地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 12月 13日 ( 1 )

 前回の「浅川、松川散策の写真メモから24」からは、今回の整理を通して新たに見えるようになった事について、整理のし直しをしている。
a0087378_1134559.jpg この写真は、今回の散策で稲荷神社を撮ったものだ。
 この神社の由緒らしきことと手前の石橋と左手の松川村道路元標については、先の「浅川、松川散策の写真メモから⑨~松川村道路元標」で整理している。

 新たに見えるようになった事というのは、拝殿の左側に写る赤い扉の建物だ。
 この建物は、松川国民学校の奉安庫を移築したものなのではないのかなと思ったのだ。「松川のあゆみ」に、「(松川国民学校の奉安庫は、)戦後昭和21年1月24日、新教育の発足と共に撤去され、現在中町の稲荷神社の宝物殿となっている」との記載を見つけたのだ。それで、先に「浅川、松川散策の写真メモから」で整理した黒沼神社に移築された金谷川国民学校の奉安殿と、稲荷神社で撮った写真を見比べて、移築されたという松川国民学校の奉安庫はこの建物だろうと推測したということだ。
 その建物なら、設計は福島の伊藤邦治氏、大工は中町の丹野久松氏で、大正7年10月23日に完成したものとのことだ。杉内励三郎氏の300円をはじめ人々の寄付金500円でその経費は賄われたとのことだ。

 奉安庫は、御真影、教育勅語謄本が安置され、管理は校長の第一の任務であり、児童は勿論、他の職員も入ることはできなかったものだ。最近は、わざわざ教育勅語について教育現場でふれて構わない趣旨を閣議決定されるという流れのようだが、自分の感覚では、これらは戦前の教育の象徴のようなものと感じている。
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by shingen1948 | 2017-12-13 11:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)