地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 10月 02日 ( 1 )

 現「船橋」付近を黒沼とみてよさそうだとの確認を進める。
 
 「信達二郡村誌」に、尾形若狭の碑が船橋観音堂の前に在ると紹介される。その「若狭は和泉の兄にして本村を開きたるものなり故に本村尾形氏多しといふ」とある。
 その弟とされる和泉については、黒沼神社の享保6年(1721)3月の火災後の還座にかかわって「内屋敷は昔者神職尾形和泉と云者の屋敷也」と紹介されている。

 その「船橋観音堂」が、「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」で紹介される「船橋十一面正観世音」だと思う。その紹介に「正保4年(1647)尾形若狭創建と伝えられています」とある。
 ただ、「松川の文化財」では、この「船橋観音堂」前にある碑は定信法師の石碑だとする。また、情報によっては「船橋観音堂」の創建が正保4年(1647)というのには根拠がないとするものもみる。
 情報に微妙な揺らぎはあるのだが、この「船橋観音堂」が建つあたりを黒沼とみてよさそうだというのは確かなこと。

 この「船橋観音堂」の位置情報を得た「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」には、黒沼神社に奉納された「浅川村見立八景」が紹介される。そして、その風景画を使って浅川村の4か所の名所旧跡が紹介されている。
 ピンボケで部分しか写っていないが、この左手に掲げられているのが、その「浅川村見立八景」の絵図だと思う。
a0087378_76144.jpg この絵図では、ここ黒沼神社は「 黒沼晴嵐(くろぬませいらん)」ということらしい。
 「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」情報からは、絵図の「以後田落雁(いこうだらくがん)」というのが富士浅間神社で、「平石晩鐘(ひらしいばんしょう)」というのが浅川正観音であり、そして、「比丘尼石名月(びくにいしめいげつ)」というのが薬師堂にある比丘尼石ということらしいことが読み取れる。
 この比丘尼石という巨大な花崗岩が二つに割れているので別名「われめの女石」とのことだが、先に整理した松川の眼鏡橋に使われた石材だということらしい。

 この情報から読み取れなかったのが「古川帰漁(ふるかわきりょう)」「大竹森暮雪(おおたけもりぼせつ)」「笠松夜雨(かさまつよさめ)」「台橋夕照(だいばしせきしょう)」という4つの風景だ。
 ただ、「大竹森暮雪(おおたけもりぼせつ)」は、別情報から「大竹森明神」らしいことは分かった。ここには二つの行人壇にまつわる話があり、そこからの石を御神体として水雲神社を祭ったとある。
 そして、この話が「示現(慈現)太郎神社」への道筋に使った「古浅川」集落とつながるようなのだ。というのは、何故か知らないが、この集落の水雲神社にそのご神体が飛んだのだとか。
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by shingen1948 | 2017-10-02 09:01 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)