地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥の細道を探る⑤~六角石(宮代一丁田)

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 このあたりの六角石は、平野にある六角石、六角にある六角石、宮代日枝神社の六角石、渡辺墓地の六角石があるが、六角にある六角石に、案内板がある。


宮代一丁田の六角石
 この碑は「笠塔婆」といわれる供養塔の一種で鎌倉時代に造られたものとされています。
かつて奥州平泉の藤原氏全盛の頃清衡公が中尊寺を中心に白河の関から外浜(青森)まで路すじに一町毎に「笠塔婆」を建立したと伝えられていますが、吾妻鏡によればその一つではないかといわれています。それと同じものと言われているものに宮代日枝神社境内や渡辺墓地の北さらに平野字六角の六角石などがあります。
 造られた当時の形は六角形の石柱の上部に細長い穴を六面に彫り六地蔵を安置し頂上に笠を置いた「笠塔婆型六地蔵」であったらしく通称六角石と言って伝えられてきました。しかし、造られた年代も不明であり同種のものも少ないため、確証が得られないままですが、近隣近郷の人や道行く人々は香華をたむけて無病息災旅の安全などを祈願したものと考えられ、俳聖芭蕉もこの塔の傍らを通ったものと思われます。
  瀬の上宿から宮代日枝神社の六角石傍らを通り、六角の六角石の傍らを過ぎ、渡辺墓地の六角石の傍らから、余目小学校前辺りまでの六角石を結んだ道は、字切り図では小字境だ。この道は、河岸段丘沿いでもあり、イメージ的には松尾芭蕉もこの道を進んだのかなと思えてくる。
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Commented by はなまる at 2009-05-05 06:19 x
かつてこの地域が繁栄し、交通の重要ポイントとなっていたということでしょう。「六角石」は珍しいですね。数が少ない(残っていない)ので確証が得られないということでしょうが、地域で大事に保護されてきて今日の姿があるわけですね。福島県立図書館に『六角石』についての郷土資料があるようですね。他県(東北)にも六角石は、ほとんど残っていないのでしょうね。宮代地域は歩いたことがありませんので、このような石造物があることに驚いています。先日来福の機会がありましたので、大笹生周辺に足を延ばしてみました。リンゴの花も満開で吾妻小富士の雪うさぎが綺麗に種まきを知らせてくれていました。大笹生地域は随分古くから人の営みがあったところなのですね、2年程前に従姉妹が「とうまえ」だったか?重箱に赤飯を詰めて忙しそうにしていました。地域に、まだいろんな「講」が残っているのですね。さほど離れていない距離なのに私の実家のところは何も残っていませんので、感心したものです。
Commented by shingen1948 at 2009-05-06 07:57
大笹生、変化なく淡々と刻んだ歴史を大切にしてほしいなと思うのは、よそ者だからでしょうかね。年を重ねてくるとうらやましく感じますね。

宮代地区は、新しくは隣の瀬上宿として、それ以前は宮代自体が華やかな歴史を刻んでいたような感じがします。
このあたりの六角石は、「平野の伝承とくらし」によると、10はあるとありますが、私は、今回出会った三つと八丁宿の追分しか確認していません。平野にもう一つ西の六角石があることと、吾妻運動公園に一つあると聞きます。あと四つは情報も確かめていませんが、見ようとして見てみると、いろんなものがあるんだなと、私も感心しています。

by shingen1948 | 2009-05-04 05:06 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(2)