岡山鹿島神社
2009年 06月 26日
福島市景観100選ということなので、審査の先生が厳選した所であり、いい加減な筈はない。多分、自分の歩き方が悪いのだろうと思ったのだ。
それで、旧い案内板にあった岡山鹿島神社に行けば見当がつくかもしれないと思い、まずは出かけてみることにした。
いつもなら、最初は何も頼らずに自分の感覚で歩き、それから地図を頼りにしてという順序たどるのだが、今回は、初めから地図に頼る。
鐘つき堂がみえ、鹿島神社に辿り着く。
ちょっと進むと、水天神の池があり、ここで水かけ祭りがあることを思い出す。
新しい峨嶁 山の案内があって、やはり自分の歩き方がまずかったのだと思って安心して進もうとした。
ところが、直ぐに立ち入り禁止の表示が出てきて先に進めない。正面に見えている山が案内板にあった高松山だろうか。
家に戻って、市のホームページを確かめるが、その情報はない。
峨嶁 山は、福島市東部に位置する山で、2㎞の軽登山コースとなっている。
福島市景観100選は、選ぶだけなのかもしれない。案内されたことをもとに行ってみるかと思う者がいることは想定していない。多分、審査員の方も主催者側も、ここには足を運んではいないのだろうと思われる。
今、飯野町の福島市景観100選の募集中のようだ。
今回の成果として、とりあえず神社前の石碑に刻まれた岡山鹿島神社の由緒を整理しておく。
延喜式内 鹿島神社 由緒
御祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと)
人皇13代成務天皇の御代信夫国造久麻直命(しのぶくにのみやつこ くまのあたいのみこと)が東北開拓祈願の為、常陸の鹿島神社を高松山に勧進した。後年社地を源氏山に遷したが、醍醐天皇延喜年間には信夫5社の1として国史に載せられた古社である。高倉天皇の安元2年(1176)には勅使を御差遣せられ、その後、南朝の忠臣北畠顕家はその臣高松近江守定陵をして再興せしめた。寛延年間、火災の為焼失、後規模を縮小して現在地に斎祀し、治水農桑、悪疫退散の神として郷民の信仰をあつめ今日に至った。
毎年秋季に行われる奇祭水かけ祭りは、昔この里に悪い病が蔓延した時、神のお告げにより、それの平癒を祈願して水かけを行ったところ霊験忽ち現れて悪疫は一掃された。爾来毎年無病息災村中安穏を願って水かけを行い延々800数十年の永きに亘り継続されてきたものと伝えられる。
氏子を7組に分け毎年各組の持ち廻りで祭礼が行われるがこれは頭屋制と云って神社神道以前の齋祀の在り方で全国的にも珍しい制度である。
福島県より重要無形文化財に指定せられ又福島県十大祭に列せられ祭礼の御神酒は特に濁酒の醸造が公許されている。
平成5年8月謹識
宮 司 4代 阿部脩一
元責任総代 83翁 宍戸二郎撰