地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2017年 04月 14日 ( 1 )

 当時の「古天神」付近の水路を想像で、漠然とこの辺りに自家精錬場があったのかなという見当がついたが、ここからは空想になる。

 現在の様子から、自家精錬場があった位置を具体的に想像する。
 自家精錬場跡地が耕地に戻ることはないだろうとの仮説で「古天神」付近の水路脇を探せば、〇印の辺りとその左手の宿地の☆印付近から〇印まで間しかない。奥州八丁目天満宮の裏の☆印部分も雰囲気的に似ているが、ここは「八丁目」かもしれない。
 図示してみると、こんな感じの想像だ。
a0087378_531261.png 〇印の位置を搗鉱場として、「松川のあゆみ」の紹介と照らし合わせてみる。

 ここから「松川駅までは荷馬車で運んだ」というのが茶色の線で示した「八丁目宿」のメイン通りの道筋とすれば、奥州八丁目天満宮の裏の☆印付近に鉱石の集積場があってもよさそうに思える。
 「松川鉱山からこの古天神までは、通路南側に12ポンドのレールを敷き、1t積みの鉱車を馬に曳かせて運搬していた」という道筋候補としては、奥州八丁目天満宮脇に抜ける道筋が有力になるかな。
 こちらの道筋を中心に想像を膨らませると「宿地」の☆印に鉱石の集積場があってもよさそうに思えてくる。

 搗鉱場跡の位置の仮説から膨らむ想像はこの辺りまでかなと思うが、今回の散策で◇印の位置にあった石塔群の中に「社掌碑」をみつけた。
 次回は、このことから関連する空想を膨らませてみる。
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by shingen1948 | 2017-04-14 09:29 | 福島の鉱山 | Comments(0)