地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 11月 30日 ( 1 )

 制度的に整備されていくのは、この辺りでは福島第一小学校の前身とされる福島学校と三春のようだが、素人目には私塾維新塾の創立と八丁目小学校の創立にかかわる経緯には似たような状況だったように見える。
 
 前回の整理では、この私塾には師範学校的な性格も帯びていたような気がするとしたところだが、八丁目小学校の最初の職員と私塾維新塾塾生の情報を重ねてみる。

 八丁目小学校は、明治6年5月2日に盛林寺に創立されるそうだが、その明治6年時点の職員は以下の方々とのことだ。
〇 田島久敬
 6月24日付一等助教申附候事月給8円
〇 山田志殻
 6月24日付ニ等助教試補申附候事月給3円
〇 竜 無善
 6月27日付教場手伝申附候事書籍料年10円
〇 平林宥京
 7月2日付三等助教試補申附候事月給2円
〇 信夫隆善
 7月26日付教場手伝申附候事書籍料年12円
〇 半沢富弥
 7月26日付教場手伝申附候事書籍料年10円
〇 山田きみ
 10月23日付三等助教試補申附候事月給2円50銭

 このうち、首座の田島久敬氏は私塾維新塾師匠の田島鷗僊氏のことだが、以下の4名も維新塾の塾生情報から拾える。
 平林宥京氏は西光寺住職、竜 無善氏は八丁目小学校が創立された盛林寺の長老、信夫隆善氏はお隣の安達郡吉倉村西福寺住職、半沢富弥氏は金沢村の黒沼神社神官の塾生の方々のようだ。

 山田きみさんは塾生ではないが、維新塾師匠の田島鷗僊氏と二本松藩とのかかわりから採用された方らしい。
 この方は、二本松藩城代御用人丹羽和左衛門氏の養女で、夫は郡奉行だったが、どちらも落城の折に切腹し、自らも自害を計ったが止められて田島家に来たとのことだ。本町新中田屋(伊藤銀治)離れに居を構えたとのことだが、本町新中田屋の位置は確認していない。

 ここまでで確認できないのは山田志殻氏だが、9月14日には水原小に転勤になっているようだ。

 なお、金谷川村の情報では、盛林寺長老竜無善氏は関谷小学校教師、西光寺住職平林宥京氏は浅川小教師、安達郡吉倉村西福寺住職信夫隆善氏と金沢村黒沼神社神官の半沢富弥氏は金沢小教師だとされている。

 また、先に整理した菅原神社神官の渡辺伊佐美氏は、浅川・関谷・金沢小教師とされるが、明治10年には松川小の教員になっていることも確認できている。
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by shingen1948 | 2017-11-30 10:18 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)