地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2007年 08月 21日 ( 2 )

 8月のこだわりを漠と感じていたのだが、明確ではなかった。なるほどと思う意見を見つけた。
  「毎日新聞」(2007.8.12)「発信箱」で、広岩近広専門編集員が、「死者たちの8月」と題した記事に感じるものがあった。
  その中で、俳人長谷川櫂氏の言葉を紹介している。
 八月は死者の月。私たち生きている者にとっては死者を弔う月だ
はるか昔から、先祖の魂を家に迎えて数日を過ごす死者と過ごす月だったが、そこに戦後から原爆の日と終戦の日が加わった。

 長谷川氏は、ここに9月1日の関東大震災の日を加えて全くの偶然だが意味のある偶然だと雑誌「俳人」で述べているという。そこに、日航機事故等も加えれば、確かに、死者を弔う月だということに合点がいく。
  記者がいうように、原爆や空爆の犠牲者は、何の罪もない人々が戦争の結果として尊い命を奪われているということである。

 更にぴたりと決まった感じだったのが、石垣りん弔辞の言葉の引用文だ。孫引きは最悪というのを知りながら、借用する。
死者の記憶が遠ざかるとき、同じ速度で、死は私たちに近づいてくる。
戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた 私たちに近づく。
そうでなければ良い。
8月15日。眠っているのは私たち。苦しみにさめているのは あなたたち。行かないで下さい 皆さん、どうかここにいて下さい。

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by shingen1948 | 2007-08-21 20:02 | ☆ 死生観 | Comments(0)

8月の忘れ物

 今年の夏は、死者との語らいを中心に考えていた。特に、被爆に関することを見たり考えたりする機会に恵まれた。その分、その他の事について見落としているものもたくさんあった。その中から拾えるものを記録しておくことにする。
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 一つは、地区の祭りだ。新興地で歴史があるわけではなく、公民館が主催する近代的なお祭りである。それでも、個人的に楽しみにしていることがある。花火大会だ。それは、小さな花火大会で、30分もすると終了してしまう小さな花火大会だ。




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 自分にとって楽しみなのは、自分の好きな位置に座って大きな花火が見れると言うことだ。大きな花火を真下から眺め、大きな音と振動をはらわたで感じる事が大切なのだ。
 大きな花火大会では、豪華さにおいては素晴らしいのだが、好きな位置に座って、近い位置から体感するという点では、町内会の花火にはかなわない。
 今年は、風向きの都合で、火花や煙が向かってくるようなダイナミックさは体感できなかったが、それでも、それなりに堪能した。
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 この日は、盆踊りの櫓も建ち、夜店も出る。
 自分たちの年代は、若い頃に、地域の小さな祭りを大切にしてこなかったなという思いがある。故郷を大切にしてこなかった負い目みたいなものがあって、その解消にビールを買ったり、盆踊りを眺めたりしている。新興地の盆踊りでも、櫓から響かせる太鼓の音に、振動の重厚さを感じると共に郷愁に似た思いに浸ることもできる。
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 もう一つあった。
 先日、山村の神社のお神楽の一部を鑑賞する機会があった。このことも付け加えておこう。
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by shingen1948 | 2007-08-21 05:54 | ★ 季節便り | Comments(0)