「西の六角石」を見つけた
2009年 05月 19日
芭蕉の道を探ってから気になっていた「六角石」だが、平野の路地で「西の六角石」をみつけた。
説明はなかったが、ピンときた。家に戻って、「平野の伝承とくらし」で確かめた。そこでは、「舘の六角石」として説明されていた。
舘の六角石は平田の六角の「東の六角石」に対して、「西の六角石」といわれていると紹介しているので、「西の六角石」の呼称でもよさそうだ。もっとも、地図で確認すると、ここの住所は「西六角」とある。
同誌では、この六角石がある街道が、昔大森街道が通っていたところだと紹介する。
六角石は、主だった道路の集落の入り口などに建てられているものとの説明を合わせて、北側をながめると、こちらの方向に、舘及び○○屋敷の呼称する住所のある集落がある。これと結びつけることが、六角石は、平安時代からということと矛盾が生じるのかどうかは分からない。
先に整理した「舘」にかかわる遺跡と、かかわりのありそうな住所を整理し、そこにこの六角石の位置も加えておく。
ここの大森街道は、籠内から舘の方に抜けて、この六角石の前を通り、八反田川を渡って笹谷を越えて大森へ向かう道とのことだ。平成10年頃までは「みちがた」があったということなので、この道筋は古くからある道筋とみてよさそうにも思う。
その道筋を想像しながら歩いて行くと、なんとなくそのみちがたが見えているように錯覚する。
団地に入ってもう原形はないのだが、ポイント的にこのような昔の景色に出合う。左端の石は道祖神のような気がする。