地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 12月 04日 ( 1 )

 中町丁字路から抜け出せない。
 前回整理の建物が、八丁目家主一欄にある「中田屋金作(菅野金作氏宅)」跡であるならば、その菅野金作氏も桃林庵雪好と号する文人で、銀風社という俳句結社を起こし門人も多かったとのことだ。玉幽斎輝信と号して書画もよくし、明治15年東京絵画共進会に入選しているという。西光寺に門人が建てた「暫くは噺もせずに月見哉(雪好)」の句碑があるという。

 さて、常念寺跡地だが、今は公園整備化されている。
 この唯称山常念寺は、桜内対馬が開基にかかわった浄土宗の寺とのことだ。
 「こでらんにふくしま通」では「浄土宗の寺院でしたが焼失した」とあった。確かに、八丁目大火で、大部分の伽藍は焼失したようだが、一宇は残ったということだ。そこで今回整理した「維新館」の私塾が開かれたという事のようだ。
 なお、その後明治9年8月には鼓ケ岡村・八丁目村・天明根村が合併した松川村と金沢村・浅川村・関谷村・水原村との連合戸長役場置かれたということのようだ。
a0087378_10441317.jpg 「こでらんにふくしま通」で、「現在は『南無阿弥陀仏』と刻まれた高さ2mを超える3基の石碑が建てられています」と案内されるのが、これだろうと思う。
 奥の石塔にははっきりとした花押も見える。その字体はそれぞれ違うようで、はっきりはしないが花押の痕跡もうかがえる。素人にはよく分からないが、その道に詳しい方には、どなたのものなのか見えているように思う。
 案内では、巨大な石仏との紹介だが、多分、三回の念仏会が権威ある証明されているという意味が込められているのだと思う。

 ついでに、「中田屋金作(菅野金作氏宅)」跡の東隣りの話。
 「浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?」で、結果的には違ったが馬宿を推定したこの建物の東側の空き地だが、江戸末期には、ここに高名な名医がいらっしゃったという情報と重なった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/page/4/

 この更地前の風景は 「浅川、松川散策の写真メモから⑫」に掲げている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/page/3/
 八丁目家主一欄では、このあたりに「田村寿杏」が見えたのだ。

 この方は、京に上り、園大納言に仕え、玄了と号し、堂上家に出入りし宮中の拝診をして三后の検脈を許された方との情報と重なるように思う。
 宝暦4年4月3日に法橋の宣を頂き、途中園園大納言御用の荷立を押し立て故郷に錦を押し立てて帰って来たという。この時に、かねて知遇のあった池野大雅、玉瀾ご夫婦と共に見送りに出たまま八丁目まで同道したのだという。
 名医診察を乞う者常に門前市をなしたということだ。
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by shingen1948 | 2017-12-04 10:46 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)