地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 03日 ( 1 )

 浅川黒沼神社と示現(慈現)太郎神社とがかかわる言い伝えをたどってみた。そこから浅川村の起こりのようなものが見えてきた感じになる。
 「福島市史」が紹介する「浅川村」と比べてみる。

 「浅川村の起こりは5軒在家で古浅川村と呼ばれ、沢の深い中沢屋敷・黒沼神社を勧進した宮屋敷・尾形和和泉の中屋敷・黒沼に船橋を架けて通行したという舟橋屋敷(尾形若狭)と古浅川屋敷からなっていたという」

 言い伝えの読み取りだけでは曖昧だったところで解消したところがある。
 まずは、内屋敷=中屋敷らしいということ。
 「内屋敷は昔者神職尾形和泉と云者の屋敷也」が「尾形和泉の中屋敷」と表現される。これが「黒沼神社を勧進した宮屋敷」と別記されている。
 次に、このこととかかわって浅川小学校の創立は黒沼神社を勧進した宮屋敷だったらしいということも分かる。
 「信達二郡村誌」の学校情報では元標の西字木戸前にありとある。
 これとは別に金谷川小学校の情報では、八丁目支校浅川小学校は、明治6年(1873)5月浅川字宮本、黒沼神社神官宅を借り受けて創立しているとの事だ。
 その地は、黒沼神社を勧進した宮屋敷ということになる。

 今まで確認した事を、示現(慈現)太郎神社を視点に整理し直す。

 所在地:浅川字壷根滝
 祭 神:事代主命
 浅川最古の神社と伝える。天安2年(858)寅3月頃下野国二荒神社に飛んだ。
 黒沼大明神、石姫命が黒沼に身を捨て神去りしとき、御供奉4人の夢に慈現大明神の『ここ大岩を抜き切れば、沼中の命のご尊体は現れるであろう』とのお告げがあった。
 その通りに切り開いたら、赤沼・黒沼の水は大熊川に流れ落ちご尊体が現れるとともに、浅川の地は広大肥沃な田地となった。

 細かい事だが、この「お告げ」があったということと事代主命が祭神であることがかかわっているらしい。
 ちょっとマニアックな情報によると、「事代主命」はその名が示す通り、神の託宣を代行する憑坐(よりまし=神霊が憑依する霊能者)を意味し、本来の性格が託宣神と考えられているのだそうだ。
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by shingen1948 | 2017-10-03 09:42 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)