地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 29日 ( 1 )

 今回、阿武隈川沿いの示現(慈現)太郎神社から浅川沿いに、浅川黒沼神社を経由して、船橋観音堂から宇佐八幡社まで整理してきた。
 途中、小さなかかわりから脱線しながら整理してきたが、大きく脱線したのは宇都宮の信仰とのかかわりで、柳田国男ワールドの「神を助けた話(柳田国男)」の入り口まで飛んでしまった。

 この散策とかかわらせたいことが、もう一つある。
 それは、小林氏が紀行された地元誌に寄稿された説をもとに散策した奥大道と奥州合戦石那坂防御ラインとのかかわりだ。
 この小林氏の奥州合戦石那坂防御ラインは郷土史の主流ではなさそうだが、興味を持ったのは、「平泉藤原氏と南奥武士団の成立(入間田宣夫)」<歴史春秋社>を読んだのが、そのきっかけだ。 ここでは、この小林氏の説に合理性があるとみているようだったのだ。
a0087378_922436.jpg これは、小林氏が地元の歴史愛好会の雑誌に自説を寄稿した時の資料として示された石那坂合戦防御ライン部分に、今回の浅川沿いの散策を重ねてみた図だ。
 浅川は、鏡渕から舟橋観音堂と舟橋集落の高まりの間を通って、散策してきた道を超えて北東に流れて行く。
 今回、黒沼神社からその浅川沿いの道筋から、浅川を用水路として開発された耕地を意識しながら散策してきた。
 石那坂合戦防御ラインは、その後方の集落のある高まりに沿っているという事だ。
[PR]
by shingen1948 | 2017-10-29 09:23 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)