地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 11月 03日 ( 1 )

 旧浅川村は、平地は浅川水系の耕地で、その北側の高地に集落があり、耕地と高地の間に道が開けるという土地利用の風景だ。

 黒沼神社から、その耕地と高地の間に開けた道を西進し、まもなく旧国道4号線に出るという辺りで集落の高まりが切れる。「『浅川黒沼神社』と示現(慈現)太郎神社③」でふれた境内に建つ改修記念碑の「大渠」は、「信達二郡村誌」の記述と照らし合わせるとこの辺りから道沿いに耕地に保給されているように思われる。
a0087378_1148877.jpg この写真は、その一度切れた集落の高まりから独立した高まりに神社があったので、何となく撮った写真だ。ただ、整理していく中で結構大切なポイントだったなと思えるようになっている。

 「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」と照らし合わせて、これが「富士浅間神社」らしいことが分かった。
 延宝元年(1673)駿府富士浅間神社より勧進とのこと。先に整理した浅川八景の名勝地の一つでもあるようだ。以前には、御神木とされる「イタヤカエデ」の古木と共に集落の象徴の紫藤があったのだとか。
 天明8年(1788)御神徳安産の神として遠近より信仰を集めるとの情報もある。
 また、拝殿は文久2年(1862)に、黒沼神社拝殿再建時に、その旧拝殿を移遷したものとの情報もある。
 更に、「浅川、松川散策の写真メモから」でふれた奉案殿情報とも繋がっている。
 再掲する。

 「終戦直後撤去された金谷川国民学校の奉案殿は、一時JA新ふくしま金谷川支店の東の木立の中の浅間神社に移され、昭和24年には黒沼神社本殿東側に「御霊殿」として再建されている。」

 船橋の散策で「宇佐八幡神社」まで足を延ばしてみたのは、「宇佐八幡神社境内内に仮移転」とのもう一つの情報ともかかわっている。

 「浅川、松川散策の写真メモから⑥~今回の散策と小林氏の奥州合戦石那坂防御ラインとのかかわり」の視点でみれば、旧国道4号線は江戸期の奥州街道だ。
 その「小林氏の奥州合戦石那坂防御ライン」と江戸期の奥州街道とのクロス地点の独立の高まりとも見れる。
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by shingen1948 | 2017-11-03 11:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)