1180)12月初めから反撃を始めるが、今話も通説に近い展開らしい。
 「坂の上のサインボード」では、その反撃を以下のように整理されている。
 清盛はまず手始めに近江の園城寺を焼き討ち、続いて畿内最大の反平家勢力・南都興福寺を討伐すべく、平重衡を総大将とする追討軍を南都に差し向ける。南都に攻め入った追討軍は、興福寺、東大寺など七寺院に火を放った。興福寺では金堂や南大門をはじめ堂舎38ヶ所が燃え尽き、東大寺も正倉院を除いてほとんどの堂舎が消失。大仏もむざんに焼きただれた。
 これで、清盛は「仏敵」とみなされ、寺院勢力を完全に敵に回す。その上、平安貴族をさらに平氏から離反させることにもなる。もっと下からの目線に下げれば、この時に堂内に逃げこんでいた多くの人々が焼死したということもあり、大仏の頭が落ち、その身体はどろどろに溶けて山のようになったとかということかな。
 「平家物語」巻5「奈良炎上」では、民家に放った火が、折からの強風にあおられて、伽藍に延焼したとする。しかし、計画的な「南都焼き討ち」であり、房舎の焼き討ちも当初からの計画であったろうというのが通説らしい。

 この「奈良炎上」あたりに焦点を当てて整理したかったのは、地域散策とのかかわりもある。
 壇ノ浦後の話ではあるが、これが西行の2度目の陸奥の旅とかかわるらしい。
 文治元年(1185)年、平氏が壇ノ浦で滅亡した年の8月に、後白河法皇を導師として「大仏開眼供養」が行なわれる。その時、大仏をおおう全身の鍍金が終わっていなかったが、それは藤原秀衡から貢献されるはずの金が遅れていたためとか。その督促役が西行とのことだ。
 文治2年(1186年)7月、69歳の西行は、東大寺の砂金勧進で藤原秀衡に会うため、高齢を押して、遠く離れた異郷である陸奥の旅に出るということになるらしい。
 事実の羅列の中では、イメージが膨らまない。その辺のイメージを膨らませて地域散策をより楽しむために、「西行花伝」の部分読みをする。
 「西行花伝」には、間接的ではあるが30代に西行が高野山聖の経験を匂わすところもある。そうなると、これがイメージ的には会津河東の八葉寺にも重なり、河沼郡散策あたりまで繋がったような感じになっている。
 自分は結構楽しんでいるが、視聴率は10.4%とのことで、横ばいらしい。
 第48話「幻の都」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_48.html
 「幻の都」 
 富士川の戦で敗戦し、忠清(藤本隆宏)も斬れずにしりもちをついた清盛(松山ケンイチ)を待っていたのは、棟梁・宗盛(石黒英雄)からの福原から京への還都の申し出だった。宗盛の涙ながらの訴えに、清盛もついに折れざるを得ず、安徳天皇(貞光奏風)を頂き、最初で最後の五節の会が福原で行われ、その宴をもって、京へ還都する。還都の知らせに、清盛が何を求めて武士の世を目指しているのか、わからなくなった頼朝(岡田将生)は、清盛の過去を知る弁慶(青木崇高)に、若き清盛のありようを聞く。若き日、故意に神輿(しんよ)に向けて、矢を射た清盛のことを聞き、頼朝は、清盛の目指す世も、父・義朝が目指し、いまの自分が目指す世も同じものであることに思い至る。そんな時、南都・興福寺を攻めた平家軍の火が、東大寺の伽藍(がらん)を焼失させてしまう。

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by shingen1948 | 2012-12-14 06:09 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 今話は、今まで断片的に描かれていた頼朝が挙兵することと、平家方が行き詰まることを絡ませて描く。「宿命の敗北」とあるように、頼朝の挙兵、石橋山の戦いでの敗走、富士川の戦いまで、一気に進んでしまう。確認しながら整理していくには早すぎる展開だが、放送の期限を考えれば、これも仕方がないか。
 今回は、慌てずに「おごる平家は久しからず」の物語の視点からの整理を続けて行くことにする。

