地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 11日 ( 1 )

 地方祇を眺めていたら、原町飛行場の最後慰霊祭の記事があった。

 先に「会津のわだつみ」長谷川信氏について「会津の『わたつみのこえ』を聞く」として整理し、その情報を元に、会津での長谷川信氏の情報を整理したところだった。
 原町飛行場は特攻隊がかかわる飛行場だが、長谷川信氏が直接かかわるわけではない。かかわるのは信氏が所属した武揚隊隊長の山本薫氏だ。

 「会津のわだつみ」長谷川信氏について整理している中で、会津でも「長谷川信少尉」の手記をもとに非戦平和を訴えてこられた信氏の菩提寺ご住職が亡くなられているという情報を耳にしていたところだった。会津でも信氏の話を元に非戦平和が意識される機会が減るだろうなと思っていた。
 こちらも、慰霊祭が無くなれば報道される機会はなくなるだろうから、忘却が進むのだろうと思う。

 きむらけん氏も「忘れられた特攻隊: 信州松本から宮崎新田原出撃を追って」脱稿後に原町飛行場と陣ケ崎公園墓地慰霊碑訪れているようだ。
 次のように整理されている。
 〇 下北沢X物語(3354)―旅での瞑想:原発と特攻―
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52052801.html#more
 〇 下北沢X物語(3356)―鉾田陸軍飛行学校原ノ町分教場へ―
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52052973.html
 〇 下北沢X物語(3357)―鉾田陸軍飛行学校原ノ町分教場へ2―
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52053056.html
 〇 下北沢X物語(3358)―機械と神・航空神社と鉄道神社―
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52053155.html

 「最後の慰霊祭 原町飛行場関係戦没者【福島民報(2017/10/11)】

 http://www.minpo.jp/news/detail/2017101145819
「 太平洋戦争中、南相馬市にあった原町飛行場で訓練し特攻隊などで亡くなった戦没者らを慰霊する「第47回原町飛行場関係戦没者334柱慰霊祭」は9日、同市原町区の陣ケ崎公園墓地慰霊碑前で行われた。遺族や関係者の高齢化で今回が最後の慰霊祭となる。全国から訪れた遺族や関係者が最後の慰霊祭を惜しみながら平和を願い、静かに玉串をささげた。
 同慰霊顕彰会の主催で、大東亜戦争原町関係戦没者465柱慰霊祭を兼ねている。約80人が参列した。同市鹿島区の伊勢大御神の森幸彦宮司が斎主を務め、八牧将彦顕彰会事務局長が「慰霊祭は今年度で最後になる。長期にわたるご支援ありがとうございました」とあいさつ。細田広南相馬市議会議長、衣笠陽雄特攻隊戦没者慰霊顕彰会専務理事、高野光二県議、佐藤則彦県隊友会南相馬支部長、大場盛子県遺族会副会長らが追悼の言葉を述べた。原町メンネル・コールのメンバーが鎮魂歌を献歌した。
 原町飛行場は1940(昭和15)年に開場し、戦時中多くのパイロットを育て、戦場に送り出した。飛行場を支援する住民との交流の思い出を胸にたくさんの特攻隊パイロットが飛び立っていったとされる。顕彰碑は原町飛行場で訓練を受け、戦後、南相馬市原町区に住んだ故・八牧通康氏らが中心となり1971年に建立した。毎年、顕彰会が主催して慰霊祭を実施してきたが、戦後72年を経て、遺族らの高齢化が進んだことなどで、民間としての慰霊祭の継続を断念することになった。
 特攻隊戦没者慰霊顕彰会の衣笠専務理事は「慰霊祭が継続できないのは残念。原町飛行場は特攻隊の歴史を語る上でも重要な場所であり、何らかの形で慰霊祭を復活されることを願っている」と話していた。」
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by shingen1948 | 2017-10-11 17:17 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)