地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 25日 ( 1 )

 「福島市史」では、「浅川村」について次のように紹介する。
 「浅川村の起こりは5軒在家で古浅川村と呼ばれ、沢の深い中沢屋敷・黒沼神社を勧進した宮屋敷・尾形和泉の中屋敷・黒沼に船橋を架けて通行したという舟橋屋敷(尾形若狭)と古浅川屋敷からなっていたという」
a0087378_923892.jpg その黒沼に船橋を架けて通行したという舟橋屋敷(尾形若狭)に建つこの「船橋観音堂」は、「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」で紹介される「船橋十一面正観世音」だと思う。
 ここでは「正保4年(1647)尾形若狭創建と伝えられる」とある。

 「金谷川のむかしと今」によれば、最初創建されたのは集会所前の小高い丘の字観音社で、この地に移転するのは享保12末年(1727)9月との言い伝えもあるのだとか。
 この言い伝えに従えば、「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」で紹介される「正保4年(1647)尾形若狭創建」は、字観音社の地ということだろうか。

 確認はできていないが、境内に定心法師の石碑があり、天文2年(1533)巳年と記されるという。 以下の即身仏にかかわりそうな話も紹介されるが、この法師との年代は合わない。
 桜町天皇の時代(1735~1746)の頃、大日如来を背負った老法師が行き倒れたと。
集落では、食物や衣類等を与えていたが、回復の兆しも見えず、死にもせずの状態なので、法師の穴を掘り、頭に鍋をかぶせて生き埋めにした。

 半沢氏の「歴史地図」には、「信夫新西国三十三観音第十六番札所」「線刻三十三観音群」「明治2年の和算額(最上流宋流派5代尾形貞蔵・英悦・眩斎)天保6年(1835)~大正7年(1918)84歳没」が紹介される。
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by shingen1948 | 2017-10-25 09:24 | Comments(0)