地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 11月 20日 ( 1 )

a0087378_97563.jpg これは、2008年春の中町丁字路西側付近の様子だ。
 この辺りの風景は、これ以前の散策では、八丁目城跡とのかかわりで捉えていた。従って、城下街に伴う街並みとの関りを強く意識した見え方だったと思う。
 2008年~2009年あたりの散策では、その城下街とかかわる街並みという見え方から、奥州街道の八丁目宿場との見え方にしていこうという意識が強かったと思う。

 この時の主とする散策資料は半沢氏の「歴史地図」だったが、その資料では、この角に追分の阿弥陀堂と常念寺がプロットされていた。
 その情報を元に探ってはみたが、よく分からないままになっていたところでもあった。

 今回の散歩時には、常念寺跡地として公園整備されていて、案内柱も建っていた。
 「こでらんにふくしま通」では、「浄土宗の寺院でしたが焼失して、現在は『南無阿弥陀仏』と刻まれた高さ2mを超える3基の石碑が建てられています」と案内されている。
 案内柱も「こでらんにふくしま通」も名号塔を中心にした案内になっている。

 半沢氏の「歴史地図」との微妙な違いもあって、「歴史地図」では現存と案内されるのだが、焼失と案内されている。

 2008年時の散策と今回の散策とを見比べて、風景の変化は一つの関心事ではあるが、今回の整理を通して、昨日整理の中でふれた「維新館」とのかかわりも気になっている。
 この私塾は、鼓岡村名主桜内氏が自宅に創設したとのことだが、その後、ここ常念寺で展開されたという情報があるのだ。

 その師は漢詩に秀でた二本松藩士ということなので、今からみれば古い学問だと思うが、その当時、高い学識といえば漢学を極めた人というイメージがあったはずだ。
 そこで学んだ方々の紹介をみると、今まで整理してきた名主の方々や八丁目文化の担い手の方々の名が見える。
 ここで学び直しをしているという見え方もできるが、地域の文化人のサロンのような役割もあったのではないのかなと想像する。

 更には、浅川村の整理でふれた二本松藩の最上流宗統派四伝の算法印可を受けて系譜を引き継ぎ門弟1000人の金沢村丹治明斉氏、その弟子最上流宗統派五伝の算法印可を受ける尾形貞蔵氏の名も見える。
 まだ整理はしていないが、古浅川の神道無念流師範長南常蔵氏の名も見える。
 これら方々は、私塾を開いていて、多くの門下生もいる。

 「維新館」に集まった若者の学び先の選択にもなっていた可能性もあると思うのだがどうだろうか。
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by shingen1948 | 2017-11-20 09:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)