地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー

2017年 12月 17日 ( 1 )

 中町の桝屋さんが掲げる看板に記される枡屋銀五郎氏は、当時呉服商を営なみ、その取引は北関東に亘ったという。
 「浅川、松川散策の写真メモから⑬」では、八丁目文化にかかわって、この方が加藤候一の名で狂歌狂画をよくした方で、殊に鳥羽画に巧みであったという情報があることにふれた。
 屋号塩屋の通称渡辺団七氏とのかかわりで、二代十返舎一九の「奥州一覧道中膝栗毛」に挿絵も描いているとの情報だ。

 その屋号塩屋の通称渡辺団七氏である排氏は、散文戯文にも長じた蜀山人太田南畝とも親交があったのだそうだ。十返舎一九の「金乃草鞋奥州道中」にならった二代十返舎一九の「奥州一覧道中膝栗毛」の第四編の序を百舌鳥廼舎(もづのや) 排の名で書いたとのことだった。

 今回は、その「奥州一覧道中膝栗毛」第四編の序を確認したので、整理してみる。
 すらすらと読めればよいのだが、その素養がない。
 次に掲げるのは、紹介された文章と写真版を見比べて、おおよそこんな感じだろうといった程度のもの。

 奥州一覧道中膝栗毛四編序
 かきつくしてよ壷(つぼ)の石碑(ぶみ)いはねと
 志のふ十辺舎、最早一句(もはやいっく)も出(で)まいと思いば
 彦枝栄(ひとえさか)ゆく落栗庵、桃栗燕栗(きくぐり)の、
 ささにはあらぬ志ば栗(くり)を、こまかに拾(ひろ)ふ
 旅(たび)の洒落(しゃれ)、栗橋(はし)こえてみちのく乃、
 その栗原(くりはら)の姉葉(あねば)の松(まつ)、栗駒山(くりこまやま)の朴
 木枕(ほうのきまくら)、四人連(つれ)たち三つ栗の、中の
 ひとりは栗々坊主(くりくりぼうず)、ひっょくりそっくり
 がっくりと、栗桃色(くりももいろ)の旅衣(たびごろも)、栗皮染(くりかわそめ)の
 頭陀袋(づだぶくろ)、知恵のふくろは焼栗(やきぐり)の、はねた
 趣向(しゅこう)は鬼(おに)かげの、栗毛(くりげ)は小栗(おぐり)が乗(のり)志づめ、
 栗(くり)から不動(ふどう)のいとくにて、栗(くり)から丸と名(な)にに
 呼(よ)ばれ栗柄(くりから)太郎は天拝山(てんぱいさん)、その山猿(やまざる)は
 栗(くり)の酒(さけ)、栗(くり)の杓子(しゃくし)で汲(くん)で呑み、まな栗(くり)
 ひとつに屁(へ)八十、笑(わら)ひの種(たね)のいけ栗(くり)は、角(つの)の
 はえたる毛毬(いが)の栗(くり)、鬼(おに)すむ丹波(たんば)の爺打栗(じうちくり)、
 親(おや)はうたれし、栗谷川(くりやがわ)はた栗坂の戦(たたか)ひは
 桃栗(ももくり)三年後(ご)三年流矢(さんねんながれや)来(きた)りて序文(じょぶん)の役(やく)、 渋(しぶ)もとれざるかち栗は、籠石前(むろいしまえ)の栗こは飯(めし)、
 毫(ふで)を嚙みかみ百舌鳥団七記す。

 嘉永二年 
 むつき

 ただ、紹介された文章に従って「百舌鳥団七記す」としている部分だが、写真版では「百舌自廼屋記す」と読めるような気がする。
[PR]
by shingen1948 | 2017-12-17 10:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)