地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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名倉城②

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 報告書は、この城郭を福島市内の平地式中世城郭で、これだけ保存状態の良いのは稀であるとする。
 確かに、ここでは散歩人でも土塁の高まりや堀跡を何となく感じることができる。


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 これは、報告書にあるこの城の略測図だが、次の興味は、この城の城主ということだ。
 「ふくしまの歴史」では、「信夫小次郎治重が住み、石那坂の戦いで鎌倉軍に敗れたと伝えますが不明です」とする。
 この報告書では、名倉城の城主については、根本史料はなく、幕末の地誌「信達一統誌」と明治期の地誌「信達二郡村誌」に、信夫庄司佐藤氏の伝承を挙げているとする。
 結論は、分からないということだが、確定していない想像はいろいろあるらしい。

 報告書を読んでいて楽しいのは、想像していることの証明を試みていることに出会うことがあることだ。散歩人としては、そこにロマンを感じる。
 この報告書では、二つの想像を感じる。
 その一つは、城主に関わることで、もう一つはこの城の変遷にかかわることだ。
 城主に関わってまとめでは、次のように表現する。
 遺物群から鎌倉時代には存在していたとし、遺物の特徴から鎌倉幕府に近い村落領主クラスの居館としている。
 その領主は、あるいは南隣の鳥和田村地頭職を持つ可能性として想定されよう。

 この結論にいたる展開の部分で、慎重に表現を選びながら想像していると思われる城主名が登場する。南倉増一丸を推定していることを匂わせる。
 この推定の根拠になる資料は、持氏が、応永20年(1413)10月21日付で結城白河満朝に軍勢催促の御教書を下し、「令合力二階堂信夫常陸介同南倉増一丸、可抽戦功之状如件」と出陣を促す文書のようだ。
 この文書は、この年に伊達松犬丸持宗が掛田播磨入道定勝とともに大仏城で挙兵するのだが、鎌倉公方足利持氏は二本松畠山修理大夫国詮をしてこの鎮圧を試みるがはかどらなかったという状況の中で発せられたものとのことだ。

 この時代のこの辺りの状況を踏まえ、おおよそ次のように想像をふくらませていると読み取る。

 15世紀前半に信夫郡に南倉を名乗る在地領主が存在し、この方は二階堂氏の一族であったとみられている。この二階堂氏というのは仁治元年(1240)に信夫庄内鳥和田村(上鳥渡・下鳥渡)地頭職を子息に譲った鎌倉幕府評定衆二階堂行阿基行の末裔とみられている。
 この一族の一部が鳥和田村に土着し、延文2年(1240)には二階堂時世が村内に湖山寺を建立したとされているという。
 名倉城のある下村は、鳥和田村とは北隣である。この南倉増一丸と名倉城の関係は根拠こそないが、二階堂氏が鎌倉期以降に周辺の村々に勢力を伸ばし、一族が名倉城を築き居住した可能性は否定できないとする。
 そして、上名倉村は、天文4年までには伊達氏の支配下にあったことは天文7年(1538)の「段銭帳」(伊達文書)で確認されると付け加えている。


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 この遺跡の東にある墓地の西端に残る土手は、素人目には土塁と堀に見えたので、記録してきた。


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 しかし、家に戻って報告書を確かめると、その方向には堀も土塁もないとしているので、多分違うのだろう。


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 それでもとりあえずここに貼り付けておく。しかも、3枚も……。
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Commented by 山田 at 2009-09-17 12:24 x
私も歴史散歩が好きでいろいろ調べたり考えたりしております。私の考えでは大仏城は官衙跡ではないかと思っています。
律令制の名残の官職名 守 → 介 → 掾 → 目 で
二階堂氏は介であったと思われます。
大仏城の城名は鎌倉時代後期の陸奥守を約40年の長きにわたり務めた、北条氏の大仏流一族から呼び慣らされのではないかと思います。大仏宣時から鎌倉幕府滅亡まで。北条氏は平氏だそうです。陽泉寺の所の供養塔に刻まれた平氏女とは北条一族の娘ではと思っています。
Commented by shingen1948 at 2009-09-23 17:36
コメントありがとうございます。
ご意見、少し考えてみたのですが、文献から地域を散策する散歩と、散策をしたことを基にして文献で補う散歩の仕方があると思うのですが、私はどちらかというと、後者です。
 コメントの後半は、そういう考えもあるのかと思うのですが、大仏城が官衙跡ということについては、散歩では、長者伝説・寺の瓦・焼き米の話の方が先に興味がいってしまいますので、なかなか考え及ばないところがあります。
by shingen1948 | 2009-04-09 05:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)