地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 12月 31日 ( 2 )

 「浅川、松川散策の写真メモから32」の再び修正。
 ここでの写真を「2009年7月に諏訪神社辺りから本町方面に向けて撮った写真だ。右手が諏訪神社」としたところだが、右手は現「常円寺」のようだ。
 誤りが続く言い訳になるが、八丁目家主一欄で、本町側に描かれる寺は「常光院」だ。更には、散策資料の一つである半沢氏の「歴史地図」では、現存寺院として「常光院」を挙げ、「常円寺」は廃寺になっているようにメモされていたのをそのまま受け入れてしまっていたのが、原因のようだ。

 その「常円寺」について「信達二郡村誌」を元に整理したが、「羽前国置賜郡米沢曹洞宗東源寺末」であることと「奈良沢主殿助淳盛開基」であることが気になったので、更に確認を進めてみた。
 すると、上杉氏の会津移封に伴うその家臣団の動きとかかわるらしいことが伺えた。

 上杉氏にかかわる整理でお世話になったMASAさんが、そのブログで「泉八家と信達八寺 その1」として整理されていた。
 その情報によると、上杉氏の家臣団の泉八家とされる方々の奈良沢氏とのかかわりであるらしいことが分かる。
 https://blogs.yahoo.co.jp/ssyinb27/12021236.html

 その「泉八家」については、次のように整理されています。
 信濃国水内郡常盤郷尾崎庄(長野県飯山市尾崎)には、泉親平という豪族がいて、その子が尾崎の五反田に館(尾崎城・三桜城)を構えたとされているそうだ。
 その泉氏13代政重は、文明8年には自ら尾崎姓を名乗るようになったのだとか。
 その尾崎氏が、高井水内両郡の領地を7人の弟に分封し、それぞれの土地の名を苗字としたとされるそうだ。
 すなわち、重安は上倉氏、重継は今清氏、重永は上堺氏、重家は大滝氏、重道は中曽根氏、重能は岩井氏、重直は奈良沢氏を名乗ったという。
 その7家に宗家の尾崎氏を加えて泉八家とされているのだそうだ。

 その泉八家とされている方々が、慶長3年(1598)1月10日の上杉景勝の会津移封によって、奥州信夫郡・伊達郡に所領を宛がわれたのだが、それに伴って信濃国高井郡・水内郡から、次のような地に菩提寺を移したとされているのだそうだ。
 南具羅東源寺(信夫郡名倉村)  尾崎三郎左衛門重誉
 喜松山嶽林寺(伊達郡糠田村)  上倉玄蕃元春
 天徳山明智寺(伊達郡増田村)  今清水掃部介重将
 般若山仏母寺(信夫郡笹木野村) 上堺左馬之助誉正
 玉泉山泉秀寺(伊達郡泉田村)  大瀧甚兵衛実安
 大悲山成願寺(伊達郡大波村)  中曽根小左衛門義清
 岩井山金剛院(信夫郡入江野村) 岩井備中守信能
 長沢山常円寺(信夫郡八丁目村) 奈良沢主殿助淳盛

 奈良沢主殿介氏の情報を拾うと、録は文禄3年定納員数目録によると計3841石(奈良澤 楢澤主殿助2983石+上田庄奈良沢・野口・八日町 奈良沢主殿助858石)だったらしいとのことだ。
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by shingen1948 | 2017-12-31 11:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 前回の「浅川、松川散策の写真メモから32」での旧街道に続く道筋については勘違いに基づいての整理だったので消去する。
 西の将軍地蔵堂の辺りの旧街道と旧国道の関係性と、「水晶沢の清水」に続く道筋との関係性を勘違いしていたのだ。この辺りの旧街道は、もっと山沿いを通っている。
a0087378_10111494.jpg これは2009年7月に諏訪神社辺りから本町方面に向けて撮った写真だ。右手が諏訪神社だ。旧街道は、写っている信号の角を左に進み、石合町に入る。

 「八丁目家主一欄」と見比べると、この旧国道の道筋になっている辺りに、常円寺という寺があったらしいことが分かる。
 その寺は、「信達二郡村誌」では次のように紹介される。

 「北部水晶沢に在り、境内東西33間、南北12間。段別1段2畝23歩官有地外に民有地3畝9歩有り。
 羽前国置賜郡米沢曹洞宗東源寺末派なり。慶長6年丑年奈良沢主殿助淳盛開基と云伝ふ」

 「松川村の小字」とも照らし合わせると、本町と石合町の間のこの辺りから小字水晶沢であることが分かる。勿論、先に整理の金明水の泉辺りも小字水晶沢のはずである。
 
 松川村の小字水晶沢と浅川村の界については、「北は水晶沢の畔搒を以って浅川村に界す」とある。
 この記述からは、小字名の元になった「水晶沢」という沢があって、その畔搒が浅川村との境界線というふうに読み取れる。
 このことから、水晶沢という沢は、浅川村との界近く東西に走ることが想像される。
 現在の地域名と照らし合わせると、恐らく現団地入口辺りの道筋と並行して西に向かって流れる沢だったのではないのかなと想像している。

 ※ ここでの写真を「2009年7月に諏訪神社辺りから本町方面に向けて撮った写真だ。右手が諏訪神社」としたところだが、実際は、右手が現「常円寺」の所のようだ。次の「浅川、松川散策の写真メモから33」で修正している。
  誤記を含む記事をそのまま残すのは、散策では、その過程で試行錯誤を繰り替えしているが、それも楽しみの一つである側面があるからだ。
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by shingen1948 | 2017-12-31 10:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)