地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2017年 08月 31日 ( 1 )

 信氏はボートに夢中になるのだが、それは小林先生が「伝統の戸ノ口精神」と称したこととかかわるのだろうと思う。

 その「伝統の戸ノ口精神」を引き継いでいるとされる会津高校の学校行事は3年に一度行われる伝統の中田浜強歩大会だ。
 全校生徒参加で、学校から背炙山を経由して昭和32年 (1957)に「中田浜」にできた 「学而会館」会館を折返してまた学校に戻るというコースを歩くことになっている。実際には走り通す強者もいる。

 先に「山中毅さんの訃報に接して⑤」で記したように、この行事に参加しているのだが、正直に言えば、これがどんな「伝統」と繋がっているのかは分かっていなかったように思う。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23726418/

 まずは、「会高通史」から、猪苗代湖の戸ノ口で行われていたという学校行事を拾う。

 昭和16年の夏から戦争が激しくなるまで、毎年3年生が組ごとに1泊2日の海洋訓練を行っていたとある。
 また、戦後の昭和24年には、小石ケ浜の水上運動会復活し、部員がまた通うようになったともある。

 この「小石ケ浜の水上運動会」が、中田浜強歩大会の原点のような気がする。
 この大会は、明治の頃から行われていたようなのだ。「明治のころ」の「水上大会の思い出」として、その様子が次のような事が記される。美文調の表現から、その概要を読み取ってみる。

 会場となるのは、小石浜の岸辺のようだ。
 「あの縹渺(ひょうびょう)とした小石浜の岸辺に卓が据えられる」とのことで、ここに大会本部設置かな。
 午前中は2年生、3年生の競艇で、午後から呼び物の上級生5年生、4年生の選手競艇になるらしい。
 その競艇は、満舩飾りを施された2つの艇で行われるようだ。タイム係がいるようなので、タイムレースでもあるようだ。
 応援の艇も出るようだ。
 二つの艇とは別に、これまた満舩飾りを施した艤装艇が出て、ここに音楽隊が乗るのだとか。この音楽隊が、応援の雰囲気を盛り上げるようなのだ。

 そのコースはここでは解説されないが、長浜での折り返しだろうかと想像する。
 というのは、「昭和のころ」の日常の練習時の普通のコースが長浜辺りまでとあり、翁島を横に見過ごし、長浜の上空に聳える磐梯山仰ぐ壮大な感激が描かれている。練習ではたまに小平潟から上戸まで遠漕することもあったようだが、お決まりのコースは長浜なのだろうと思われる。

 競艇が終わると、戸の口艇庫で選手の慰労会が行われ、夜道を家路につくのだとか。
 その帰りの途中に、強清水の茶屋で一休みして、ニシンの天ぷらと饅頭の揚げ物などを食って英気を養い、下駄を踏み鳴らしながら滝沢峠を下るというのが思い出なのだとか。

 その小石ケ浜の水上運動会は復活したものの、先に記したように、昭和18年、十六橋反対側に新水路が出来た頃から湖面低下の為、桟橋まで水が届かず、幾度か桟橋を切り下げたが底の石が露出してきて船を外洋に出せなくなっていたということだ。
 これが、会津高等学校が、猪苗代湖とかかわるのは、中田浜に艇庫と「学而 (がくじ) 会館」が建てられるようになるきっかけでもある。

 現在の「中田浜強歩大会」がこの「水上運動会」の伝統を受け継いでいるのだとすると、「水上運動会」そのものが抜けてしまっているわけで、餡を抜いてしまった強清水饅頭のようだなとも思わないわけでもない。時代だろうし、進学校だもの、そうも言ってられないかというふうにも思う。
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by shingen1948 | 2017-08-31 09:27 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)