地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 22日 ( 1 )

 「船橋観音堂」をめざす途中に「船橋集会所」がみつかり、ほっとする。
a0087378_6515339.jpg 「船橋観音堂」をめざす主目的は、黒沼とされる「船橋」の風景を確かめたいということだからだ。「船橋観音堂」をめざすのは、「船橋」に辿り着く手段という側面でもあったのだ。

 「『浅川黒沼神社』と示現(慈現)太郎神社④」で記したように、現「船橋」付近を黒沼とみて、物語をイメージするらしいということだ。
 「信達二郡村誌」に「「黒沼は大なる沼にして舩橋を架し通行せし故 其地を今舩橋屋敷と称す云伝ふ」とある。そして、その「船橋」には、尾形若狭創建の「船橋観音堂」が建っているとのことだ。
 つまり、「船橋」というのは、黒沼は大なる沼だったので舩橋を架し通行したからついた地区名だというイメージだ。

 集会所前に「貫通記念碑」なる石碑が建っている。
 読んでみる。
 「貫通記念碑」

 「舟橋踏切は視界距離極短のうえ 道路は急勾配のため 魔の踏切と恐れられていた 最近列車の増発に伴い人命の危険を憂慮し 地域住民は一丸となって この対策を考慮中 複線化の実現を見るに当たり 立体交差期成同盟委員会を組織し 渡辺億之介 尾形清三郎の正副委員長を代表として 町当局に請願した 町当局においても この重大性を理解され 町議会の協賛を得て 国鉄に立体交差を強く陳情したが 走行中の線路下を堀抜く難工事のうえ 複線化の付帯工事でないとの理由から困難を極めた
このときに当たり 町議会議長菅野松元氏は 交通の安全と将来の自立発展を念願する 地域住民積年の創意を尊重され 町一体の援助と国鉄との折衝に専心尽力の結果 立体交差は実現した
ここに 氏の功績と地域住民の努力を 後世に伝えるものである
                                    石川太市書


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by shingen1948 | 2017-10-22 09:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)