地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 19日 ( 1 )

a0087378_10543440.jpg これは、比丘尼石の薬師堂の手前の岩だ。「心の文化財」によると薬師堂の後ろの岩は二つに割れているので「われめの女石」とも言われているのだとか。

 「金谷川のむかしと今」では、この比丘尼石の薬師堂の地区を浅川字舘とし、この少し南にいったところに案内される浅川正観世音の地区が浅川字平石とされるが、半沢氏の「歴史地図」では、ここも平石地区の薬師堂としている。

 八丁目宿「眼鏡橋」について整理した時に、その石材を切り出した場所が、比丘尼石だと言われていることについては「奥州街道:八丁目宿『眼鏡橋』のある風景⑤」でふれている。 
 その時には、案内板の解説に従って浅川町五斗内の薬師堂付近とした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/237484884/

 眼鏡橋(松川橋)建設に伴うここからの石材運搬作業は、県に「松川村の780人の人夫寄付」するという形で進められたようだった。
 その為に、松川村ではこの石材の運搬作業に各戸2~3人の役夫を科したとのことだ。その住人たちが、大八車に積んで工事現場まで運んだとのことだ。
 そのルートの想像だが、「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」で案内されるコースが似合っているように思う。
 ここから「浅川正観世音」前を経由し、「石森公園」前、あるいは「成田不動尊」前の道筋から旧奥州街道に出たのではないのかなと想像する。

 なお、最近の「松川・宿場町まちづくり協議会会長の菅野善志氏」の話に、「石は、福島市御山の北を流れる松川に架けるために切り出したが、橋を架ける必要がなくなったので譲受けた」とのことだったとあることも付け加えておく。
 
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by shingen1948 | 2017-10-19 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)