地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 09月 17日 ( 1 )

 信氏が通った戸ノ口の風景にかかわる変遷を確認していくと、水の利権にかかわる情報と結びついてしまう。猪苗代湖の自然を楽むという感覚とは真逆の見え方だ。
 しかも、その利権にかかわるのは、今回のいまわしい原発事故を起こし、多大な被害をもたらした東京の電力会社だ。
 その東京の電力会社が、猪苗代湖や裏磐梯三湖の水位調整及び放流について水利使用権を持っていることは知っていた。今回は、その経緯を確認したということだ。

 「会津における水力発電の歴史と活用(清水実咲季)」によると、そのスタートは、猪苗代水力電気株式会社が猪苗代第一・第二発電所の電力を需要地東京に売電したことなのだそうだ。そして、その電力会社が、この時に供給していた東京電灯と合併したという経緯とのことだ。
 ついでに、その事も整理しておく。
a0087378_8154215.jpg これは、昨年家族を案内した時に撮った猪苗代第二発電所の写真だ。
 この発電所は、猪苗代第一発電所建設のわずか2年半後の大正7年に建設されたとのことだ。どちらの発電所も、東京駅を設計した建築家辰野金吾氏の設計により建てられたとのことだが、第一発電所は建て替えがあったが、こちらの第二発電所は立て替えられていないという。
 開発したのは、どちらの発電所も猪苗代水力電気株式会社とのこと。出力は第一発電所 62,400kWで、第二発電所37,500kW。

 この猪苗代第一発電所から需要地である東京・田端変電所に送電することになるのだが、この200km以上の長距離110kV送電は、日本で初めてだったとのことだ。
 ちなみに、世界初の100kVの特別高圧送電に成功したのは米国で明治40 年だったという。

 当初、猪苗代水力電気株式会社は、東京へ供給する権利は得て送電していたものの、東京の全需要は40,000kWに満たなかったという。その上、東京では東京電灯・東京市電気局・日本電灯の三社が需要家獲得競争を繰り広げるという状況だったとのことだ。
 今では考えられないが、過剰供給気味だったとのことだ。
 それで、当初は「王子電気軌道」などの需要家にわずかな量を供給することで営業を開始していたとのことだ。

 採算に合う電力供給ができるようになるのは、東京電灯に猪苗代第一・第二発電所の発電電力の大部分を東京電灯への供給できるようになってからだとのことだ。
 その東京電灯への卸売が事業の柱となるという経緯があって、猪苗代水力電気と東京電灯とが合併するようになったということのようなのだ。
 大正12年9月に発生した関東大震災の復興のための電力供給として、23,200kWの猪苗代第三発電所、37,100kWの第四発電所が建設されるという経緯もあるようだ。

 今回の整理で、水利権について見え方が変わったことがもう一つある。
 先に、「東京の電力会社が猪苗代湖や裏磐梯三湖の水位調整及び放流について水利使用権を持っていることは知っていた」とした。
 今回、会津中学校端艇部戸ノ口艇庫の終焉にかかわる発電用の水を小石浜取水門からの取水に切り替えたことについて整理した。
 そこで分かったのは、会津側に流れる水を分岐する地点は小石浜取水門から取水した後の地点で、そこまでの実質的な水利権は東京の電力会社のようだということだ。

 現在、会津若松市の浄水・下水・消雪水はもちろん、鶴ヶ城の堀や御薬園の水のほとんどの水環境を戸ノ口堰に委ねているらしいのだ。
 その戸ノ口堰は、その取水の段階で東京の電力会社の水門を経由しているということのようなのだ。
 つまりは、東京の電力会社の水利権がかかわるのは猪苗代湖や裏磐梯三湖にとどまらないということだ。会津若松市の水環境すべてとも深くかかわっているという事らしいということだ。
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by shingen1948 | 2017-09-17 08:22 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)