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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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王壇古墳

 阿津賀志山防塁現地説明会が中止だったので、ここから梁川に抜けながら、散策していこうと思った。

 防塁に沿って走る道から、南側の道に抜けて、それから梁川方面を目指そうとしたら、「活性化センター」脇に王壇古墳へ導く案内板を見つけた。指示されるようにその角を曲がって進んだら、右手の人家の前に小さな円墳が現れた。
王壇古墳_a0087378_5194315.jpg
 案内板の説明によると、古墳時代末期の7世紀頃に築造された円墳とのことだ。墳丘の南と西に幅2~3mの周溝が残っていて、その周溝の内側の線と墳丘の中心とした直径15mの大きさを測定したという。古い文献等から、この辺りには数基の古墳があったらしいが、現在はこの1基だけが残ったとのことだ。

 町指定史跡
 王壇古墳
 平成5年10月1日指定
王壇古墳_a0087378_5223545.jpg
 本古墳は国見町大字西大枝字大壇地内の平地内に位置し7世紀頃(古墳時代末期)に構築された。
 周囲は阿武隈川沿いに発達した段丘上の平坦面が広がり、墳丘の上には松の古木があり王壇の松として親しまれていたが昭和20年代に枯死した。現在のものは平成5年に植えられた2代目である。
 明治期の西大枝村丈量図によればこの付近には更に数基の古墳が存在していたが、現在残るのはこの1基のみである。このようなことから古墳群を形成していたもののうち松がある1基が残されたものと思われる。
 平成5年の調査の結果によれば現在残る墳丘の南と西で幅2~3mの周溝が確認されている。その周溝の内側の線は墳丘を中心としたほぼ15mの円形を呈しており、本来は直径15mの円墳であったものと推定することができる。
 このように本古墳は西大枝地区に残る唯一の古墳であり、重要な文化財として今日まで地元でも親しまれている。
 平成16年12月
 国見町教育委員会

 丘の周溝とのかかわりも大切にしながら保存されているようだが、遺物の説明はない。
 
 最初に国見の古墳を訪ねたのは、塚野目第1号墳(八幡塚古墳)だ。これは、古墳時代中期の築造で、主軸68mの大きな前方後円墳だ。そのことについては、「国見町の八幡塚古墳を訪ねる」として整理した。
 その他に、森山古墳、堰下古墳なども見て、それぞれ、「国見町指定史跡『森山第4号墳』を訪ねる」・「堰下古墳を訪ねる」として整理した。
 この王壇古墳も、観月台の公民館で紹介されていて知ってはいたが、ここに導かれたのは偶然だ。
Commented at 2009-11-18 15:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-11-19 09:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shingen1948 at 2009-11-20 17:23
コメントありがとうございます。
足元を見つめる輪が広がるといいですね。
by shingen1948 | 2009-11-18 05:26 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(3)