 前話で、邸から追い出してしまった祗王に、「仏が退屈そうだから」といって邸に呼びつけられて仏御前と清盛の前で舞わせられるなどの屈辱を受ける場面が、頂点を極めた清盛の自分を見失う苦悩と重ねて描く。これが、第44話「そこからの眺め」とつながり、頂点に立った者にしか分からない苦悩ということで、先の白河院との関係性との伏線につなぐという層の厚い伏線構成になっているらしかった。
 そこに、今話では更にその先の父忠盛の言葉と結びつける。
 「おのれにとって生きるとは何かを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、心を支えるのだ」との言葉を想起する清盛は、今や心の軸を失っていた姿という描き方だ。 
 今の時代、こんな重層的な伏線が支持されるわけもない。視聴率には見切りをつけて、描きたい事を描くという本質を突き進もうとする姿勢すら感じる。(今話視聴率は、10.8%とか。)

 「100分で名著」の年表で確かめると、現在のドラマ進行の時代と、「方丈記」の第2章が重なる。
 治承4年(1180) 長明26歳の時の5月が、前話の「以仁王の乱」による源頼政敗死で、その6月に「福原遷都」強行、そして、8~9月「源頼朝、木曽義仲挙兵」というのがドラマで描かれることだが、「方丈記」は、その3年前の安元3年(1177)4月長明23歳の時の「安元の大火」から描かれる。
 次に描かれる「治承の辻風」はその治承4年(1180)の4月で、その年6月の「福原遷都」は、方丈記も批判する。そして、方丈記では、「養和の飢饉」も描くが、これが養和元年(1181)27歳の時で、この年の2月に清盛が死去する。ドラマは、この辺りまでかなと思う。
 福原への遷都についてだが、「方丈記」では、「古京はすでに荒れて、新都は今だならず」と状況を描写し、民を一顧だにしない今の政治のありさまについて糾弾している。福原への遷都を強引に推し進めたことによって、京の都はその負担で疲弊し、住まいを解体して建材を淀川に流して運んだりするため、京の町は打ち壊しにあったようだったとか。
 なお、「方丈記」の「安元の大火」の描写は、吉川英治の「新平家物語」にそのままそっくり採用されている。

 清盛にしてみれば、福原への遷都は必要不可欠な事と考えたのだろう。
 京都の歴史と伝統は、摂関家藤原氏をはじめとする公家を中心とした国政の運営をも意味し、興福寺や東大寺、延暦寺などの大寺院の影響力も大きいということでもある。辺鄙な福原への遷都は、これ等の歴史と伝統と決別して、平家の血を引いた安徳天皇を始祖とする「新王朝」の幕開けの地にしたかったということなのだろうと思う。
 しかし、「方丈記」は、この事について誰もが激しく反発していたらしい事を伺わせる。
 それまで380年以上日本の都として栄え、歴史と伝統が刻み込まれた京都が捨てられ乱れる事への反発は、平家物語が「平家の悪行の極み」とするだけではなかったということらしいことが分かる。

 第47話「宿命の敗北」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_47.html
 「宿命の敗北」
 治承4年、頼朝(岡田将生)が挙兵。清盛(松山ケンイチ)は高倉院(千葉雄大)の名のもとに追討令を発す。頼朝は石橋山で敗戦するも、各地で次々と反平家の武士たちが立ち上がる。が、動じない清盛は、周囲の反対にも耳を貸さず福原への遷都を推し進める。同時期、頼朝のもとへは上総広常(高杉亘)ら有力な武士が次々に集結。頼朝は父・義朝の悲願である本物の武士の世をつくることを胸に誓う。10月20日、駿河富士川にて、平家・維盛(井之脇海)・忠清(藤本隆宏)軍と源氏・武田信義(永澤俊矢)軍が布陣するが、維盛軍は、水鳥の音を聞いただけで、おびえて敗走する。怒り狂った清盛に忠清(藤本隆弘)は、清盛自身が、もはや武士ではない、と断言する。

