地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

2017年 09月 20日 ( 1 )

 【会津のわだつみ「長谷川信」氏にかかわる情報を得ているサイト】として、「Web東京荏原都市物語資料館」のページをリンクさせていただく。
 メモ帳のページは、今は簡素化されたようだが、最初の頃はちょっと面倒だった。その頃のやり方を踏まえたままなので、ここに一度下書きして、それをメモ帳のページに張り付ける。
 〇 < Web東京荏原都市物語資料館

 「会津の「わたつみ」にかかわる資料について②」に掲げた信氏の所属する「と号第三十一飛行隊隊」の概要と「Web東京荏原都市物語資料館」のページからの情報を照らし合わせると、次のような状況が分かる。

 この隊の7名が特攻戦死だ。
 長谷部伍長以外の出撃基地は、台湾八塊飛行場とのことだ。長谷部伍長は、誠隊から振武隊に転属して、知覧から特攻出撃しているのだということだ。
 この隊では、長谷川中尉をはじめ4名が戦死扱いになっている。
 長谷川中尉、西尾軍曹、海老根伍長は、台湾へ前進中、与那国島で敵機に撃墜されたためだとのこと。
 飯沼伍長も戦死だが、こちらは少し事情が違うようだ。こちらは、特攻出撃はしたのだが、戦果が確認できなかったために戦死扱いになったとのことだ。

 会津の資料では明らかにならなかったこの隊の飛行コースだが、新京から松本へは、新京一平壌、大邱を経て、大刀洗飛行場→各務原→松本のコース。
 松本から台湾へ向かうのは、松本一各務原→松山→健軍→新田原→済州島→上海(大場鎮)→ 杭州(筧橋)→台湾八塊のコース。                          

 この隊は、浅間温泉の富貴の湯で東大原国民学校学童疎開児187名と出会う。
 「忘れられた特攻隊: 信州松本から宮崎新田原出撃を追って」は、これを糸口にして集められた情報をもとにして紡まれた物語なのだろうと想像している。
[PR]
by shingen1948 | 2017-09-20 11:58 | ブロクとわたし | Comments(2)