地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 05月 11日 ( 1 )

 「明治学院百年史」では、第4節「軍隊生活における長谷川信の日記」を中心に、その日記の記述の後ろに(S)と(K)のどちらかの記号が付されている。
 最初は気づかなかったのだが、これが「きけわだつみのこえ」で紹介された記述については(K)の符号を付し、「週刊現代」で紹介された記述については(S)の符号が付されて、それの再録であることが記される。それが分かるのは、この冊子の最後に付された各章別注の第6章注3の記載だ。
 いろいろな資料を元にして日記の全体を確認しているということと読み取ればそれまでだが、驚くべきは、原点となる日記に辿り着けないその理由だ。その注には以下のように記される。

  長谷川の日記が、現在行方不明となっていることは遺憾なことである。日記は、戦後彼の両親の 手許にあり、両親の没後は長兄が保管していたが、週刊現代誌に貸し出したあと所在がわからない とのことである。

 「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」に、昭和34年「週刊現代」の特集「戦争に失われた学徒兵の青春」にも信のことが大きく取り上げられたと肯定的に紹介されている。この時に日記は、週刊現代誌に貸し出したままになっているという風に読み取れるということだ。

 「明治学院百年史」によれば、「松本を発進した「武揚隊」の特攻隊は、空襲を避けながら本土各地の基地づたいに移動し、桜の満開の新田原飛行場(宮崎県)に到着、ここで全員最後の身辺整理をすることになった」とある。
 信氏もこの時にこれまで肌身離さずにいた日記を最後の手紙とともに、故郷の両親宛てに投函したという。
 つまりは、遺憾なことは「明治学院百年史」がいうように借りたものが返されていないにとどまらないということだ。この日記は、信氏の両親に宛てた遺書の意味も含まれているということだ。
 ところが、「週刊現代」誌側にとっては、その重みはなく、単なる取材の材料でしかなかったという感覚だったと想像できるということも遺憾なことだと思うのだ。

 自分とはかかわりない事であり、関係者は大人の対応でそのことにはふれないようにしていることではあるようだが、本当にそれでいいのかなという思いもある。
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by shingen1948 | 2017-05-11 09:22 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)