地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2007年 08月 25日 ( 1 )

奥州街道、西裏通り

  福島市は、あまり特色を持つ市でないが、県庁所在地であるというのも一つの特徴だろう。県庁・県議会などをキーワードに、探索を整理してみる。

自由民権運動の探索は、豊田町界隈だろうか。県庁のスタートは、常光寺らしいし、県会のスタートは、西蓮寺らしい。そして、現在の県庁は、福島城跡といったところだろうか。
田町界隈と自由民権運動については、先に探索したことをもとに書いた。今日は、信夫橋から、西裏通りにかけての探索から、常光寺を拾う。
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信夫橋から奥州街道の西裏通りは、寺町通りである。その中に、常光寺という大きな寺がある。その寺の前には「福島の城下まちづくり協議会」が案内板を掲げている。
その説明によると、譜代大名板倉家の菩提寺とのことだが、仮県庁であったことや、模擬県会が開かれたことも案内されている。

先に書いた豊田町辺りの自由民権運動の雰囲気を伝える本を探していたのだが、演説会の様子が書いてある本を見つけて読んでいるのだが、その中に、福島の自由民権運動は全国に先駆けた運動だったらしいことが書かれていた。歴春ふくしま文庫64「風雲・ふくしまの民権壮士」髙橋 哲夫著である。

この本によると、明治8年(1875)から10年(1877)にかけて、県内では民権運動が芽生え、石川の石陽社、三春の三師社、喜多方の愛身社が立ち上がっている。これは、全国的には政治結社ができて、国会開設の運動が起き、10年後に国会開設を約束するのは、明治12から13年にかけてである。また、全国的には、明治12年から選挙の実施と県会が開かれることになるのに対して、福島県は、明治11年(1878)に実施されているということらしい。

  常光寺の案内板にあった「明治6年に仮県庁にされ、明治10年に模擬県会が行なわれる」という内容と照らし合わせ、事実をつないで想像すると、模擬県会のギトギトとした熱意が伝わってくる。

自由民権運動が本格的に活発になり、自由党や改進党が結成されるのは、明治14年である。この時にも福島県は速い対応をしているようだ。先の河野広中は、福島県議長の地位を確保している。板垣退助総裁が自由党を結成すると直ぐに、無名館という自由党の福島部が創設されると、河野広中らは、そこに常駐しているという。

あまり話題にならないが、福島は、戊辰戦争のスタートを切った地であることは先に書いたとおりだが、藩閥政治との戦いのスタートの地でもあるらしいということのようだ。そして、これも会津への路につながっているようだ。

常光寺の案内板説明
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by shingen1948 | 2007-08-25 05:44 | ◎ 会津への路(自由民権運動) | Comments(0)