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by shingen1948 | 2012-12-07 05:39 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 前話「以仁王の令旨」の結末は、「以仁王の令旨」にかかわって、「高倉宮以仁王流転の伝説」について整理したが、今話では頼政が宇治川で敗戦し、以仁王は園城に脱したが、ここでも敗れて光明山の鳥居前で戦死される。ドラマでは、この以仁王の戦死場面としては描かれなかった。再生の伝説に配慮もあったかな。大山宿あたりでは、その余韻を楽しんでいるかな。

 ドラマでは、「平家物語」の現実的でなさそうな場面や清盛を否定的に描くための仕掛けのようなものも結構丁寧に描いている。
 例えば、知らないで見ていると唐突にさえ思える西行の我が子を張り倒す場面、太陽が沈むのを扇で仰いで遅らせる場面などが、現実的でなさそうなそれかな。
 清盛を否定的に描くための仕掛けとしては、乗合事件・重盛が清盛を諌める場面かな。
 「平家物語」巻1の祇王と仏御前は、清盛を否定的に描くための仕掛けでもあり唐突感のある話でもあるが、ドラマでは、福原への遷都強行とかかわりながらこれにふれる。
 前話では、清盛が祗王・祗女の姉妹から仏御前に心を移すまでを描いていた。今話では、邸から追い出してしまった祗王に、「仏が退屈そうだから」といって邸に呼びつけられて仏御前と清盛の前で舞わせられるなどの屈辱を受ける場面を描く。
 ドラマでは、この逸話と第44話「そこからの眺め」と結びつけて、頂点を極めた清盛の自分を見失う苦悩を描く。これが、頂点に立った者にしか分からない苦悩ということで、先の白河院との関係性との伏線につなぐという層の厚い伏線構成になっているらしい。
 ドラマでふれるのはここまでだろうが、この逸話は、世の無常を悟った祗王・祗女の姉妹は髪を剃って尼となり、嵯峨野の奥に庵をむすんで母とともに念仏三昧の日々を送る話に続く。そして、その年の秋には、仏御前までもが尼になってその庵を訪れ、4人は一緒に念仏を唱えながら日々を送ったということになるようだ。

 なお、「平家物語」では、今話の福原への遷都強行も、清盛を否定的に描く材料になっていることを考えれば、ドラマでは、ここでもいくつもの伏線を重なり合わせいていることになる。こういう複雑さも、視聴率を下げる一因かなとも思う。それでも、前回7.3%最低だった視聴率は、今話は10.3%だったとか。

 第46話「頼朝挙兵」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_46.html
 「頼朝挙兵」 
 以仁王(柿澤勇人)の令旨を知った清盛(松山ケンイチ)は激怒し、以仁王、頼政(宇梶剛士)らを捕らえ、鎮圧する。そして清盛は、安徳のための都として、福原への遷都を強行する。8月、以仁王と頼政に刺激された東国武士たちの思いを受け、打倒平家を掲げ、頼朝(岡田将生)が兵を挙げる。清盛は頼朝のことを知り、動揺・不安・怒りなどさまざまな思いがこみ上げてくる。と同時に「ついに頂に立った自分や平家と頼朝や源氏の武士が頂点をめぐって戦うときがやってきた」とぞくぞくする。保元・平治の乱から数十年、60歳を越えた清盛の体に流れる武士の血が、久方ぶりに騒ぎ始めたのだ。9月、清盛は頼朝を討てと全国の武士に命令。伊豆の頼朝はひるまず清盛軍との戦いに向かう。

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by shingen1948 | 2012-12-01 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)