地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2018年 01月 29日 ( 1 )

a0087378_90148.jpg 旧「熊阪覇陵・台州・盤谷墓碑」案内板では、その内容については「それぞれの事績が格調高く詳述されている」とし、その揮毫については、「これらは当時一級の文人たちによって揮毫」されたものとする。

 この「覇陵熊阪君墓碑」が「格調高く詳述されている」こととかかわるのが、「龜山松崎惟時撰」の漢文になっているということだろうか。
 この龜山松崎惟時氏については、先に「熊阪台州氏④」で確認したように、当時、もっとも「徂徠学派として重きをなしていた」方のようで、その方のお墨付きの格調高い漢文ということだろう。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23466348/

 そして、この碑の揮毫は大田南畝氏だが、案内では、具体名を挙げずに「当時一級の文人」として紹介されている。また、「うつくしま電子辞典」の「熊阪覇陵」についての関連史跡の一つとして「熊坂家墓碑」を挙げ、「高名な書道家によって熊阪氏の業績が刻まれている」と紹介される。
 大田南畝氏が「高名な書道家」との紹介とも受け取れる。

 大田南畝氏の紹介を確認すると、新宿12社熊野神社の式三番奉納額と紹介される水鉢は、大田南畝氏による銘文が書かれていて新宿区指定有形文化財に指定されているようだが、案内板では「大田南畝の水鉢」と紹介されている。
 http://12so-kumanojinja.jp/page-02.html
 その案内では大田南畝氏は蜀山人の別名と共に、有名な江戸時代後期の狂歌師と紹介されている。 「ウィキペディア」では、「天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人」とある。

 この方は、「うつくしま電子辞典」が紹介するように、確かに高名な書道家の側面もあるようだが、天明期を代表する文人・狂歌師でもあったようだ。
 更に、「太田記念美術館」の展覧会案内をみると、その範囲からもはみ出して「大江戸マルチ文化人」と紹介される。その文化人の範囲もはみ出すようで「夜は引く手あまたの文化人」だが、「昼は真面目な役人」との紹介だ。
 http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/2008_ootanampo

 総合的に考えると、旧「熊阪覇陵・台州・盤谷墓碑」案内板が紹介する「これらは当時一級の文人たちによって揮毫」されたものとの紹介が一番似合うが、その紹介のイメージも超えているようだ。
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by shingen1948 | 2018-01-29 09:58 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)